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黒豹一銭は見た。
目の前数メートルの距離で、サラリーマンの男が投げ飛ばされるのを。
ドッシーンという素晴らしい音と、アスファルトに立ち上る砂ぼこり。
リボンつきの三編みがふんわりと舞って。
ピンク色のセーラー服が翻る。
「アタシに援交させようなんざ一万光年早いのよっ!」
騒ぎを聞きて駆けつけてきた警察官にその男を引きずり渡して。
肩を怒らせて颯爽と去っていく少女。
コツコツコツとローファーの音が遠ざかっていって。
ダダダダダダダダダダダダダダダダ・ダンッ
ドゲシッ
下着が見えるのにも構わずに飛び蹴りをかましてから再度ダッシュで去っていった少女を、ギャラリーはおろか警察さえも追うことが出来なかった。
「なぁなぁお譲ちゃん」
カツカツカツカツカツカツカツカツ
「なぁ、待ってぇや。そのピンクの制服、十二支やろ?わいも一緒やねん」
テクテクテクテクテクテクテクテク
「せやけどさっきのキックはすごかったなぁ。あのリーマン、頭打ちつけて気絶してもうたし。攻撃力バッチシやん」
コツコツコツコツコツコツコツコツ
「いちごパンツも見せてもろうたし。わい、めっちゃ役得や」
「セクハラしてんじゃないわよ!このエロ学生がっ!」
「そうそう、怒った顔が可愛ぇ女の子なんて滅多におらへんで?自分、ホンマ別嬪さんや」
「アタシが可愛いのなんて当然でしょ!っていうかついてこないでよ、変態!」
「変態・・・・・・うわぁ、そこまで言うんか?」
「言うに決まってるでしょ!」
右足の踵を支点にしてクルッと振り向いてビシッと人差し指を突きつける。
もちろん空いた左手は腰へと当てて、それはもう完璧ポーズ。
自然、目の前の人差し指に視線が集中して、一銭の目が中央に寄って。
「「・・・・・・・・・・」」
微妙な沈黙の後、少女は言った。
「・・・・・・アンタ、馬鹿ぁ?」
それはもう、全身で呆れながら。
左手には定番のスクール鞄を肩から提げて。
右手にはセクハラ慰謝料としてせしめたアイスクリーム。
もちろん90円ソーダなんかじゃなくて、ブランド物の250円アイス。
「・・・・・・予定外の出費や・・・・・・」
「イタイケな女子高生にセクハラを働いたんだから、これくらい当然でしょ」
むしろ高級フルコースを奢ってもらっても割に合わない、と少女―――――猿野明美は握り拳を作って頷く。
とほほ、と肩を落としながら隣を歩く一銭の手には当然のごとくアイスはなく。
小金稼ぎに命を懸けていると言っても過言ではない彼にとって、250円アイスはかなりの痛手だった。
「〜〜〜おいしっ!やっぱアイスはダッツよねぇ!」
「・・・・・・・そーかそーか」
「えへへ、おいし」
嬉々としてアイスを舐める舌を見やって、一銭はほのかに溜息をつく。
チロチロと動く紅いそれに、まぁ250円くらいなら良いかと思って。
まったく、守銭奴である自分にとっては在り得なさ過ぎるこんな考え。
「クロヒョー・イッセンさん」
「せや。自分は猿野明美ちゃん」
「そうそ。新世紀のプリティー美少女☆あ・け・み!」
「・・・・・・それ、シャレにならんわ」
ボソッと呟いた言葉はどうやら明美には聞こえていないようで。
一銭はホッとしたように胸を撫で下ろして、そしてかすかな不満に唇を尖らせる。
明美はそんな彼の気持ちも知らずに首を傾げた。
「クロヒョー・クロヒョー・・・・・・あれ?どっかで聞いたような・・・・・・?」
「何や?ナンパしとるん?」
「誰がっ!――――――――――あ、そうだ、思い出した」
ポンッと拳を掌に打ちつけて、明美は満足そうに笑う。
「子津ッチューに聞いたんだ」
出てきた名前に、一銭の眉間にシワが寄って。
「・・・・・・子津って、野球部の?」
「そう。明美のラ・マンの一人」
うふふ、とアイスを食べながら笑う明美。
そんな彼女の言葉はどこまで本気なのかと悩む一銭。
「・・・・・・自分、子津と知り合いなん?」
「知り合いっていうか、ラ・マンだってば!」
「・・・・・・ラ・マンは一体何人おるん?」
「えーっと、牛尾キャプテンと、蛇神先輩と、ほっぺ先輩と、猪里先輩でしょ?あと司馬キュンと、比乃ちゃんと、たっつーと・・・・・・」
むーちゃんと、ろくくんと、はくちゃんと、こうちゃんと―――――とズラズラと挙げられていく名前。
何となく、何となく弾かれている数名がいるのではないだろうか、と一銭は思った。そう、それは直感で。
「明美はみんなの人気者だから、恋人はたくさんいるの」
微笑む少女はたしかにとても可愛らしくて。
あながち恋人がたくさんいるというのも冗談ではないのだろう。
―――――ちょっと、いや、実はかなりムカついたりもするのだが。
食べ終えたアイスの袋を近くのゴミ箱へと捨てに行く背中に、一銭は言った。
「ほな、わいもラ・マンの一人にしてくれへん?」
「・・・・・・・・・もう、両手じゃ足りないくらいにいるんだけど?」
訝しげな表情を隠さない明美に、一銭は楽しそうに笑って。
「そんなにぎょーさんおるんやったら、一人くらい増えてもえぇやん。わい、めっちゃ役立つやろうし」
「健ちゃん以上に役立つ人なんていないもん」
まぁ健ちゃんは親友なんだけど、と呟いて、明美は一銭を見上げた。
そして上から下までじっくりじーっくり観察して、顎に指を添えて考える。
品定めの視線を受ける一銭が手持ち無沙汰になったころ、ようやく明美は微笑んだ。
・・・・・・・・・ニヤリと。
「そーね、じゃあこの250円のアイスを一日一個。それを一万回続けられたら恋人になってあげる」
「・・・・・・・・・そんなん、単純計算で27年もかかるやん。そうなったら自分、43歳やで?」
「あら、失礼しちゃう!明美はいつまでも可愛いのよ?」
それに、とつけ加えて明美はもう一度微笑んだ。
先ほどと違って、今度は本当に愛らしく、美しく。
「オンナノコは愛を形にして欲しいものなの。それが判んないうちは、クロヒョーさんとはつき合わないから」
艶やかな笑みと共に、三編みが舞った。
それは、今までの黒豹一銭の価値観がすべて吹き飛ばされた瞬間だった。
「あ、やっぱり冬場はアイスじゃなくて肉まんとかおでんにしてね?」
「あーもう何でも奢ったるわ。未来のラ・マンのためやからな」
「うふふふ、期待してる」
結果が出るのはあと9999日後。
2003年7月24日