028:強い手と長い睫





三上財閥の跡取りといえば、女。
男女の双子のうち、社交界に出てくるのは女のほうだけだった。



煌びやかな会場、高価な布を惜しげもなく使った服を着ている大人たち。
奏でられるクラシックは名の知れたピアニストのものだが、いたる所で交わされている会話それをかき消している。
商談めいた話、相手の腹を探り合う話、上流階級に広がるスキャンダルの話。
値段だけは高い香水の匂いが交じり合うのに嫌悪を感じて跡部景吾は内心で顔を歪めた。
もっとも表面だけは和やかな笑顔を浮かべて、かけられる賞賛を謙虚に流して。
優秀な息子であることを両親はさぞかし自慢に思っているだろうね、なんて言葉。
跡部を褒めているようで実際には両親へのつながりを求めているのだろう。
そんな見え透いた手に乗せられると思うのか、自分の親が。跡部はそう考えて、けれど穏やかに賛辞を受け流す。
愛想笑いはこの世界で一番最初に見につけるべき手段だ。
そしてその手段はこのような場所にて遺憾なく発揮される。
跡部は退屈だった。
大人たちが自分に『投げかけてきてくれている』のを話半分に聞きながら、面倒くさいと心底思っていた。
けれどこれも必要な過程なのだ。自分が、『跡部家の跡取り』と認められるために。



跡部がその少女と出会ったのは父親に連れられた参加した何度目かのパーティーのときだった。
白髪の、けれどその会場にいる誰よりも威圧感を湛えた老人の斜め後ろに控えていたのがだった。
いや――――――――――この場では、三上と言うべきか。
老人・・・・・・三上財閥の現会長は年齢のわりに精悍な顔つきと態度で周囲の人間たちを静まらせていた。
社交界の帝王という名はこの人にこそ相応しいと、跡部が思ったくらいである。
「久しいな、跡部のせがれよ」
しわがれた、けれど精力的な声に隣にいる父親が頭を下げる。
「ご無沙汰しております、三上翁」
「順調なようじゃな。先の鷹宮グループとの交渉は上手くやったろうて」
「おかげさまでどうにか」
「ふむ」
一つ確かめるように頷くと、老人は跡部の方へと視線を向けた。
その人格の奥までも見透かされるような強い眼差しに知らずと息を呑んで、けれど跡部はまっすぐにその目を見返した。
負けてたまるかと、子供の対抗心のような意地を持って。
時間にしておそらく数秒。けれど跡部にとっては何倍にも感じられるような時間が過ぎ去って。
「年は」
「・・・・・・・・・今年で12になります」
「ほぉ」
喉元で引っかかったような跡部の声にも反応を示さずに、老人は斜め後ろを振り返った。
純白に紅い絵の具を一滴落としたかのような、薄い桜色のドレスが見えて。
「おまえと同じ年じゃの、
緩やかに挙げられていく睫は音さえもしそうだった。
「・・・・・・・・・えぇ、そうみたいですわね」
微笑んだ少女は、間違いなく
「よろしくお願いいたします、跡部さん」



――――――――――社交界の、華だった。



ノースリーブのシフォンドレス。膝より長めの裾は斜めに大きく傾斜を描いて、その下にレースを忍ばせていた。
肩を越すくらいの黒髪はゆるやかなウェーブがかかっていて。
どう見ても中学に入学するに満たない年齢には見えない。3つか4つは年上に見られることが常だろう。
自身とて同じように見られている跡部はそう思いながらジンジャーエールの入ったグラスをへと手渡した。
「ありがとう」
唇の端を上げて礼を言う姿は自然なもので、きっと奉仕され慣れている人間なのだろうと跡部は思う。
この少女が将来、三上財閥を背負って立つのだ。
現在の会長である三上翁、社長である彼の息子の三上、そしてその娘・
三上には男女の双子がいるという話だが、こういう社交場に息子が出てきたことは一度も無い。
この一年、話題を攫うのは娘だけ。
将来どのような手腕とカリスマを持ってこの社交界に君臨するのか、注目されている彼女だけだ。
そしてそれは現実のものとなるのだろう。



その隣に自分がいることは、おそらく――――――――――不可能では、ない。



自分の中の誰かが言う。おまえには彼女しかいないんだよ、と。
彼女を逃したらおまえは生きていけないんだよ。
この世界でもどこでもおまえは生きていけないんだよ。
彼女は、おまえにないものを持っているのだから。
おまえが知らないものを知っているのだから。
・・・・・・・・・心が、言う。



煩わしいと思うだけで退屈に感じていたこの世界に跡部は初めて感謝した。
グラスを包むの指先を、綺麗だと思った。





2003年7月26日