071:誘蛾灯
「腹が減った」
跡部景吾は言った。
は読んでいた本からチラッと視線を動かしたが、何も反応を返さずに再び本を読み始めた。
跡部はそんなの様子に苛立った感じもなく、もう一度繰り返す。
「腹が減った」
「・・・・・同じことを二度言わなくても聞こえてるよ」
「なら大人しく俺に喰われろよ」
ソファーにふんぞり返って王様然として言う跡部に、はかけている茶色のフレームの眼鏡を押し上げて言い返す。
「この時間ならOLのお姉様方がまだ遊んでるだろ。見繕って来れば?」
「俺はオマエの血が欲しいんだよ」
「俺はヤダ」
「」
「ヤダ」
頑なな否定に跡部の目が光る。
灯りさえ点けない真っ暗な家の中、カーテンを閉めない窓から覗く星明りを照らしたわけではなく、
――――――――――真紅の瞳。
「オマエは腹減ってねぇのかよ? 最後に喰ったのなんて一週間前だろ」
「残念。俺は昨日食事したから」
「・・・・・・んだと?」
の言葉に跡部がさらに瞳を光らせた。
目を細めて立ち上がり、の腰掛けているソファーへと近づいた。
「」
片手を伸ばして強引に上を向かせる。
ガラス越しの茶色の瞳と合わせて。
「俺に黙って誰を喰いやがった」
「・・・・・・俺がいつ誰の血をもらおうが景吾には関係ないだろ」
「あるに決まってんだろ。オマエは俺のもんだ」
「勝手に決めるな」
「うるせぇ。オマエが何て言おうがオマエは俺のもんなんだよ」
ワガママにも程がある主張にはわざとらしく肩を落とした。
読んでいた本にしおりを挟んで閉じ、黒のローテーブルへと静かに置く。
その間も跡部の真紅の瞳はをじっと捕らえたままで。
「・・・・・・不二周助」
「あぁ?」
「だから俺の食事した相手。青学三年の不二周助。たしか景吾も知ってるんだろ?」
突然現れた名前に跡部の顔が奇妙に歪む。
「何でオマエが不二の血を吸ってんだよ」
「・・・・・・・・・自分の胸に聞いてみろ、バカ景吾」
「あーん?」
不機嫌そうな跡部にソファーに伸ばしていた足を下ろし、隣をポンポンと叩く。
座れ、との合図と判断して跡部がドサッと音を立てて座ると、はため息をつきながら口を開いた。
「先週の日曜日」
「・・・・・・?」
「オマエが俺を喰った日だよ。それくらい覚えてろ、バカ景吾」
「バカバカ言うんじゃねぇよ」
「バーカ」
「・・・・・・」
繰り返される悪態にいい加減苛立った跡部がの身体を引き寄せた。
自分の方へと倒して、その上に覆いかぶさる。
けれどは慌てもせずに話を続けて。
「その次の月曜日、オマエに喰われすぎた所為で腹が減ってたんだよ。そこに不二が通りかかって」
「喰ったのか?」
「話をして許可が下りたから。そうしたら今度から腹が減ったときは喰っていいって言うし」
「・・・・・・交換条件は? あの不二が無償でOKするわけねぇだろ」
「・・・・・・・・・」
「」
黙り込んだ相手に啄ばむようなキスを贈る。
触れるだけの可愛らしいキスに思わず目を丸くして、そんなに跡部自身苦笑する。
だけどそれを気に入ったのかは目を細めて微笑した。
「・・・・・・今の」
「あ?」
「今のと同じこと」
自分に向けられるのは珍しいの微笑に少し見とれながらも首を傾げる。
『今のと同じこと』
今、跡部がにしたことといえば――――――・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
嫌な予感に跡部がさらに整った顔を歪め、はそれを見て楽しそうに笑った。
「景吾、せっかくのイイ男が台無し」
「うるせ! オマエも不二なんかにキスさせてんじゃねぇよ」
「それで腹が膨れるんならいいだろ。通りすがりの人間を捕まえるよりも確実だし」
「何好き好んで男の血なんか吸ってんだよ。女喰え、女」
「知らない女性の首筋に跡をつけるなんて気が引けるし。その点不二なら楽かなって」
「楽で選んでんじゃねぇよ」
今度は噛み付くようにキスをした。
月光の光を浴びて煌めくを見つめながら。
舌を絡ませて軽く吸い上げる。
少しだけ乱れた息さえも飲み込むような近い距離で、跡部はそっとの眼鏡を抜き去った。
壁を作っていたガラスがなくなり、の瞳が現れる。
それは紛れもなく跡部と同じ、
―――――――――――深紅の瞳。
その瞼にキスを落とすとがくすぐったそうに笑う。
「満腹なら遠慮せず喰わせてもらうぜ?」
「景吾も俺以外のヤツの血を吸えよ。以前は食べてただろ、女の人」
「オマエ以外誰もいらねぇ」
そっと優しくキスをして。
「だけしか欲しくねぇんだよ」
穏やかに笑った相手にもう一度キスをして。
夜目に白く浮かび上がる首筋に、そっと歯を立てた。
2002年12月26日