064:気づかないふり
男じゃなくて良かった。
跡部景吾はそう思った。
部活が終了し片付けも終えた後、忍足が慌てた様子で着替えるのを跡部は冷めた目で眺めていた。
「ほな、俺は先に失礼するわ」
ネクタイを締める間も惜しみ、鞄を持ち上げてロッカーを閉める。
「侑士、今日何かあんの?」
「今日は久しぶりにと会える日なんや」
蕩けるような笑みを浮かべて言う忍足に、溶けてバターになってしまえと跡部は思う。
「ほなまた明日」
さっさと出て行ったのを知らず見送っていた自分に気づき舌打ちした。
「・・・・・・・・・って、忍足の彼女か?」
「そうそう。中等部は氷帝で高等部は他に行ったの。二年のときは俺と同じクラスで、三年のときは侑士と同じクラスだった」
「珍しいな、忍足があんなに急いで行くなんて」
「本当だよなー。今まで付き合った子なんて待たしたりするのは普通だったし。スッゲー変わりよう」
「そんなに美人なのか?」
「んにゃ。普通。顔も運動神経もスタイルも性格も全部普通だと思うけど」
「・・・・・・マジで珍しいな。あの忍足がそういう子を選ぶのって」
「なー」
交わされる会話を聞いて思う。たしかにというのは普通の女だ、と。
特別秀でたところもない、人波にまぎれれば見つけ出すのも苦労するくらいの普通の人間。
――――――だけれども。
あいつが男だったら、間違いなく自分の敵になっていた。
それも勝つか負けるか判らないくらいの力量を持った敵に。
跡部は舌打ちして乱暴にロッカーを開けた。
初めてという女と話したのは昨年の十月のことだった。
あの忍足の惚れた相手。しかもケンカしてるとはいえ話しかけることも出来ないくらい手こずっている相手。
そんな女がいるのかと思って興味本位に遊びに行った。一体どんな女なのか、もし面白そうなら自分のものにしてもいいと、そんな気持ちで。
けれど予想外に切羽詰った顔の忍足を見て驚いた。コイツも、こんな顔をするのかと。
こんなに誰かを想って苦しむことがあるのか、と。
軽く興醒めして肩を落とした。・・・・・・・・それでも、ほんの少しだけ、羨ましいとも思った。
だから柄にもなく手を貸してやりたくなったのかもしれない。
今思い返せば、しなければ良かったと思うような手助けを。
振り向いた顔はありふれたものだった。
可愛くもなく美人でもない。スタイルだって普通だったし声だって甘いわけでもない。
何で忍足はこんな女を選んだんだか、と心底不思議に思ったのを覚えている。
この女なら一言で言うことを聞いて忍足を許すだろう。何でそんな簡単なことが出来ないんだ、アイツ。
跡部はそう考えながら言った。「いい加減に忍足を許してやれ」と。
すぐに頷くと思った。意思のハッキリしなさそうな女だし、何よりこの自分が声をかけてやったのだから。
跡部はいつもどおりポケットに手を入れて返答を待った。
当然、イエスの答えが来ることを思って。
「いくつか言いたいことがあるんだけど、いい?」
予想外の言葉に、なんだコイツと眉を顰めた。
「どうして跡部君がそんなことを言うの?どうして私が忍足君を怒らなくちゃいけないの?どうして私が忍足君を許さなくちゃいけないの?どうして私が跡部君に命令されなきゃいけないの?」
一息に言われた言葉。まっすぐに自分を見て。
その瞳に何の色もないことに気づいた。初めてだった。自分を見て、変化しない女。
「跡部君にそんなこと言われる筋合い、私にはないよ」
「・・・・・・・・・俺様にそんなこと言うとはいい度胸じゃねぇか」
「俺様って、跡部君って何様?私よりも偉いの?」
偉い、とは言えなかった。
本当に、本当に不思議そうに聞いてくるから。
「よく判らないよ。跡部君も忍足君も。私とは考え方が違うのかな」
違う、と思った。違う。こいつは自分とは違う。
自分の周囲にいる人間とは違う。軽い驚愕をもってして肩が震えた。
「忍足君に伝えて。『怒ってはいないけれど失望した』って」
何を言われたのか判らなかった。あぁそういえば、そういえば自分は忍足のことでこの女を呼び止めたのだと今さら思い出した。
「じゃあね、跡部君」
一度も振り向かずに去っていく後ろ姿。
敵だと、思った。
何がどうなったのか詳しく聞く気にもならないが、中等部を卒業してから忍足とは付き合いだした。
忍足はひどくご機嫌で、本当に幸せそうで、見ているこっちがムカついて何度どつきたくなったか判らない。・・・・・・実際にかなりどついたりしたが。
そんな奴を見て跡部は思う。
おまえはとんでもない女に手を出したんだぞ、と。
あの女は普通の女じゃない。いくら普通に見えても、性格が飛びぬけて目立ちはしなくても。
それでも、という女は普通じゃない。
おそらく数えるくらいしかいない、自分の敵になれる人間。
跡部はそう思っていた。むしろ、確たる気持ちさえ得ていたくらいだ。
そして思う。が女でよかった、と。
もしが男だとしたら、まず間違いなく自分の敵になっていた。
どんなに外見や中身が普通でも、それでも間違いなく自分の敵として存在し、決して味方になることはない。
渡り合うのに苦労するだろう。きっと力を浪費して、それでもなお勝てるかは判らない。
女である今は関わろうとせずにいることで敵ではないが、男ならまず間違いなく。
自分はを見つけ、そして興味本位に目覚めさせてしまうだろう。
敵としての、奴を。
それは避けたいと、跡部は思う。
そんなことを考える自分がいるだなんて今までは思いもしなかったが、それでも。
避けられるのなら避けたいのだ。自分というもののレーゾンテートルを失う前に。
まだ忍足の意外な好みについて話しているチームメイトを見て、跡部はやはり舌打ちをせざるを得ない。
忍足は爆弾を手に入れてしまった。使い方次第でかなりの効力を発揮する爆弾を。
けれどそれを使用する日はおそらく来ないだろうと跡部は思う。
なぜなら忍足はのことで手一杯で、他所へと目を向ける余裕がないから。
本人には周囲を攻撃するような凶暴性はなさそうだし、ならばしばらくはこのまま過ごしていける。
跡部はロッカーを閉めて鞄を持った。
「バカなこと話してねぇでさっさと帰りやがれ。鍵閉めんぞ」
チームメイトを追い立てて鍵を指で回した。
今頃、忍足とはよろしくやっているんだろうと思いながら。
少しだけ羨ましいなんて思ったのは、一生誰にも言ってやらねぇ。
部室の鍵を閉めて、跡部はもう一度舌打ちした。
2003年8月10日