1.たとえば、あのドアの向こうだとか



「じゃあルルーシュは、僕の息子になる?」
母をテロリストに殺され、真相を突き止めるでもない父に訴え、逆に叱責を受け、ならば皇位などいらないと叫んだルルーシュの頭上に、ふわりと柔らかな影が舞い落ちた。ブリタニア皇室の玉座の間、今は多くの皇族や貴族が連なっているその場所で、あまりにも場違いな明るさを含んだ声だった。ルルーシュが勢いよく顔を上げれば、いつの間に隣に来ていたのか、月のように色の薄い金髪の男が、紫色の瞳を細めて微笑んでいる。数度しか会ったことはないが、その人物をルルーシュは知っていた。ヴィルヘルム・ランペルージ。第98代ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアの双子の兄でありながらも皇位を返上し、自ら貴き場を下った男。今は複数の企業を立ち上げ、巨額の富を築いている彼は、かつての名をヴィルヘルム・ジ・ブリタニアといった。そのイニシャルを取り、人は彼をV.Vと呼んだ。
「伯父、さん・・・?」
唖然と呟いたルルーシュに、V.Vはにこりと笑いかける。
「マリアンヌが亡くなったと聞いてね。遅くなってごめんよ」
「い、え」
緩く首を振るけれども、ルルーシュは突然現れた存在にどうすればいいのか驚きを隠せない。玉座から立ち上がっていたシャルルが眼差しを険しくしているけれども、V.Vは白いたおやかな手をルルーシュの肩へと載せた。六十を越えているとは到底思えない、まだ青年といっても差し支えのない美貌で、痛ましげに膝を屈めて視線を等しくし、V.Vはルルーシュと向き合う。
「話は聞いたよ。ルルーシュ、君は本当に皇室を出たいの? 妹のナナリーとも、他の兄弟姉妹とも、シャルルとも離れて、皇族ではなく唯人となりたいの? 様々な特権を君は失うことになるんだよ。それでも皇室を出たい?」
「出たい! こんな・・・っ・・・こんな場所には、もう一秒たりともいたくない! 母上を殺した場所など! 血も涙もないこんな場所などっ!」
「そう。それじゃあ僕が力を貸そう。僕はすでに皇位を返上して、ただの庶民になっているからね。僕の養子に入れば、ルルーシュ、君も皇室を出ることが出来るよ」
「なります! 僕を、伯父さんの養子に・・・っ!」
「ルルーシュ!」
シャルルの窓すら震わせる怒号が響いたけれども、ルルーシュはすでに動じない。鋭く玉座の父を睨み上げ、この十年の間、決して見せることのなかった激しい憎悪を滾らせる。火花さえ散りそうな視線のぶつかり合いが続き、終焉を告げたのは子供の高い、毅然とした声だった。
「僕は今から、V.V伯父さんの息子になります」
「待て、ルルーシュ!」
「黙れっ! おまえなんか・・・ブリタニアなんか嫌いだ! こんな国、滅べばいいっ!」
破滅を望む言葉に、傍観していた皇族や貴族たちもさすがにざわめく。V.Vは目を瞬いて軽く笑っていたけれども、ルルーシュはそんな伯父の手を引いて玉座に背を向けて歩き出した。ルルーシュ、と名を呼ばれるけれども、もう振り返らない。ひらりと振られたV.Vの手に、シャルルの「兄さん」という低い呻き声が重なった。その轟きの意味するところすら知らず、ルルーシュは扉を押し開く。
その日、第十一皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは死んだ。





2.たとえば、解けた糸の行き先だとか



引いていた手がいつの間にか逆に引かれ、連れて来られたのはブリタニアの首都、ペンドラゴンの中でも特に交通の便の良い中心地だった。いくつもの高層ビルが立ち並び、オフィス街でありながらも流行のデパートや店が立ち並んでいる。金融の中心でもあるそこに、V.Vは当然のように帰り着いた。最上階に向かうエレベーターからは、ペンドラゴンが一望できる。ミニカーのように車が行き交い、人は黒い点にしか見えない。遠くに見える森のような緑が何だか分かったからこそ顔を背けると、V.Vがそっと握るルルーシュの手に力を込めた。ワンフロアを貸しきっているそこは、V.Vの家であり、そしてまたオフィスでもあった。
「今日からここが、君の家だよ」
開かれて招かれた部屋は、整然というよりも物の無い印象の方が勝る。五人くらいは座れそうな大きなソファーに導かれれば、羽根のようなスプリングがルルーシュの身体を浮かせた。何か飲み物を持ってくるよ。V.Vがそう言って離れていく。その後ろ姿がドアの向こうに消え、見えなくなる。広い部屋にひとり、ルルーシュは残された。
首をめぐらせれば、当然ながらリビングにも窓はある。大きな、嵌め殺しの硝子が床から天井まで壁に代わって存在している。きらりと午後の太陽が反射して、誘われるようにルルーシュは立ち上がった。スリッパが小さな音を鳴らして、辿り着いた先、手のひらを触れさせれば、冷ややかな感触と共に指紋が存在の跡を残す。窓の外にベランダは無く、一歩進めば落ちそうな、落ちて飛べそうな、飛んで潰れそうな、そんな感覚がルルーシュを包み込む。太陽が眩しくて、外が良く見えない。硝子が輝いているからだろうか。森のような庭園が、遠く遠く広がっている。そこに、誰がいるのか知っている。誰がいたのか知っている。太陽が刹那夕焼けに代わり、紅がルルーシュを染め上げる。拳を握った。
「・・・・・・っ」
シャッと引かれたカーテンが、すべての事象を遮った。V.Vの指が頤に添えられ、優しく、それでいて拒否を許さない強さで顔を上げさせる。意地で瞳を開いていたけれども、それも温かな微笑を向けられ、目尻に唇を落とされるまでだった。与えられる抱擁は母を、マリアンヌを思い起こさせ、ルルーシュはV.Vの服を強く握り締めて、声をあげて泣いた。泣きつかれて眠るまで、V.Vはルルーシュの傍にいてくれた。紅く染まる、不思議な夢を見る。
その日、ルルーシュ・ランペルージは生まれた。





3.たとえば、ドロップ缶の中身だとか



V.Vはルルーシュに多くのものを与えてくれた。ランペルージという姓から、衣食住、何不自由のない生活。戸籍謄本というものをルルーシュは初めて目にした。皇族は戸籍が無いため、自身を証明するものは己自身の血しかなかった。けれど皇位を返上した今、この薄っぺらな紙切れがルルーシュの身を保証する。不思議なものだと首を傾げた。
V.Vはルルーシュに多くのものを与えてくれた。南向きのひとり部屋。小さななベッド、少しの家具。服は華美なものでなく、小物に到るまですべてがシンプルなデザインで揃えられた。それらはルルーシュの選択だった。V.Vは小さな手を引いていくつものデパートを連れ回し、専門店に足を運び、妥協ではなくルルーシュが自らの意志で選ぶまで何一つ購入しようとはしなかった。後に気づく。それは、与えられてばかりだったルルーシュに自らの好みを理解させるための行為だったのだろう。V.Vの行動にはいつだって意味があるのだと、ルルーシュは共に暮らすうちに感じ始めていた。
独裁を地でいき、人を人とも思わないシャルルと違い、V.Vは周囲をとても良く見ている。それは仕事においても顕著で、彼は少数の部下を巧みに動かし、巨大な企業を律している。強制ではなく、人と情勢、展望を見据えての指示出しに、ルルーシュは目から鱗が落ちる思いだった。シャルルがすべてだった皇室とは違う。ここでは、個人の才覚が物を言う。V.Vは確かにそれを体現していたし、その様はルルーシュが漠然と抱いていた理想を形にしたかのようだった。憧れた。人は、皇子でなくとも生きていける。尊敬に変わるのは早かった。兄姉妹らの「戻って来い」という声も、いつしか心を揺らさなくなっていた。
V.Vはスーツだろうとポロシャツだろうと、そのポケットにはいつだって飴を入れていた。何かして褒められる度に与えられるそれは、ルルーシュにとって未来への階段だった。





4.たとえば、淹れたての最後の一滴だとか



朝はコーヒーを入れることから始める。数年の共同生活を経て、家事のほとんどはルルーシュへと移行されていた。もちろん長年一人暮らしをしてきただけあってV.Vの料理の腕は確かなものだったが、それ以上に凝り性であるルルーシュの性格を彼が気に入ったからである。喜んでもらえることが嬉しいので、ルルーシュも自ら家事を買って出た。ただでさえ養ってくれるV.Vの、少しでもいいから力になりたい。仕事を終えて帰宅した彼が、ルルーシュの作った夕飯の匂いに「美味しそうだ」と笑ってくれる。それだけで満たされるのだということを、ルルーシュは初めて知った。
今日の朝食は、チキンとかぼちゃのリゾット。電子レンジでかぼちゃを柔らかくし、皮付きのまま一センチ厚さに切る。鶏肉は五ミリ幅にして、塩と胡椒を。フライパンにオリーブオイルを振りまき、玉葱と鶏肉を炒める。湯とチキンスープストックを注いで、沸騰したら昨日の残りのご飯。後は少し煮てからチーズを撒けば完成だ。リゾットだけじゃ物足りないので、簡単なサラダを作ろう。冷蔵庫からサニーレタスを取り出す。適当にちぎって海苔と鰹節をまぶし、特性のドレッシングをかけて終わり。椅子が二つしかないダイニングテーブルにセットをすれば、後はV.Vを起こすだけだ。
「伯父さん。V.V伯父さん、起きてください。今日は朝から会議なんでしょう?」
ノックをしてから部屋に入ればカーテンは開いておらず、予想通りV.Vはセミダブルのベッドでごろりと横になったままだ。その肩を揺さぶって窓から朝日を入れれば、まるで子供のように「あとごふん」などと言って光から逃れるよう寝返りを打つ。
「駄目ですよ、ほら起きて」
「あさごはん、なに・・・?」
「チキンとかぼちゃのリゾットに、海苔と鰹節のサラダですよ。コーヒーももう入ります」
「・・・じゃあ、起きる、よ」
タオルケットの向こうからだらりと伸ばされた腕に意図を悟り、ルルーシュは呆れながらもその手のひらに指先を絡めて引き起こす。早く来てくださいね、と告げてからキッチンに戻れば、ちょうどコーヒーが最後の一滴を落としたところだった。温めておいたカップに注ぎ、ミルクと砂糖を用意しているとV.Vもダイニングに現れる。長い金色の髪が寝癖で絡まっており、小さく笑いながらルルーシュもエプロンを外した。黒いそれはルルーシュが台所を預かるようになってV.Vから贈られたものだった。ああ、とV.Vが目を細める。
「制服、似合うね。進学おめでとう、ルルーシュ」
当然のように言われて、ルルーシュは目元を朱に染めて俯いた。ありがとうございます、とはにかめば、V.Vの長い手が伸びてきてルルーシュの黒髪を梳いていく。共にとる朝食は、すでに千を越していた。





5.たとえば、六花に埋もれた言葉だとか



春も夏も秋も冬も、何度も季節を繰り返し過ごした。ゆるりゆるりとルルーシュは成長し、背が伸び、手足が伸びた。艶のある黒髪や宝石のような紫の瞳は健在で、君は年を追うごとにマリアンヌに似てくるね、とV.Vが言うものだから、母を誇りに思うルルーシュは喜びに微笑む。すでに皇室からは何の音沙汰もなく、時折忘れそうになる頃に妹であるナナリーから電話が入った。さすがにその声さえ拒むほど冷酷にもなれず、ルルーシュは妹の綴る皇室での日常に相槌を打ち、大体が三十分で通話を切った。学校は面白い。かつて通っていた名の知れた皇族御用達の私立ではなく、ただの公立学校。様々な生徒のいるそこは、ルルーシュの見聞を広めてくれる。友人が出来た。賭けチェスを覚えた。女子に告白されたこともあるけれど、付き合うのは何故か二の足を踏んでしまう。そう言えば、V.Vは愛らしいものを見るかのようにルルーシュを眺めた。「君は好意に対して誠実なんだね」と言われて首を傾げれば、更にV.Vは微笑んだ。
足を進めれば、さくりと雪が踏み潰される音を立てる。アスファルトをうっすらと白銀に染めるけれども、それもすぐに轍に蹂躙されて茶へと変わる。視界を縦に横切る六花は美しいけれど、それだけだ。眼差しを降ろせば、醜く汚れた姿が見える。けれどそれも地へと還る過程なのだ。吐く息が白い。
この数年、多くのものを得た。物品や生活だけに限らない。何より、V.Vはルルーシュに多くの可能性を示してくれた。皇位などなくても、人は生きていけるということ。己の才覚次第で、どんな道も切り開けること。愛情は肉親にのみ捧ぐものではないこと。世界は広く、手を伸ばすことで掴めるものは多いということ。手を伸ばす覚悟さえあれば、何でも出来るということ。すべてが皇室にいたままでは知ることの無かったことだ。あそこはすべてが最高質ではあったけれども、心だけは空虚で醜い。それならば身体に傷を受けても、心を偽ることなく生きられる今の方が何倍も幸せだ。感謝がルルーシュの内を埋め尽くす。
「・・・・・・ありがとう、ございます」
知らず漏れた呟きは掠れ、けれど数歩前を歩いていたV.Vは振り向いた。小さく首を傾げて手を伸ばしてくる。少し照れくささを覚えながらも、ルルーシュも指を差し出した。手袋もなしに触れる指は冷たくて、すぐに熱くなる。導いてくれるその存在に、感謝せずにはいられない。





6.たとえば、チェス盤のマス目だとか



高校に進学して少し経ったばかりの頃。ルルーシュはかねてより抱いていた望みをV.Vに打ち明けた。仕事の手伝いをしたい。仕事の手伝いを、させてほしい。もちろん最初はお茶汲みからで構わない。徐々に慣れて、少しずつ何かを任せてもらえて、そしていずれは直接的な手助けが出来れば。緊張に手を震わせて願ったルルーシュに、V.Vはぱちりと目を瞬いて驚きを示した後に笑った。ルルーシュは僕の跡を継いでくれるんだね。嬉しいよ。本当の息子みたいだ。幼い頃と変わらず優しく髪を撫ぜられて、スーツの袖口を握った。俺は、あなたの息子です。受け入れられた喜びと、今更ながらという拗ねが混ざった声音に、V.Vは声をあげて笑い、ルルーシュを抱き締めた。ありがとう、嬉しい。再度告げるV.Vと今度ははにかんだルルーシュの身長差は、もうほとんどなくなっていた。
最初は本当にお茶汲みから始まった。学校から帰って荷物を置くと、マンションの同じフロアにある、けれど数えるくらいしか出入りしたことの無かったオフィス部分に足を踏み入れ、ルルーシュは紅茶を入れた。もちろんV.Vの分だけではなく、彼の部下たちのも用意して配れば、口々に皆が美味しいと言ってくれた。もちろん世辞を差し引いて受け取ったけれど、その紅茶が信頼を得る切っ掛けになったのも事実なのだろう。部下たちはルルーシュをV.Vの跡継ぎだと自然に認識してくれた。
一週間が経つ頃には、書類の整理を頼まれた。簡単なファイリングやホチキス留め。もともとの几帳面な性格が手伝ってか、ルルーシュは作業によって入れる力を変えながらもすべてを完璧にこなしていく。気配りも出来、誰もが仕事しやすいように立ち回っていく様子はすぐに受け入れられ、会議資料のコピーを任されるようになるのもすぐだった。部下がルルーシュを褒める度に、最も上座のデスクからは、僕の息子だもの、とV.Vの自慢げな声が飛び、オフィスを笑い声に溢れさせた。親馬鹿、ファザコン。そんな呆れは褒め言葉でしかなかった。
一年も経てば、ルルーシュの立場はV.Vの秘書に近いものになっていた。会議にも出席することが許され、しかもそれが手伝いではなく意見を求められる参加者としてのものに変わり、与えられるプレッシャーと責任を重く感じながらも、それでもルルーシュは進んで甘受していた。V.Vがルルーシュに案を尋ねる。それに答えを返せば、細部を突くような質問が降ってくる。説明を重ね、綻びがないことを示す。駆け引きにも似たそれはルルーシュに確かな手応えを与え、すべて出しつくした後、「じゃあ、それでいこうか」とゴーサインを出すV.Vの満足そうな笑みに、期待に応えられたことを嬉しく思い、そんな自分が明日への自信となっていく。遣り甲斐を感じていた。日々は充実し、ルルーシュはすべてに満足していた。そんなある日だった。
学校からの帰宅途中。赤信号でするりと隣に横付けされた黒塗りの車。下げられる後部座席の窓から覗いた相手に、明確な嫌悪を浮かべる。踵を返した背に、すぐさま声をかけられた。
「待て」
「今更貴様と話すことなどない」
「聞け、ルルーシュ。・・・・・・マリアンヌの、死の真相についてだ」
言われた内容にか、僅かに躊躇われるよう抑えられた声にか、ルルーシュは足を止め振り向いた。車内には七年振りに顔を合わせる父親、シャルルがいる。その眉間は深く皺を刻んでいた。





7.たとえば、この夏最後のひまわりだとか



「V.V伯父さん。あなたが母を殺したのですか」
オフィスに顔を出さなかったルルーシュを不思議に思い、仕事を早めに切り上げてきたのだろう。一面の窓硝子から差し込む西日を浴びて、V.Vの身体がきらめいている。美しい。その美しさが、余計にルルーシュの心を乱す。長い影がリビングを断ち、歪な形を壁に映す。それ以上に己の顔が醜く歪んでいる自覚が、ルルーシュにはあった。
「ルルーシュ?」
「あの男に・・・・・・父に、聞きました。伯父さん、あなたがテロリストを装い、母を、殺したの、だと」
声が震えた。言葉にすれば如実に想像が現実に変わり、あたかもその場面を目にしたかのように脳裏に描く。じわりじわりとせり上がってくる吐き気にも似た渦巻く感情。酷く暴力的なそれは、明確な憎悪だ。かつて父にぶつけたときと同等の、否、それ以上に膨れ上がった憎しみがルルーシュの内から湧いて出てくる。信じていた。憧れていた。尊敬していた。それなのに、V.Vはルルーシュを裏切ったのだ。
「答えてください! あなたが母を殺したのですか!?」
「そうだよ」
ダイニングのテーブルを叩いたルルーシュに、ふわりとV.Vは微笑んだ。
「僕が、マリアンヌを殺した」
夕焼けがV.Vを染め上げる。遮ってくれたカーテンは無い。優しく撫ぜてくれた手も、与えてくれた信頼も、すべてのものは偽りだった。哂っていたのか。愚かだと、せせら笑っていたのか。どんなに愉快だったろう。どんなに蔑していただろう。母を殺した本人とも知らないで、その男の手で養われ育っていく様を見るのは、酷く楽しかっただろう。七年の月日が走馬灯のようにルルーシュの中を駆け巡っていく。今のルルーシュを構成するものは、すべてV.Vによって与えられたものだ。何ひとつ、無い。そう自覚した瞬間、悲しみが暴発した。愛していた。
「ああああああああああっ!」
ずっと握りこんでいたナイフを構えて、ルルーシュは駆け出さざるを得なかった。向かう先、V.Vが立っている。金色の髪が揺れる。影が揺らぐ。すべてが、すべてが、赤く紅く、花のように散る。





8.たとえば、君へのこの恋慕だとか



深夜、玉座の間に薄い影が現れた。月に炙り出されたおぼろげなそれに、シャルルは眉間に皺を刻み込む。けれどそれも、相手がルルーシュだと知るとすぐに警戒から疑惑へと変わった。ルルーシュ・ランペルージという名は認めていない。ルルーシュは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。シャルルの十一番目の息子。唯一愛した女性、マリアンヌとの子供だ。言動には出さず、罵詈雑言も浴びせたけれど、それでもシャルルが最も愛していた我が子。だからこそ七年間迷い、けれど今日の昼、マリアンヌの死の真相を告げた。愛していた。だからこそマリアンヌを殺したV.Vに、ルルーシュが何も知らず敬愛を寄せていることが許せなかった。本当ならば何より危険なV.Vの手が届かぬ、遠い地へと逃がそうと思っていたのに。それなのにシャルルの思いは届かず、ルルーシュはV.Vの手を取ってしまった。あのときほど兄を恨んだ日はなかった。けれど、それももうすぐ終わる。シャルルのギアスはすでに両目に発現し、後はV.VとC.Cの二人からコードを奪えば、それで終焉。世界はひとつになる。そのためなら兄すら殺せる。すでにそう思い始めているほど、自分がV.Vを恨んでいるのだと、シャルルは自覚していた。
「父上・・・・・・」
久方振りの呼び名に、不謹慎にも心が喜びに震えた。コツン、と爪先で小さな音を立て、ルルーシュが僅かな段差を上がってくる。ようやく見えた顔は月光に照らされていることを差し引いても青白く、シャルルは眉を顰めてしまった。17歳になり備え始めた、しなやかな体躯が陽炎のように揺れている。紫の瞳は影の中で黒に見え、伸びてきた指先は躊躇うことなくシャルルの袖口に縋りついた。
「父、上。俺は、伯父さんを。だって、あの人が母上を、だから、俺、そんなつもりなくて」
「ルルーシュ? 兄さんがどうした」
「分から、ない。ただ、俺は、伯父さんを。V.V伯父さんを」
聡明な、どんなときだろうと感情を高ぶらせても思考だけは途切れさせないルルーシュの、要領を得ない説明に疑惑が増していく。瞳はシャルルを捕らえておらず、指先は震えていた。マリアンヌ譲りの漆黒の前髪が流れ、月があらわにした額にシャルルは息をするのを忘れた。
―――紅く飛ぶ神の印が、そこにはあった。
愕然と言葉を失うシャルルの手元、ルルーシュが嗚咽を漏らしてずるずるとしゃがみ込んでいく。その額に宿っている、コード。V.Vのもの以外であることなど考えられず、その前にはルルーシュがギアスを所持していたという事実さえ吹き飛んだ。V.Vは知っていたはずだ。いずれ自身がシャルルにコードを渡さなくてはならないということを。シャルルの求める先に、コードは欠かせないのだということを。知っていた。間違いなく知っていたはずだ。その上で、V.Vがルルーシュにコードを押し付けたというのなら。
「兄さん・・・っ!」
憤怒がシャルルの中を突き抜けた。腕の中のルルーシュを、愛する息子を殺さなくては、欲しい未来を得られない。
高らかに哂うV.Vの声が聞こえる。それは酷い復讐だった。愛に対する、復讐だった。





果て無きこと、知っている