067:コインロッカー
「太一! 太一! カメラの用意は!?」
「バッチリデス、千石先輩!」
「あぁぁぁぁぁスッゲー緊張するっ! 絶対喋れないって俺!」
「そんなこと言っちゃダメデス! 今度またいつ会えるかわからないんデスから!」
「そうだ! 太一良いこと言う! 頑張れ清純! 男ならここが勝負だ!」
「そうデス! 負けちゃダメデス!」
山吹中学男子テニス部部長・南は真剣に考えた。
今日、自分は試合に出るためにわざわざ電車を乗り継いでここまで来たのではないか、と。
周囲を見渡せばライバル校の姿もチラホラと見えて、その考えが間違っていないことに安堵のため息をつく。
しかしそれも束の間、南の確信は一瞬にして消えうせた。
「太一、俺変じゃない!? 十分カッコイイ?」
「いつも通りデス、千石先輩! 僕はどうデスか?」
「オッケーいつも通り可愛いよ〜!」
テニスバッグから櫛を取り出してオレンジ色の髪を梳く千石。
同じくテニスバッグから鏡を取り出してヘアバンドを直す太一。
ここはどこだ・・・・・・アイドル出待ち中の女子集団なのか・・・・・・?
南は脳裏で以前書いた退部届けのありかを思い出そうとしていた。
「室町、あいつら一体何やってるんだ?」
相棒・東方の声に南は出待ち中の二人から無理やり目をそらして振り返った。
話しかけられた二年生は相変わらずのサングラスの向こうで小さく笑って。
「あぁ、何でも今日は『さん』に話しかけるみたいっすよ」
「なるほど、だからそれで」
東方は納得したように、未だ鏡と睨めっこしている二人を眺める。
しかし南は意味が判らずに首をかしげた。
「・・・・・・・・・『さん』・・・?」
理解不能状態な南の呟きを聞きつけたのか、にわか女子高生二名が勢いよく振り返った。
その顔にはでかでかと『信じられない!』と書いてある。
「南、さんを知らないのぉっ!?」
「うわー! 信じられないデス! 遅れてるデス南部長!!」
だから何でコイツラはこんなに黄色い声を上げるんだ・・・・・・。
南はこめかみを押さえて沈黙した。
けれど乙女二人は気づかない。
「さんっていうのはー! 最近テニス会場に現れるめちゃくちゃ美形な男のヒトのことだよっ!」
「背が高くてスタイルが良くて顔が世界で一番整っている男性なんデス!」
世界で一番って、その主張はどこから来たんだ・・・?
「声も低いんだけど冷たくって甘いの! あぁもうあの声で『清純』とか呼ばれたら俺死んじゃう!」
「言葉遣いは悪いデスけどそれもさんの魅力の一つデス! あの人にだったら何言われても全然平気デス!」
あぁそうか、俺の平穏な暮らしのためにも死んでくれ。
「まとってる空気は冷たくって近寄りづらいんだけど、それもまたイイんだよねぇ! もう何? 完成された芸術品ってーの!?」
「でも笑ったときの顔がすごくすごくすごくすごくすごくすごく可愛くて綺麗でカッコよくて素敵なんデス!!」
そんなに強調しなくてもいいから、次の試合の準備をしてくれ・・・・・・。
南はわめき続ける二人を前にガックリと肩を落とした。
あぁ、山吹中テニス部はここまでかもしれない、なんて思いながら。
本気で退部届けに日付を記入しようと思ったそのとき。
「なぁ、青学ってどこで試合やってんの?」
聞こえてきた声に、一切の動きが止まる。
自分たちよりも低い声。
それは冷たい響きを持って、それでもどこか甘くセクシーで。
この声で囁かれたら腰が抜けてしまうのではないかと思えるような、そんな声。
開いた口のままどうにか振り返って南が見た先には、黒のスーツに身を包んだ男が一人いた。
ここにいる誰よりも高い身長で、手も足もスラリと長く、全体のバランスが見事なまでに整っている体躯。
黒髪が太陽の光を浴びて輪を作り、その小さな顔は目も、鼻も、唇も、眉も、すべてのパーツが美しく絶妙に配置されていた。
どこからどう見ても男性でありながら、同じ男さえも惹かれてしまう魅力がそこにある。
醸し出す雰囲気は冷たいもので、だからこそ見惚れてしまうような。
完成された男。
このヒトが『さん』なんだと、南は一瞬で理解した。
「なぁ、青学どこ?」
もう一度繰り返された言葉に、山吹中の面々はハッと我に返り、それでも言葉をなくしてパクパクと口を上下させるだけ。
話しかけると意気込んでいた千石と太一も、顔を真っ赤にして見入っている。
瞬きするのも忘れてしまったくらいに、目を凝らして。
「せっ・・・・・・・・・せ、青学、は、第5コートで試合、やって・・・マス」
裏返りまくりながら答えた室町を笑う者は誰もいない。きっと、自分でもそうなってしまっただろうから。
「そ、ありがと」
礼を言ってクルリと踵を返す。そんな動作さえも流れるように滑らかで。
後姿だけでもずっと見ていたいような気持ちにさせられる。
そんな彼の姿が小さくなりかけたところで誰かの動いた気配がした。
おそらく、試合よりも速いスピードで、固まっている同校テニス部員たちをかき分けて。
オレンジ色の髪をした少年が、一人。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁあぁああのっ!」
いつもの飄々とした彼からは考えられないようなどもり具合で、それでも懸命に声を振り絞って。
オレンジ色の髪から真っ赤になった首筋が見えて、南は知らず息を呑む。
必死の声に男が振り返った。
「・・・・・・・・・・・・・っ・・・」
「何」
深く思い切り息を吸い込む音がして。
「おっ・・・・・・お、俺! や、やややややややや山吹中三年! せんっ・・・千石清純って言いますっ!!」
「・・・・・・・・・・」
「あ、ああああああああああのっ、さん、ですよねっ!?」
「・・・・・・・・・だったら何だよ」
冷たい声に一瞬たじろいで、それでも千石はきつく握っていた拳を前へと突き出した。
「・・・こっ・・・・・・今、度! 遊びでもいいんでっ・・・俺と、遊んでくださいっ!!」
それはまぁ、日頃の彼にしては天地がひっくり返ったような台詞だった。
差し出された小さな紙を前に、男はその目を少しだけ細めた。
『遊んでください』との言葉。
そして目の前にあるカラフルなインスタント名刺。
名前と電話番号、メールアドレス、それにプリクラまで貼ってあって。
それが意味することは唯一つ。
ペットが一匹増えやがった、と男は思った。
「俺をナンパしようなんて100年早ェーんだよ、バーカ」
容姿からは考えられない言葉遣いに南は目を剥いて、けれど先ほど言われた言葉を思い出した。
今もなお顔を真っ赤にしている後輩が言っていた。
『言葉遣いは悪いデスけどそれもさんの魅力の一つだ』と。
全くもってその通りだと思う。
このヒトにだったら何を言われても平気。
そう思わせる何かが、この目の前にいる男にはあった。
―――――――――――完璧な美。
どんよりと落ち込んだ千石は首を大きく落としてうな垂れた。
あぁやっぱり叶わなかった、と涙の浮かびそうな目をきつく閉じて。
確かにこの人に釣り合う自分ではないのだけれど、直接断られるとひどく心が痛む。
張り裂けそうな胸を押さえようとしたとき、手に握っていた感触が消えた。
思わず、顔を上げる。
「経験積んでから出直しな、坊や」
柔らかな笑顔と、少しだけ笑みを含んだ声。
その手の中には今の今まで千石が握り締めていた小さな紙があって。
去っていく後姿に、今度は声もかけられなかった。
「ズ―――――ル―――――イ―――――っ! ずるいデス千石先輩! 自分だけ抜け駆けするなんてぇっ!!」
「だって太一は真っ赤になって見惚れてたじゃん。ここは俺の努力が実ったんだよ!」
ラッキーとは言わないのか、と南は変なところで感心した。
けれど先ほどの懸命な千石の姿はいつもの彼からは想像も出来なくて。
やっぱり努力なんだろう、と納得する。
―――――――しかし。
「千石さん。そのニヤけた顔はムカつくんで止めて下さい」
「うっわ! ヒドーイ室町君!」
「それもムカつきます。一発殴ってもいいですか?」
殴ったれ、室町、とは山吹中テニス部員全員の声。
それでも結局は室町と、太一と、東方と三人に殴られて、それでも千石は幸せそうに笑っていた。
本当に本当にニヤニヤと笑っているものだから南もつい殴ってしまい。
また会えないかな、なんて心の中で考えた。
こうして彼の名はテニスコートへと広まっていく。
2003年2月2日