10:「死んじまえ」
もっと早く産まれてきたかった。
スラムなんかじゃない、金持ちの家じゃなくていい。
ただ、普通の家庭に。家族のいる、普通の家に。
産まれてきたかった。願わくば、もっと早く。
見上げるんじゃなくて、あの人を背に守れるような。
対等な立場に立ちたかった。
血が止まらない。溢れて出てきては軍服を黒く染めていく。
バランスを崩して、は思わず膝をついた。
砂埃が舞い上がって血溜りへと落ちていく。
その上から、また新たな鮮血が滴り落ちて。
左肩を貫いた弾丸はどこへ行ったのだろうか。
肉を抉って、骨を壊して、焼けるように激しい痛みを残して。
けれどを捕らえているのは、痛苦などではなかった。
床に自分の血が流れていく中で、信じられないように前を見つめて。
手の中の銃が音を立てて転げ落ちる。
「・・・・・・リザさん・・・?」
部屋の隅、倒れた女性。
金色の髪、高めの背。
広がっていく液体。
見えなくなってしまった目。
『君』
「リザさんっ!」
近寄ろうと立ち上がるけれど、二・三歩も進まない内に肩の傷がそれを止めた。
上半身だけがふらつく中で、機械鎧の両足だけがの意思通りに動いてくれる。
肩が焼けるように熱い。痛みよりも違和感。
「リザさんっ・・・リザさん!」
足はちゃんと彼女の元へと辿り着いて、上半身はほとんど崩れるように倒れこんで。
動かない左ではなく、どうにか動く右で彼女の体を揺する。
「リザさん! 起きて、ねぇリザさん! リザさ―――・・・・・・」
がくんと、項垂れている首が捩れた。
指先が震える。
焦点のない瞳が、ただ、こちらを見上げてきて。
は喉を引きつらせた。
彼女は彼女ではなかった。
乾いた笑い声がの口から漏れる。
「・・・・・・はは・・・」
女の血と自分の血。軍服はすでに青ではなくなっていた。
手は乾き始めている赤で不自然にざらつく。
黒髪をくしゃりと掴んで、もう一度笑った。
「・・・そうだよなぁ・・・・・・テロリストに、リザさんがいるわけないよな・・・」
支えきれなくなった上半身が、の意思に関わらず倒れた。
床についた顔が赤に塗れて、撥ねた雫が目に入る。
視界が血に染まる中、殺した女の顔が間近になって。
薄暗い室内でも判るほどに、意思の強かった瞳が今は。
「・・・・・・っ」
―――――いま、は。
引き鉄を。
あのとき、相手が自分に銃口を向けた瞬間、無意識のうちに手が動いていた。
硬い引き鉄を慣れたように簡単に引いて。
命を奪った。
彼女の、命を。
透明な雫が、血の中へと毀れる。
いつかきっとこの手は彼女を殺してしまうのだろう。
大切な、あの人を躊躇いもなく。
無意識のうちに、きっと。
自分の愚かさが情けなくて涙が流れる。
一瞬、愛しいあの人だと思ったのに。
それなのに指は惑うことなく引き鉄を引いてしまった。
彼女を殺してしまった。
大切なのに。
愛しているのに。
殺してしまった。
「・・・リザさん・・・・・・っ」
喉が引き攣る。
「リザさん、リザさん、リザさ・・・っ・・・」
涙が零れる。
「・・・・・・リザさん・・・」
傷口が苦しい。
「リザさん・・・・・・っ」
心が痛い。
「―――リザっ・・・・・・!」
どんなに謝っても、どんなに想っても。
もう彼女は帰ってこない。
殺してしまう。殺してしまった。殺してしまえ。殺せばいい。
こんな愚かな行為を、彼女にもたらしてしまうのならば。
「・・・死んじまえ・・・・・・!!」
愛も夢も希望も全部。
肉も魂も想いも全部。
この世から消えろ。消えてしまえ。
どこかで起きた爆音に、古ぼけた天井の欠片が崩れて零れ落ちてくる。
最初は小さく、どんどん大きく。
建物が壊れていく。
倒れたまま、は笑った。
もう、動く気にもならない。
「・・・・・・リザさん・・・・・・」
死が近く迫ってくるのに、心はひどく穏やかだった。
何もかも忘れて、貴女の幸福だけを願って。
愚かな罪人に、こんな死が訪れるだなんて思っていなかった。
は笑って目を閉じる。
瞼の裏に、たった一人の顔を浮かべて。
貴女を殺してしまう前に、死ねて良かった。
2004年1月11日