005:虚ろ
「日吉若っ!」
部活に行く途中で後ろからかけられた声に俺は溜息をついた。
パタパタパタと走ってくる足音が近づく。
振り返らないと面倒なことになるので振り返る。
予想通りにその人は俺の1メートル手前の位置で立ち止まっていた。
碧にも見えるような黒髪が揺れる。
「これから部活?一緒に行っていーい?もちろんフェンスにくっついて奇声上げるなんて日吉若の嫌いなことはしないからさ!大丈夫大丈夫任せておいて!」
「あなたに任せる方が心配なんですけど」
「あら冷たい。でもそれでこそ日吉若!」
勝手にどんどん進めていって、何を言っても無駄なところが跡部部長にそっくりだ。
一体誰がこの二人を育てたんだか。親の顔が見てみたいと思ってしまう。
「さ、行こう!遅れると榊先生に怒られちゃうしね」
先輩はそう言って俺の隣に並んだ。
一歩半の、距離を置いて。
何の気紛れか知らないが、俺のことを好きだと言う。
跡部部長の幼馴染。一つ上の三年生。。
あの跡部部長が時々名前で呼ぶことから簡単に判る。
この人は跡部部長が認めている相手。下克上など必要ない、対等な関係。
そんな人が俺を好きだと言う。
一般的に整っているだろう顔で笑って、俺のことが好きだと言う。
だが俺は知っている。
この人が決して俺に触れはしないということを。
「ねぇねぇ次のお休みは暇?一緒に映画でも観に行かない?」
「生憎ですけど先約がありまして」
「えー!?誰と?女の子だったりしたら怒るよ!」
「何でアンタが怒るんですか」
恋人でもないのに、と言外に告げると目の前の相手は変わらない笑顔で笑った。
でも何も言わなかった。
・・・・・・・・・これだから、俺は。
右に曲がればテニスコート。
左に曲がれば真っ直ぐ校門。
嫌だが見慣れてしまっている後ろ姿を見つけて無意識のうちに眉を顰めた。
「じゃあ日吉若、部活頑張って」
笑って左に曲がろうとするその腕を引き寄せて。
離れた場所にいる相手を睨みながら抱きしめた。
「――――――先輩」
腕の中で身体を強張らせるのが判る。
「アンタはもっと、自分の魅力を知った方がいいですよ」
触れないのは意味があるからだと知っている。
アンタが俺に対して申し訳なく思っているのも知っている。
アンタが最後に―――――――。
アンタが最後に、あの人を選ぶことぐらい判ってる。
だけど確かに俺を好きなことも。
「・・・・・・・・・ごめんね、日吉若」
「謝らないで下さい。俺が惨めになる」
「うん、だけど」
「謝らないで下さい」
腕の中の身体を強く抱きしめた。
絶対に俺のものにはならない人。
遠くにいる跡部部長と目を合わせてきつく睨んだ。
「・・・・・・ごめんね」
小さく呟かれた言葉。
それは俺こそが言うべき言葉。
緩めた腕の中で笑う先輩はいつもとは違った顔で微笑んでいた。
この人は決して、俺のものにはならない。
左に曲がって真っ直ぐ校門へと向かっていく後ろ姿。
その途中で当たり前のように並んで歩き始める跡部部長。
それを眺めるしか出来ない俺。
握り締めていた手を解いてテニスコートへ、右へ曲がる。
意味のない恋なら「好きだ」なんて絶対に言ってやらない。
これ以上惨めになんてなりたくない。
腕の中の熱と柔らかさが一瞬のものだなんて、俺は嫌でも知っているから。
2003年9月16日