088:髪結いの亭主
渡された合鍵でオートロックを外す。
ここ三年で顔見知りになった管理人さんに挨拶をして、エレベーターに乗って6階に到着。
一番奥の扉を前にもう一度鍵を取り出して、ガチャッと音を立てて鍵を回した。
明かりのついていない真っ暗な部屋にため息をついて。
「・・・・・・・・・・まだ帰ってないのかよ、あいつ」
この部屋の主・を思い描いて俺は肩を落とした。
夜八時を回ってもベランダに干してあった洗濯は、もうずいぶんと冷たくなってる。
これは乾燥機にかけなきゃだめだな。とりあえず取り込んで、と。
ボタン一つで乾燥機を回すとゴォンゴォンという音が響いて、なんとなく静かだった部屋が明るくなった気がした。
ポケットの中の携帯を取り出して履歴から電話をかける。
5つ目のコールで相手が出た。
『・・・・・・南?』
「、おまえ何でまだ帰ってないんだよ? 今日は武蔵森に行ってすぐに帰ってくるはずだったろ?」
電話越しに聞こえた声がいつも通りだったから、知らず安心して。
「今どこだ?」
『聖ルドルフ』
「おっまえ・・・・・・! また巻き込まれたのかよ! いつも言ってるだろ!? 他の統治者のことなんかほっとけって!」
『大丈夫。もう終わったから今から帰る』
「大丈夫じゃねぇって! あーもうっ・・・何でおまえはいっつもそうなんだよ」
同じ統治者から信頼が厚いのはいいけれど、こうも呼び出されてばっかりじゃおまえの体が持たないだろうがっ!
そう叫びながら言ったら電話越しで苦笑が返された。
・・・・・・・・・判ってるよ。あーもう判ってる。
これが、俺たちの統治者なんだって。
これでこそ、俺たちの『山吹の覇者・』なんだってさ。
聖ルドルフからなら帰るのに40分もかからない。じゃあそろそろ夕飯を作るとするか。
鞄の中からビニールに包まれたタッパを取り出す。母親から持たされた、ぶり大根の煮物。
うちの母親はのファンだからな・・・・・・。いっつも家に連れて来いって言ってるし。
そういや千石や太一の母親もそうだって言ってたっけ。
本当に、のファンは世代・性別を問わず多い。・・・・・・つーか多すぎる。
そんなことを思いながら冷蔵庫を開ける。今日のメニューは・・・・・・カレーでいいだろ。
「っていうか、この多すぎるプリンは一体なんだ・・・?」
冷蔵庫の棚、一段を丸ごと占拠しているプリン。小さな器が4×5で計20個。しかも全部手作りだし。
視線を動かせば、キッチンのブックエンドに挟まれた料理の本が見える。
この和食のは東方で、洋食が千石。レタスクラブが室町で、このお菓子の本は・・・・・・。
「・・・太一か・・・」
手に取って裏返すと、油性ペンで『壇太一』と名前が書いてある。
付箋を開いてみればプリンとモンブランのページで。
「だからってこんなに作らなくてもいいだろうに・・・」
が一食一つ食べても10日はかかるぞ。
今度はもう少し量を考えて作るように言っておこうと思った。
二週間に一回のペースで、俺は定期的にの家を訪れる。
それは俺だけじゃなくて、千石・東方・室町・太一・亜久津と一週間に三人がそれぞれ別の日にの家を訪れている。(ちなみに新渡戸と喜多は非常要員だ)
その理由は、生活が不健康なを矯正させるため。
正確にはに食事を取らせ、ベッドで6時間眠らせるためだ。
は平気で食事を抜いたり徹夜で仕事を片付けてたりするからな・・・。
前に一度倒れて病院に運ばれたこともあって、それから俺たちは自主的にの家に通うようになった。
まぁ千石風に言えば「通い妻」らしい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぜってぇ違う。
たしかに洗濯を取り込んで、食事を作って、風呂を沸かして、を寝かしつけて――――――・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・妻じゃん、それって。
否定できない・・・・・・・・・・・。
でも、どちらかというと妻よりは母親だと思う。
何でも完璧にこなせるは何故か自分のことには無頓着で、だからこそ放っておけない。
だれよりも自分のことを知っている割に、どうでもいいように扱っているから。
そんなのはダメだと、思ったりする。
少なくとももう二度と倒れてもらっちゃ困る。
あの時は一緒にいた俺たちも倒れてしまうかと思ったから。
意識のないよりも真っ青な顔をした千石や、血管が浮かび上がるほど拳を握り締めた亜久津、一言も声を発しなかった東方。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺たちも、倒れてしまうかと思った。
と一緒に。
出来上がったカレーをグルグルとお玉で回しながら、俺も料理が上手くなったなぁなんて思ってみたりする。
まぁここ三年、ずっとのところに通ってきてるわけだし当然か。
千石なんか最近では凝り始めて焼き目をつけるバーナーまで買ってたし、東方は毎日部室のテレビで3分クッキングを昼休みに見てるし。
かという俺もスーパーの折込チラシとかチェック入れてたりするもんな。
やっぱり千石の言うように妻化してきてる・・・・・・・・・。
――――――まぁ、でもな。
ピンポーンと来客を告げるインターフォンに席を立った。
テレビつきのインターフォンにはロビーにいるの姿が映っていて、鍵を開ける。
さてと、もう一度カレーを温めなきゃな。ちょうどご飯も炊けたみたいだし。
千石じゃないけどラッキーなタイミング。
もう一度、今度は部屋のインターフォンが鳴って玄関へと迎えに出る。
俺と同じ白い学ランを着て、シルバーフレームの眼鏡をかけているいつも通りの姿を見て安心して。
「おかえり、」
声をかければ笑うから。
「・・・・・・ただいま、南」
俺も、嬉しくなったりするわけだ。
一年の頃よりは格段に上達した料理は、どうやらの口に合ったようで。
風呂に入れて、その間に軽く流した食器を食器洗浄器に並べて入れる。
が出たら俺も風呂に入って、そのあとは仕事があるって駄々をこねるだろうを無理やりベッドに入れて。
これが一番疲れるんだよな・・・・・・。
でもま、寝かさないと明日に響くし。
つーか俺が千石や亜久津に怒られるし。
覚悟を決めてやるしかないか。
「南、風呂空いたよ」
濡れた髪をタオルで拭きながらやってくるに、俺は笑顔を返しながら腹を括った。
2003年1月25日