20:「知らなきゃ良かった」
エドワードが国家錬金術師になったのは、彼がまだ12歳のときだった。
面と向かって言われれば破壊衝動を伴って怒るに違いないが、その頃のエドワードは小さい今よりもさらに小さな少年だった。
具体的な比較対照としては、大豆と小豆くらいの差である。(どちらがどれくらい小さいかはお客様ご自身でお調べ下さいませ)
つまり現在15歳のエドワードは、三年間でそれぽっち・・・・・・いや、そんなにも成長したということ。
しかし「背が高くなりたい」という彼の望みからしてみれば、所詮その程度の成長は雀の涙レベルである。
「小さい方が可愛くていいじゃないか!」と主張する直属の上司の身長を抜かすことが、エドワードの目下の目標だ。
この話は、そんな彼が今よりもまだまだ小さかった、国家錬金術師になりたてのヒヨコのときの話である。
東方司令部いけ好かない司令官、ロイ・マスタング。
彼の署名がつづられた許可証を持って、エドワードは軍の資料室へと向かっていた。
一応『鋼』という二つ名をもらったとはいえ、エドワードは軍属ではない一介の国家錬金術師である。
地位は佐官相当でもヒヨコはヒヨコ。
ぴよぴよという擬態音と共に金色の尻尾を揺らして、エドワードは廊下を歩く。
向けられる視線が邪魔だなぁ、と思いながら幼い顔をゆがめて。
青い軍服を着ている大人たちが自分とすれ違う度にこちらを見る理由を、彼はちゃんと判っていた。
きっと自分が子供で、軍人でもないのに司令部にいて、誰に咎められることもなく存在しているから。
ひょっとしたら数日前に国家錬金術師として名を連ね始めたからかもしれない。
思いつく理由はたくさんあって、エドワードは内心で溜息をついた。
ついてくる視線や、開いている部屋の中から向けられる視線にやっぱり辟易して。
そしてようやく辿り着いた資料室のドアを開けた。
このときのエドワードはまだ知らなかったのである。
何故、自分がこんなにも視線を集めているのかを。
その理由を知る機会は意外とすぐにやってきた。
「あの・・・・・・すみません」
かけられた声に振り向いた女性職員は、驚いたように目を瞬いた。
それはそうだろう。この軍人しかいないはずの司令部に、まだ年端もいかない子供が現れたのだから。
一緒に話をしていた女性職員も同じように驚きをあらわにして、口に片手を当てている。
エドワードは困ったように瞳を揺らして、手の中の紙切れを二人へと差し出した。
「あの、俺、エドワード・エルリックっていうんですけど、ここに来れば資料を見せてもらえるって、大佐―――マスタング、大佐が」
子供の言葉を証明するように、示された書類にはちゃんと東方司令部司令官の名が直筆でサインされている。
女性職員はようやく我に返って、その許可証を受け取った。
「えぇと・・・そうね、第三資料室までの閲覧が許可されているから、じゃあ鍵を」
確認して、手元の箱から札のついた鍵を取り出して差し出す。
女性よりも小さな手で、エドワードはその鍵を受け取った。
「案内しようか?」
微笑んでそう聞いてくる年上の女性に、慌てて首を振って。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
なんとなく恥ずかしくなって急いでカウンターから奥へと歩き出す。
エドワードにとって女の人といえば、母親が第一。ついで幼馴染の少女とその祖母。
直属の上司になった男の副官はたしかに女の人だったが、彼女はそれ以前に軍人としての雰囲気をまとっていたから。
こんなに近くで女性に微笑まれたのは何だか初めてな気がして、エドワードとしてはどうすれば良いのか判らない。
もしここに人生の先輩であるハボックがいたならば、「そりゃ大将、男ってのは年上の女が好きだからなぁ」などと教えてくれただろうが、あいにくと彼は今この場には存在しなくて。
その代わりとでも言えばいいのか、エドワードの耳は背を向けているカウンターの会話をキャッチしてしまった。
声からして先ほどエドワードに鍵を渡してくれた女性と、一緒にいたもう一人の女性職員だろう。
小さく潜められた、けれどどこか黄色い話し声が聞こえて。
「ねぇねぇ、今の子があれでしょ? 例の国家錬金術師の」
「たしか・・・・・・『鋼』だっけ?」
あぁやっぱり自分が視線を集めている理由はそれだったのか。
エドワードはそう思って、耳に入ってくる会話を遮ろうとした――――――が。
「マスタング大佐の稚児ってだけあって可愛いわねぇ」
「あの子なら大佐が入れ込むのも判る気がするわ」
その後エドワードが一番にしたことは、必要な錬金術の資料が並べてある棚に行くことではなく、辞書を手に取ることだった。
棚から引きずり出し、めくる。
めくるめくるめくるめくるめくる。
目的の語を見つけて、光速で動いていた手が止まった。
そして沈黙が舞い降りる。
稚児(ちご)
(1)神社・寺院の祭礼・法会(ほうえ)などで,天童に扮して行列に出る男女児。おちご。
(2)男色の相手となる少年。
「マスタング大佐の稚児ってだけあって可愛いわねぇ」
「あの子なら大佐が入れ込むのも判る気がするわ」
先ほどの女性職員の言葉がリフレインしてエドワードの脳裏に浮かび上がる。
12歳にして国家錬金術師資格試験に受かってしまった聡明な頭脳を持つ彼は、その意味を瞬時に判ってしまった。
そう、それはつまり。
エドワード・エルリックは、ロイ・マスタングと性的関係にある。
そうか、だからあんなに周囲の人間は自分のことを見ていたのか。
こんな有り得もしない噂なんぞを信じて、振り回されて。
自分を、ロイの稚児だと思って見ていたのか。
「・・・・・・・はははははは・・・」
やけに乾いた笑い声がエドワードの口から漏れる。
12歳の子供にしては、やけに諦観したような響きのそれが資料室に響いて。
バンッと音を立てて辞書を閉じ、彼は律儀にもきちんと元あった場所にそれを戻した。
周囲が自分を見ている意味も。
稚児という言葉が示す意味も。
「・・・・・・知らなきゃ良かった・・・・・・・・・」
呟いても、もう遅い。
音速ダッシュで資料室を飛び出したエドワードが、無実が証明されるまで東方司令部には絶対来ないと直属の上司に告げるのは、これより三分後の話。
2004年2月5日