029:デルタ





まさか、一番最初に聞きに来るのがこの子だなんてね?



部活前、ボールの入った籠を運んでいる途中。
かけられた言葉に振り返って。
まっすぐに自分を見つめてくる猫湖檜に鳥居凪はひそやかに目を細めた。



「・・・・・・・・・今、何て言いました? 檜ちゃん」
穏やかな声音に隠した本当の心。
けれど檜は視線を逸らさずに凪を見上げて再度繰り返す。
「・・・・・・凪は、猿野君のこと・・・・・・どう思ってるの・・・・・・?」
――――――あぁやっぱり。
凪は眼鏡の奥の瞳を楽しそうに歪めた。



練習の準備をしている部員たちの姿がグラウンドに見える。
けれど時が止まったように静止した二人。
凪はニッコリと微笑んだ。



「どうして檜ちゃんがそんなことを聞くんですか?」
いつもと同じように笑って。
でもその目は笑ってなくて。
檜はちゃんと気づいていた。
「・・・・・・・・・私は、猿野君が好きだから。だから・・・・・・教えてほしいの」
「・・・・・・・・・そうなんですか」
初めて知った事実のように驚いた振りして。
なんて滑稽な芝居。



いつか誰かが聞きに来るだろうとは思っていたけれど、まさか一番最初がこの子だなんてね。



彼は私が好きだと公言している。
私はそれに曖昧に微笑んでいる。
暗黙の了解。
私と彼の。



「好きですよ」



道連れに選ぶくらいには。
私は彼を愛している。
彼も私を愛している。
同罪な愛。
それは何よりも深く。



誰も私と彼を遮ることなんて出来ないの。



目を見開いた檜に凪は微笑みかけた。
それは少しだけ哀れみめいて、少しだけ嘲笑って。
ほとんどが慈しみだったからカモフラージュされていたけれど。
檜には判った。
凪は、彼を愛しているわけではないと。



愛憎は愛より深い。



この質問をしに来るべき人は大勢いる。
その大勢が、答えを恐れるあまりそれを避けているのだけれど。
中には聞く必要がないと決めている人もいる。
孤高の存在でしかないキャプテンや
二面性に過去を隠したマネージャー
幼さを必死で維持するピッチャーに
落ち着くことしか出来なくなってしまったショート
彼らは皆、知っている。
彼と彼女の関係が決して切れることはないことを。
だから、聞く必要がない。



「私が猿野さんに好き、と言えれば両思いになれるんですけれど、どうしても恥ずかしくて」



ご丁寧に頬を染めて。
いくらでも演じてみせる。
邪魔者を排除するためならば。
いくらでも。



檜はまっすぐに凪を見つめた。
今までの友達へ向けていたものではなく、敵を睨むかのように鋭い眼差しで。
ハッキリと、口を開く。



「凪なんかに、猿野君は渡さない」
「・・・・・・・・・」
「幸せになろうともしない凪なんかに、猿野君は渡せない」
「・・・・・・・・・」
「絶対、譲らない」
「・・・・・・・・・」



「猿野君は、幸せになるべき人だから」



真剣な瞳で言われた言葉に凪は微笑した。
楽しそうに唇を歪めて。
その心に闇を浮かべて。



「じゃあ、私は幸せになるべき人ではないと?」
「・・・・・・・・・」
「貴女はなぜ猿野さんが私を選んだのか判ってないんですね」
「・・・・・・・・・」
「あの人は、幸せになりたいのなら貴女を選んだのでしょうけれど」
「・・・・・・・・・」



「幸せになりたくないから、私を選んだんですよ」



それは完全な勝利宣言。
彼が選んだ道に何も言うことは出来ないのだから。
たとえそれが、光のない世界だとしても。



「残念でしたね、檜ちゃん?」



凪はもう一度笑った。
猿野天国と同じ笑い方で。



不幸せと幸せが時として交わることを、貴女はきっと知らないのでしょう?
だとしたら、それはきっと『幸せ』。



そして私と彼は永遠に『不幸せ』なの。





2002年12月23日