マリアンヌに向けたマシンガンの、トリガーを引いた感触を覚えている。他愛なく軽い玩具のようで、けれどとても魅力的だった。静謐が満たす夜のホール、豪雨のような音を立てて降り注いだ弾丸を余すところ無く受け止め、ゆっくりと傾いていった肢体。風を受けてドレスが膨らみ、膝辺りまで白い肌をあらわにさせる。それはとても蠱惑的で、V.Vを高潮させるのに十分足るものだった。何より、マリアンヌを葬れたという喜びが彼に興奮をもたらした。周囲を見回すけれど、もともとマリアンヌが人払いをしていたため誰の影もない。慣れない礼儀見習いにひとり泣いていた子供も、さっさと摘まみ出しておいた。すでに皇位を返上しているV.Vが深夜の皇室にいることを知るのは、限りない手の内の者のみ。弟さえ想像もしていないだろう蛮行に、V.Vはうっとりと唇を吊り上げた。
「シャルル、君が最初に裏切ったんだよ。僕だけだって言ったのに。僕がコードを受け継ぎ、君がギアスを受け継ぎ、いずれ世界をひとつに、嘘のない世界にしようって約束したのに。それなのに、シャルル、君はマリアンヌを愛した。理解して欲しいと、理解したいと願った。僕との約束を破ったんだよ」
マシンガンを放り投げて、物言わぬ死体を見下ろす。閃光のマリアンヌ。シンデレラガール。アリエスの主。傾国の美姫。そして売女。君に相応しい最後だね、とV.Vは義妹に笑いかけた。
「だけどシャルル、僕はお兄ちゃんだからね。君のことは許してあげるよ。邪魔なものはなくなった。これでまた、一緒に世界を改変できるね」
頑張ろうね。囁いて、V.Vはおもむろに右手を上げた。控えていた数人の男たちがやって来て、マリアンヌの死を偽造し始める。誰の手に依るものか分からなくなればそれでいい。後始末を任せて、V.Vは小さな離宮を出た。
「ああ、月が美しい」
帰る足取りが弾む。
V.Vの大方の予想通り、シャルルはマリアンヌの死を己のギアスを使って、他皇族の手引きを思わせるテロリストの凶行と偽ったようだった。確かに、あの画策の蠢いている皇室では最も自然な言い訳だろう。けれどそれよりもV.Vの興味を引いたのは、母を殺した真犯人を特定しようとしない父に憤慨しているという、マリアンヌの子供だった。あのシャルルが絶対王政を敷いている皇室で逆らうことは自殺行為だというのに。確かルルーシュといったか。たまに招かれる祭典で数度会ったことがあるけれども、見目の整った子供だと思った記憶がある。マリアンヌの美貌を引き継ぎ、紫の瞳は理知にきらめいていた。面白い。そう思ったからこそ足を運んだ皇室で、V.Vは笑顔を浮かべて近づいた。
「じゃあルルーシュは、僕の息子になる?」
皇位などいらないと叫んだ子供に、愚かだと思いながら提案を投げかけた。突然の第三者に驚き、見上げてくる顔に引きつるように息を呑む。殺したはずのマリアンヌが生きていたのかと、そんなことさえ思わせるほどの相似だった。美しい、そのあまりのおぞましさは人間の度合いを越えている。これは駄目だ。これは、駄目だ。始末しなければ。絡めとらなければ。今ここで手の内に入れないと、後で取り返しのつかないことになる。
確信に似た怖気が背を走ったからこそ、V.Vは久し振りに本気で頭をめぐらせた。髪先から爪先まで、持てるすべてを持ってして、目の前の存在が何を望んでいるのか読み取ろうと動く。言葉を選び、感情を導き、欲しいものを与えてやり、大丈夫だと笑ってやる。ともすると簡単なほどに、子供はV.Vの手の中に落ちてきた。妹さえ捨てて、民間に下りるという。呆れるほどの決意に、V.Vの焦燥もようやく薄くなってきた。シャルルの睨み付ける眼差しを感じるけれども、自分は甥の望みに手を貸してやるだけ。他は何も知らないという顔をしながら、手を引かれるままに皇室を後にする。
「ブリタニアなんか嫌いだ! こんな国、滅べばいいっ!」
吐き捨てる高い声に、V.Vは笑った。さて、転がり落ちてきたこの愚か者をどうしてやろうか。シャルルの手前すぐに殺すことは出来ないが、マリアンヌの息子、どう篭絡してやろう。可愛い可愛い己の子供が、自分を殺した男に弄ばれるのを黄泉路から見ているといい。懸命に引っ張る小さな手のひらを握り返してやる。びくりと震えて、次いで強く握ってきたそれにV.Vは笑った。
子供という生き物は、V.Vにとって縁がなかった。幼い頃にギアスという存在を知り、シャルルと共に「嘘のない世界」を創ることを第一に生活してきた。願いを叶えるために必要なのは、ギアス所持者とギアスコード所持者。後者は不老を手に入れるが、いずれは前者に殺されなくてはならない。だからこそV.Vはその役目を自ら負い、弟のシャルルに生きる道を担わせた。どうして兄さんが死ななくてはならない。幼いシャルルは痛苦に泣き出しそうな顔で縋ってきたけれども、大丈夫だよ、僕はお兄さんだからね、シャルルは僕が守るから大丈夫だよ、と囁いてやれば、ほっと眉間の皺を解く。兄さん、と駆け寄ってくるシャルルが愛しかった。大切だった。だからこそ弟を奪っていくマリアンヌが憎かった。自分は不老になり、いずれは殺される覚悟まで決めているというのに、その約束を揺らがせる存在。邪魔だった。だから殺した。そしてまもなく、V.Vは彼女の息子を手に入れた。ころりころり、手の中で転がる子供。
「V.V、伯父さん?」
様子を窺うように、下から見上げてくる子供。シャルルとマリアンヌの子供、ルルーシュ。齢十歳にも関わらず、その身にはやはり計り知れない知性が溢れている。本人の自覚以上に、きっと賢いのだろう。適度な距離を測るかのように、相手によって態度や言葉をさり気無く変えてくる。それは不快を覚えない、覚えさせないための処世術だ。十歳の子供が。皇室で生きてきたにしても滑らか過ぎる所作は、ルルーシュ本人の器用な性格を窺わせる。
「何だい、ルルーシュ?」
それでもやはり子供だ。こうして笑顔を作ってやれば、それに呼応するように表情を綻ばせるのだから。ああ、なんて愚かなルルーシュ。捨てられるのが怖いのだろう。そうされないために、出来る限りのことをしようと考えるのだろう。皇位を返上した今、この子供が頼れるのはV.Vだけなのだ。生かすも殺すも自分次第。それをルルーシュはきちんと理解している。だからこそ温かな笑顔で包んで、安堵を引き出してやろう。いずれ絶望にその瞳を染め上げて、息絶える瞬間が見てみたい。
初めて子供を迎え入れ、共にベッドで眠った夜。V.Vはルルーシュにギアスを与えた。涙に腫れた瞼を押し上げ、その瞳に神を刻んだ。発現するのはずっと先でいい。一生現れなくてもいい。シャルルには見つからないように、そう細工して瞼を撫ぜてやれば、子供は暖を求めるかのように擦り寄ってきた。馬鹿な子供。嘲笑してV.Vは、ベッドを出た。おまえなどひとりで眠れ。
「いい伯父さん」を演じるのは、実に面白い。ルルーシュの望みを先読みして、布石を打ち、願うとおりの「いい人」を演じることは、V.Vにとって退屈だった日常に刺激を与えた。子供だと侮るなかれ、ルルーシュは様々なことに気を使う。他の十歳と比べても機転が早く、その振る舞いはそこらへんの大人と何ら変わらない。けれど皇室で育ったためか、市井の基本的なことを知らなかったりする。先日連れて行ったデパートでは並んでいるすべてのものに目を丸くしていて、その様が愉快で笑いが止まらなかったものだ。
「だからね、シャルル。僕は皇位を返上したいというルルーシュの希望に手を貸しただけだよ? 確かに妹と離れることになってしまったのは悲しいことだけれど、ナナリーだってマリアンヌに庇われて五体満足なんだろう? 悲劇の兄妹として依存しあう可能性もなくなって、僕はいいことだと思っているんだけれど、君は違うの?」
首を傾げれば、デスクの向こうでシャルルが激しく顔を顰める。住居を兼ねているマンションの最上階のオフィス部分。民間人となったV.Vの城を、今はブリタニア皇帝であるシャルルが護衛さえ連れずに訪れている。もちろんドアの向こうにいる騎士の気配は察しているけれども、わざわざ大変だね、とV.Vは弟に対して思わざるを得なかった。しかもルルーシュが小学校に通っている時間を見計らって来ているのだから、シャルルの不器用な愛情を気の毒とすら感じる。おそらく自分からルルーシュを遠ざけたいのだろうが、それにしてもあまりにシャルルは言葉が足りなさ過ぎた。だからこそV.Vにとっては喜ばしいことに、ルルーシュを手元から離れさせる結果に陥ったのだ。
「兄さん、ルルーシュは私の息子だ。返して欲しい」
「戸籍上はすでに僕の子供だよ。だけどね、そんなことを気にする必要はないよ。ルルーシュにとってシャルル、君が唯一の父親であることは生涯変わらない真実なのだから」
いっそマリアンヌが不貞を犯して出来た子供だったなら、もっと容易く殺すことが出来たのだけれど。そんな思惑は表に出さずに、V.Vは弟に笑いかける。
「ルルーシュも今はマリアンヌを喪って、悲嘆にくれているだけ。時間が経てばきっと君の愛情を理解してくれるよ。それまでは民間に身を置いて、皇室では学べない様々なことを学習しても良いんじゃないかな」
「・・・・・・」
「あの子の賢さは分かっているだろう? だけど皇室にいたら、きっと権力争いで潰されてしまうよ。ナナリーはコーネリアの進言でリ家の後ろ盾を得れたようだからいいけれど、ルルーシュは皇子、皇位継承権の高さからいって紛れもない玉座を狙える身分だからね。・・・・・・僕たちのように、醜い争いに巻き込ませたくない」
「兄さん」
「君もそう思うだろう? シャルル、君はルルーシュの父親なんだから、あの子を信じてあげなくちゃ。大丈夫、僕も約束するよ。ルルーシュには十分な教育を与える。立派な皇子に育ててみせるから」
シャルルが持ちえず、自分が持ちえたもの。それは良く回る口と相手の心理を誘導する能力だとV.Vは考えている。シャルルは皇帝という身分から、他人に命令を下すことには慣れている。どう従わせればいいのか理解してはいるが、基本的にそれは上からの押し付けでしかない。しかしV.Vは違った。相手の望みを、心を巧について、自ら選択したかのように行動を導いていく。結果的に相手をすべて自分の望みどおりに動かす。それはシャルルにはない、V.Vの技術だった。
「・・・・・・ルルーシュにもしものことがあったら、私は一生兄さんを許さない」
去り際、漏らされた言葉の奥底に潜む疑惑と確信、そして憎悪に気づきながらもV.Vは「分かっているよ」と微笑んで頷いてみせた。シャルルは誰がマリアンヌを殺したのか理解している。その張本人に息子を預けなくてはならないという悔しさと、兄を未だ信じたいという思いが葛藤を生んでいるのだろう。優しい子だね、君は。心中で囁いて、V.Vはシャルルを見送った。米粒大のハイヤーがマンション前から去っていったところで、部屋のドアが開く。
「ただいま帰りました、V.V伯父さん」
「お帰り、ルルーシュ」
小走りで駆け寄ってきたルルーシュを、V.Vは抱き上げる。見えているかい、シャルル? 君の愛する息子は僕の手の中だ。切り札は、ここにある。
月日は割合と穏やかに過ぎていった。シャルルもその後何をしてくることもなく、V.Vは時間の大半をルルーシュの養育へと注ぎ込んだ。打てば響くかのような才能は面白く、出来の良い子供へと仕立て上げていく様はV.Vにとって何よりもの娯楽となった。手始めにコーヒーの入れ方を教えてみた。使う機器に対していくばくかの説明。それと手順を実際に示してみせれば、子供はじっと食い入るように見つめた後で、「やってみる?」という問いかけに頷いた。たどたどしい手付きながらも教えたことを正確に繰り返し、V.Vがカップを受け取り口をつける様をまるで神託を待つ殉教者のような面持ちで見上げてくる。不味くはなかったが、少し薄かったそれはV.Vの好みとは言えなかった。それでも「美味しいよ」と頭を撫でてやればルルーシュはほっと肩を下ろし、「ありがとうございます」と笑った。しかし、その三日後には濃さも薫りもすべてV.V好みのコーヒーが完成していた。おそらく表情や声音から読み取ったのだろう。面白い。V.Vは唇を吊り上げ、今度は無言でルルーシュの頭を撫ぜて、ポケットから取り出した飴玉をひとつ与えた。
手先が器用だと判明してからは、家事を教え込むことを優先した。V.V自身、皇室を出てからずっと一人暮らしをしてきたから慣れているけれども、せっかく共同生活を送っているのだ、押し付けない手はない。まずは無難に洗濯の干し方を教えた。その次は掃除機のかけ方、食器の洗い方。集金の払い方やセールスの断り方も教えたし、スーツについた染みの抜き方も習得させた。火傷が危うかったため、アイロンかけと調理は一番最後。それでも二年も経たないうちにルルーシュは家内のすべてのことを覚えてしまった。特に料理の腕前はそこらの主婦どころかシェフにだって匹敵するほどのものだろう。好みの料理を毎日食べられ、しかもその準備も後片付けもしなくて良いのだからV.Vにとっては実に幸いだ。この子供を引き取ってよかったとさえ思わせるほどに、ルルーシュは立派に成長した。どこに出しても恥ずかしくない嫁だね、と心中で笑う。
初等学校を主席で卒業し、中等学校に主席で入学した。皇族が通うような一流の学校ではなく、種々のパンフレットを並べてその中からルルーシュに選ばせた。そうすれば子供は予想に違わず、マンションから近く、学費の一般的な、そこそこのレベルと校風を有している公立学校を選んだ。相変わらず遠慮は抜けていないらしく、V.Vが些か不満に思いながらも「どうしてそこがいいんだい?」と尋ねてみれば、ルルーシュはパンフレットの表紙を眺めて目を細めた。
「だって、伯父さんの出身校でしょう?」
そういえばそうだったか。すっかり忘れていたことを思い返せば、ルルーシュは「だからここにします」と言って入学手続きを整えていった。その行動の中心に自分がいるのだと分かれば、一転して機嫌が上向く。制服の採寸には一緒に行った。いつの間にか子供の背は伸び、同年代と比べても平均より少し高い程度になっている。それでも細身であることは昔から変わらず、試しに摘んでみた脇腹には贅肉と呼べるものがほとんどなかった。きゃあ、と甲高い悲鳴をあげてしまったのが恥ずかしいのだろう。ルルーシュは顔を真っ赤に染めて、お返しとばかりにV.Vの脇腹を掴んできた。しかし脂肪の有無はともかく、V.Vにとってはくすぐりなど敵でもない。微動ともしない様子に悔しがって、ルルーシュは眉間に深く皺を刻んだ。幼さを逸脱し始めている顔立ちに、V.Vの唇が綻ぶ。
恐ろしいほどにマリアンヌに似ていると思えた容姿は、共に暮らすにつれそんな印象を薄めていった。何よりルルーシュは、マリアンヌが持っていた他を篭絡するような、そんな艶めかしい美を作らなかった。確かにその造作は美しかったけれども、ルルーシュはそれを他人に向けて発しない。己の美を武器として用いないのだ。その点がマリアンヌと大きく異なった。マリアンヌは己が如何に美しいかを、その容姿が如何に人を惹きつけるのかを、どのようにすれば絡めとることが出来、従わせることが出来るのかを悪魔に等しく理解していた。ひとりで成り上がってきた経歴を鑑みれば仕方のないことかもしれないが、それでもV.Vには許しがたかった。あんな穢れきった女に、自分の愛しい弟が囚われていくのが。見ていたくなくて殺した。そして運よく手に入れたルルーシュは、己の手の中で望むままに育ちつつある。可愛い可愛い、愚かなルルーシュ。シャルルのようにはさせないよ。そっとV.Vは美貌の義息子に囁いた。
春も夏も秋も冬も、何度も季節を繰り返し過ごした。コードを引き継いだ時点で成長を止めたV.Vの肩に、ルルーシュの髪先が届いた。額が届いた。唇が届き、喉仏が通り過ぎる。高等学校に入学した頃には、すでに見下ろさずともルルーシュの顔が視界に映るようになっていた。そんなある日、V.Vはぱちりと目を瞬いた。
「お茶汲みからで構いません。俺に、V.V伯父さんの仕事を手伝わせてもらえませんか?」
決死の覚悟、という言葉が相応しいかのように顔色を白くさせ、骨張った拳を握り締めてルルーシュは願い出てきた。仕事とは一体何だろうと考えて、己の統べている会社のことだと遅れて気づく。それほどにV.Vにとって社長業というのは暇潰しであったし、意味のないものでもあった。だが、民間人として生きていくために必要な金銭を得る手段でもあったから、いずれはルルーシュにも学ばせようとは考えていた。それにルルーシュの物事に対する着眼点はV.Vと異なり、相互作用として働くことで更なる結果をもたらすだろう。いいよ、とV.Vは笑んで許可を与えた。当然ながら段階を踏んで、本当にお茶汲みから始めさせ、次に書類の整理、会議資料のコピー、そのうち会談の場にも隅にいさせることが増えた。ルルーシュの頭脳は幼い頃よりずっと切れを増し、それはもはや大人以上のものとなっていた。何を言うことも何をすることもなくとも、己の意を汲んで先回りをしてくれる存在。そんなルルーシュはV.Vにとって気楽の境地であり、そんな風に育てたのが自分だと思えば周囲に触れて回りたいほどの愉快さだった。会社など譲ってやっても良い。そうとさえ思うのに、ルルーシュが望むのはいつだって「V.Vの助け」になることで、それが面映くなっていたのはいつの頃のことか。
同じ家に住み、隣の部屋で眠り、手ずから作られた食事を食べ、入れられたコーヒーを気に入りと称する。朝を告げることを許し、無防備な寝顔を晒して、「ただいま」という挨拶に「おかえり」と返すことが自然となり、夜は並んでテレビを見る。シャルルのことを思う時間が減った。マリアンヌのことを嘲笑う回想が減った。
「ずっと、あなたの傍にいさせてください」
共に過ごす何回目かの誕生日に、ルルーシュがそう言った。酷く穏やかな微笑に、ありがとう、と返した声は平静を保つのに必死だった。ねぇ、本当に? 君は僕を置いていかない? そう尋ねようとした瞬間、すでに心は融けていたのだと自覚した。とうにV.Vは受け入れていたのだ。ねぇ、ルルーシュ。君は僕を置いていかない? シャルルのように、僕を置いていかない?
手を伸ばして頭を撫ぜる。幾度も繰り返してきた所作さえ、いつか拒まれてしまうのではないかと怯えてしまった。立場は逆転した。孤独に怯える、V.Vの日々が始まる。
死なぬこの身は、君に一体何を残すことが出来るだろうか。
幸福を、笑顔を、温もりを、優しさを。すべてで満たしてあげて、息を引き取るその瞬間も腕の中で抱きしめていたい。ひとりではないよと伝えてあげたい。幸せだったと言って欲しい。
己のすべてをルルーシュに譲ろう。この子供の生を満たし、死を看取るのが自分の役目だと、そうV.Vは信じるようになっていた。溢れ出る、心の名を知らぬままに。
気がつけていれば、何かが変えられたのかな。
夏の終わり、V.Vはオフィスの一室で首を傾げていた。窓から見える空はすでに茜色に染まり、太陽は西の空へ沈もうとしている。けれども室内にルルーシュの姿はなく、そのことがV.Vは不思議だった。仕事を手伝うようになってから、ルルーシュは学校が終わるとまっすぐに帰宅し、制服のままオフィスへとやって来て、まずはV.Vをはじめとした皆にコーヒーを振舞うことから作業を始める。日によって違うが七時頃には仕事を切り上げてプライベートスペースに戻り、夕食を食べてテレビを見ながらその日にあったことを話して過ごす。それがここ一年半の流れだったというのに、今日はルルーシュがオフィスにさえ来ていない。どうしたんでしょうねぇ、という部下の言葉に曖昧に頷きながら、V.Vは五時になると同時にオフィスを後にした。
リビングに戻っても、ルルーシュの姿はない。玄関の時点で靴もなかったから期待していなかったけれど、それでもじわりとV.Vの胸を焦燥が蔓延る。どうしたのだろう。どうしたというのだろう。まさか帰ってこないなんてことはないよね? もしも誰かに捕らわれているのだというのなら、今すぐに助け出しに行くから。僕の名を呼んで。
かちゃ、と控え目な音を立ててドアが開く。現れたのは俯き加減のルルーシュで、一面の窓硝子から差し込む西日を浴びて、その細い肢体がきらめいていた。帰ってきてくれた、無事だった、良かった。いつものように「おかえり」と告げようとして、それよりも先に唇を開かれたからV.Vは言葉を譲った。
「V.V伯父さん。あなたが母を殺したのですか」
とくん。身の内から聞こえてきたのは何の音だったのだろう。
「ルルーシュ?」
名を呼ぶ際に、習慣で小首を傾げてしまった。さらり、さらり、V.Vの肩を髪が流れる。そういえばあの夜、大きく広がって落ちたマリアンヌの髪も長かった。ゆるりと込み上げてくる感情は、動揺かそれとも諦観か。否、泣きたくなるほどの切願だ。捨てないで、僕を置いていかないで。そう叫びたいほどなのに、脳裏は冷静に思考を巡らす。今まで画策ばかりして生きていた人生を、V.Vは初めて後悔していた。嘘のない世界を作りたかったのに、こんなにも自分は嘘ばかりだと、今初めて自覚する。
「あの男に・・・・・・父に、聞きました。伯父さん、あなたがテロリストを装い、母を、殺したの、だと」
ルルーシュの声が、拳が、細い肩が震えている。大丈夫だよ、と抱きしめてあげたくて、そうする資格が無いのだとV.Vは思い当たった。マリアンヌを殺したのは自分だ。ルルーシュの母を、自分は殺した。そのことは明確な事実だったから、V.Vは偽ることなく頷こうと決めた。
「答えてください! あなたが母を殺したのですか!?」
「そうだよ」
謝ることは出来ない。自分に出来るのは、ただ素直に認めるだけ。ルルーシュの憎悪をすべて受け止めるだけ。制服の端からちらりちらりと覗いているナイフの輝きを見止めながら、V.Vははっきりと真実を告げた。
「僕が、マリアンヌを殺した」
刹那、膨れ上がったルルーシュの憎悪がV.Vを貫いた。強く握り締められたナイフが姿を現し、ルルーシュが泣き叫びながらまっすぐに駆けて来る。その刃先が己を狙っていることなど明らかで、だけどV.Vは逃げようと欠片さえも思わなかった。この身体は死ぬことはないけれど、例えそうでなくとも埋められる凶器をただ静かに迎え入れたことだろう。だから泣かなくていいんだよ。抱き止めるためにV.Vは腕を広げた。何度でも何度でも、それこそ殺せるまで刺すといい。ルルーシュがまた笑ってくれるなら、己のすべてを差し出してもいい。そう祈って、ぶつかってきた身体を抱き締める。ルルーシュの漆黒の髪が、V.Vの頬に触れた。温かい。腕の中にある存在に浸るが、いつまで経っても予想していた痛みは訪れない。
「・・・・・・ルルーシュ?」
不思議に思って顔を覗き込めば、まるで駄々を捏ねる子供のように頭を振って、ルルーシュは額をV.Vの肩口へと押し付けてくる。手のひらは相変わらずナイフを握っていたけれども、その刃先はV.Vの脇を通り過ぎ、綺麗なまま宙に浮いていた。どうしたんだろうと思っているうちに、しゃくりあげるような嗚咽がV.Vの耳に届く。
「どう、して・・・・・・っ」
理解できないという嘆きは、逆にすべてを理解していることを知らせる。ルルーシュはすべて分かっているのだ。V.Vがシャルルを、マリアンヌを恨んでいたことを。根源は分からずとも、その因果から自分を引き取ったことを。注がれたすべてが意趣返しから来ていたことを。けれどそれがいつの間にか、真なるものを秘めていたことを。だからこそ自分がV.Vを心底憎んで、殺すことが出来なかったのだということを。すべてを理解してしまったからこそ、何故と問わずにはいられないのだ。心が理屈を凌駕する。すべてパズルのように隙間無く嵌め込めれば良かったのに、そうするには余りにも共に過ごした月日が長すぎた。V.Vもルルーシュも聡過ぎて、そして情が深すぎた。
ごめんよ。囁く代わりに、V.Vは唇を噛み締めた。何と説明すればいいのか分からない。こんな醜い己の内を知ってほしくはなかったし、知られて嫌われるのが怖かった。今更何をと思われるかもしれないけれど、それでもルルーシュにだけは嫌われたくない。きつく抱き締めれば、怯えるようにルルーシュの肩が震えた。投げ出されたままだった腕が、小刻みに揺れ始める。
「・・・・・・ごめん、ナナリー・・・ごめんなさい・・・っ・・・父上」
ルルーシュの左手が、V.Vの服の裾を握る。激しく皺を寄せる力は強くて、そのことが嬉しくて悲しくて喜ばしくて申し訳なくて。ごめん、と再度口にする代わりに、V.Vはきつく目を瞑ろうとした。けれどその瞬間、鈍いきらめきが視界の隅を掠める。そう、ルルーシュはそういう子供だった。分かっていた。分かっていたから。
「ごめんなさい、母上っ!」
甲高い後悔と共に、ナイフが振り下ろされた。ルルーシュの手から、ルルーシュ自身の心臓へと向かって。鋭角の刃先をV.Vは確かに視認していた。それでも身体が動いたのは無意識だった。ただ、守りたいと思ったのだ。灼熱の衝撃がV.Vを襲う。目の前が真っ白に染まった気がしたけれど、それでもルルーシュを守れたから満足だった。首をめぐらせても見えない背中からは、きっとナイフが生えているのだろう。勢い余って刺さった先端は心臓を貫き、V.Vの前面にも少しだけ飛び出してきている。痛い。だけど大丈夫。このコードを持つ身は死なないのだから。だから大丈夫だよ。そう微笑もうとしてV.Vは、ルルーシュの顔を覗きこんだ。
けれどそこに在ったのは、限界まで見開かれた紅の瞳だった。
光が走る。鳥が飛ぶ。神を宿したその印。引き取った最初の夜、施した戯れ。あのときはただ、シャルルへの嫌がらせのひとつとして、いずれ発現した際には楽しませてもらおうという娯楽のひとつとして、何の気も無しにただギアスを刻んだ。まさかそれが、今このときになって表出するだなんて。V.Vの口端から、せり上がってきた赤黒い血が零れた。止まらない。分かる。背中のコードが力を薄くし、この触れ合っている腕を通してルルーシュへと流れ出てゆく。嫌だ。嫌だ、嫌だ。そう思うのに、V.Vの手からは生気ばかりが抜け落ちていく。
「伯父、さん・・・?」
ずるりと滑った身体を呆然と見下ろすルルーシュの瞳は、やはり紫ではない。ブリタニアで最も高貴な色合いではなく、神にその身を捧げた異能者の紅。能力は分からないし、ルルーシュ自身、己のその変化に気づいてはいないのだろう。ただ落ちていくV.Vを止めようとするかのように掴んできた指先だけがリアルだった。
「V.V伯父さん! 何故・・・っ、どうして!」
今度こそ溢れかえったルルーシュの涙が、ぼたぼたとV.Vの頭に落ちてくる。その感覚すら薄くなり始め、意識が遠くなっていく。嫌だ、嫌だ。そればかりをV.Vは思った。死ねない。死にたくない。今死ねばこの身体は灰と消え、何の意味も失くしてしまう。コードという忌まわしい呪いをルルーシュに引き継がせたくない。不老不死など、そのような業。置いていかれる、そのような孤独。そしていずれは殺されなくてはならないという、そんな絶望。引き継がせたくない。幸せになって欲しい。笑って眠りにつく姿を見守るのが自分に出来ることだと思っていたのに。その幸福すら奪われるほどに、自分の行いは愚かだったのか。今更気づくなんて遅すぎたけれど、それでもこの心を満たすのは、ルルーシュの幸福を願う気持ちばかりだ。早く何か言わなくてはいけないのに。時間はもう、ないのに。それでも謝罪も感謝も何か違うような気がして、どうすればいいのか分からない。
「嫌だ、死なないでくださいっ! 伯父さん! 俺を置いていかないで・・・っ・・・」
求めてくれるこの子供に、自分は何を残すことも出来ないのか。あまりの己の無力さに、V.Vの瞳から涙が伝った。
さあ、どれだけのことを俺は君に伝えられただろう
遠い世界、マリアンヌが笑っている。腰に手を当てて、まるで不出来な子供を諭すかのように少しだけ苦笑を混ぜて、ドレスの裾を揺らして、彼女は告げる。
「馬鹿ね、義兄さん。そういうときは『愛してる』って言えばいいのよ」
それだけで伝わるから。そう、義妹は教えてくれた。ごめんね、マリアンヌ。君に酷いことをした。ごめんよ、ごめんよ。心の底から謝って、V.Vは身体中の残る力すべてを振り絞る。もう目は見えないけれど、それでも抱き締めてくれている腕の温もりを感じるから。ねぇルルーシュ、君はそこにいる? そこにいるかな? そこにいて。もう少しだけ、そこにいて。これが僕が君に遺せる、唯一のものだから。開く唇、震える喉。どうかどうか形になって。
長い月日、共に過ごした。それでも集約すれば、たった五文字の言葉にすることが出来る。そのことが可笑しくてV.Vは笑った。さぁ、これが最期。ルルーシュ、聞こえる? 聞こえているといいな。ありがとう。ごめんね。だけど、だけど。
誰よりも君を愛しているよ。もっと一緒に、生きたかった。
2008年12月4日( title by age )