29:「君さ、バカだねぇ」
己を表す名前以外の冠。
東方司令部司令官
大佐という階級
イシュヴァール戦での軍功
数知れない勲章
同じくらいの軍歴
それらは決して欲しくて手に入れたものではなかった。
「最近、可愛がっている子供がいるそうだな」
隻眼の目を向けられて、エドワードは敬礼していた手を下ろした。
進められるままに席に着き、背を伸ばしたまま椅子に座る。
「ロイ・マスタング。仕官学校の卒兵だったか」
「仰られる通りです、大総統閣下」
「・・・・・・ふむ」
ニコリと片目が笑う。
それを見とめてエドワードも肩を竦めて小さく笑った。
精巧な作りのテーブルに片肘をついて顎を乗せる。
「つーか判ってるなら聞くなよな」
「噂は所詮噂でしかないこともある。それでその子供はどうかね?」
「子供って、アイツはもう18だぜ?」
「君はもう32歳になるのか・・・。時が経つのは本当に早い」
「・・・・・・あぁ」
エドワードは唇を綻ばせて笑う。
「早いな。本当に、早い」
何年前になるか。
戦闘に身を費やした。
朝日を浴びながら銃を放ち、月光に照らされながら錬成を起こした。
あまりの殺戮を犯した自分たちに、同じ軍人からも畏怖と軽蔑を受けたのを覚えている。
けれどその対価は得た。
今はもう鋼の手足は無く、弟も鎧姿ではない。
エドワードにとって―――エドワードとアルフォンスにとって、イシュヴァール戦とはそういうものだったのだ。
逆らうことの許されない命令。
褒賞として与えられる賢者の石。
そのための殺戮だった。
エドワードは件の部下を脳裏に描いて思わず苦笑した。
黒髪と黒目を持つ、自分から見てまだまだ子供―――それは年齢だけではなく―――の彼は、『大総統になる』という大それた野望を抱いている。
それを目の前にいる隻眼の男に告げる気はない。
どうとでもなればいい。それがエドワードの心境だった。
投げやりにそう思っているのではなく、ただどんな状況になっても恐れるようなことは何もないから。
もしものときは、アルフォンスと一緒に軍を抜けるだけ。
後は好きにすればいい。
「んで? 話はアイツを国家錬金術師に推薦しろって話?」
エドワードの言葉に現大総統・ブラットレイは軽く笑う。
「相変わらず察しが良い。それで、駄目かね?」
「あぁ、駄目。まだまだ甘いよ。あれじゃあ人も燃やせない」
言葉の意味とエドワードの笑顔を正確に理解して、笑みを深めた。
「―――心の問題か」
ご名答、というようにエドワードは肩にかかる三つ編みを指で弾いた。
国家錬金術師は、技術だけでなれるものではない。
特にロイ・マスタングの焔という能力は直接武器になることが出来る。
だからこそ、彼には心構えが必要とされた。
無実の人間さえも殺せる、鉄の心が。
「ふむ、ではその代わりにエルリック大佐に働いてもらうとするか」
次の責務の時間が差し迫ってきたのか、大総統がコーヒーを飲み干して立ち上がる。
エドワードも同じように立ち上がった。身長差のせいで自然と見上げるようにして問いかける。
「南部の国境線?」
「そうだ。ここで軍功を挙げてくれれば、私としても君をセントラルに呼びやすくなる」
何気ない言葉に、エドワードは目を見張った。
「・・・・・・セントラル」
それは昇進。階級が一つ上がり、権力と勲章を得る。
――――――その分、危険も増す。
「部下の育成も早いところ頼むぞ、エルリック大佐」
軽く肩を叩いて、大総統が歩き出す。
見えないとは判っていながらも、エドワードは後ろ姿に向かって敬礼した。
相手が部屋を出て行く瞬間に、小さく舌を出しながら。
「あーっムカツク、あのオヤジ!」
しっかり着込んでいた軍服の襟を緩めて、東方司令部で一番高級な椅子にドカッと座り込む。
そんな兄の様子に苦笑しながら、アルフォンスは紅茶とドーナツを机の上に置いて勧めた。
「相変わらず元気そうだね、大総統は」
「元気も元気! ったく、いつになったら引退すんだか」
「ロイが大総統の地位を簒奪したらじゃない?」
穏やかな笑顔でアルフォンスは剣呑なことを言う。
相変わらずなのはおまえだ、という言葉をエドワードはドーナツと一緒に飲みこんだ。
紅茶で喉を流し、二個目のドーナツを手にとって口を開く。
「・・・・・・俺、来週末から南部に行って来る」
「国境戦線? 何も兄さんが行かなくても・・・・・・」
「ロイも連れてく」
――――――一瞬の静穏が、二人の間に流れた。
閉められた執務室のドアの向こうから、にぎやかな声や物音が聞こえる。
不釣合いなほどの沈黙の後、エドワードは手に持っていたドーナツを皿へ戻す。
「・・・・・・・・・一応、もう一回話してはみるつもりだけど」
「無理だよ。きっとロイは国家錬金術師になりたがる」
「・・・・・・だよなぁ」
「兄さんたちが帰るのに合わせて、諜報部からヒューズを移動させておこうか」
「うん、頼む」
ずり落ちるように椅子に身体をもたれさせて、エドワードは苦笑する。
正直に言えば、エドワードはロイに国家錬金術師になってほしくないのだ。
あのまっすぐに前を見詰めている目を、曇らせたくない。
その心に傷など負って欲しくない。
――――――自分たちのように。
コンコン
「! はい」
ノックの音に、エドワードとアルフォンスは同時に顔を上げた。
扉の向こうから若い声がする。
「ロイ・マスタングです。報告書を提出に来ました」
「・・・・・・入れ」
つい数秒前まで話していた内容が内容だけに、エドワードの声が強張る。
アルフォンスはそれを見やりながら、空になったカップに紅茶を注ぎ入れた。
ドアを開けたロイと代わるように、エドワードが処理し終わった書類を抱えて執務室を出ていこうとする。
「じゃあ兄さん、後は僕がやっておくから」
片手を挙げて応える兄に背を向けてドアへと向かう。
上官であるアルフォンスが出てくるのを、ロイは扉の外で敬礼しながら待っている。
エドワードよりまだ少しだけ低い背を見下ろして、アルフォンスは目を細めた。
まだ18歳の子供。自分たちが彼の年齢の頃には、一体何をしていただろうか。
・・・・・・同じ道を歩ませたくない。
兄であるエドワードがそう苦心していることをアルフォンスは知っている。
ロイの代わりにエドワード自身が戦地へと向かっているということも。
―――だからこそ。
ロイと擦れ違い様に、アルフォンスは吐き捨てるように呟いた。
「君さ、バカだね」
殺人を志願するなんて愚か過ぎる。
ロイの顔を見る気にもなれず、アルフォンスはさっさと歩き出した。
彼が国家錬金術師になりたいと言い続けるのなら、早くなってしまえと正直思う。
苦悩や悲痛をすべて感受できなければ、ただ壊れるだけ。
そうなりたいのならなればいい。
ドアの閉まる音を背後に聞きながら、切り捨てるように足早に進む。
手駒としてのロイに価値がなくなったその時は。
「・・・・・・本当にバカだ」
兄さんを悩ますなんて、と呟いてアルフォンスは唇を噛み締めた。
自分たちのような子供なんて、なくなればいいと思っているのに。
2004年1月15日