012:ガードレール
暗闇を走り抜けていく車のヘッドライトが眩しくて俺は目を細めた。
白いガードレールは腰ほどの高さもなくて。
一瞬で飛び越えられる。
違う世界へ。
一瞬で飛んで行ける。
『・・・・・・覚えてる? 僕のこと。それとももう忘れちゃったかな』
電話越しの声。
街の喧騒に混ざる。
『一度だけ対戦したことがあるんだよ、僕とは。もう4年も前のことだけどね』
言われてもすぐには思い出せない。
記憶に蓋をした、そのときの自分。
『そのときは僕たちロッサが2−1で勝ったんだったよね』
覚えていない、そんな有り触れたスコア。
あのときは、負けるのなんて珍しいことじゃなかった。
『試合終了のホイッスルが鳴った瞬間は今でも覚えてる。・・・・・・・・・負けた、と思ったんだ』
変なことを言う相手。
俺は知らない。
思い出したくもない過去をコイツは何で俺に聞かせるんだ。
『あの試合で僕とヨンサは完璧に君に押さえ込まれた。最初から、最後まで、君にマークされてサッカーをすることさえ出来なかった』
・・・・・・ヨンサ。
聞きなれない単語。
でも、頭の片隅に残っている。
フィールドで剥き出しの闘志を向けてきた相手。
その隣にいた、同じく聞きなれない単語の持ち主。
「・・・・・・・・・李潤慶」
『やっと思い出してくれた? 僕はのことを一度も忘れたことはなかったよ。毎日、夢に見るくらい思い出してた』
口にした名前と共に過去が押し寄せてくる。
蓋をした、記憶。
思い出したくなくて、でもそれだけが俺の全て。
『あの試合で中盤を支配していたのは紛れもなく、君だった。僕らはたまたま得ることが出来たFKで点を取れたにすぎない』
迫り来る歓声。
アスファルトの地面が芝に変わって。
車のライトが照明に変わる。
『あの日からずっと忘れたことはなかった。いつか、必ずと再戦するんだって』
「・・・・・・俺はもうフィールドには立たない」
『無理だよ、そんなの。は必ずまたフィールドに立つことになる』
「ありえない」
『が望む望まないに関係なく、の実力を周囲が放っておくわけがない。必ず、はフィールドへ戻る日が来る』
「ありえない」
『無理矢理にでも連れ戻すよ。僕はには負けない。僕の強さを証明してみせる』
力強い声。
フラッシュバックされた記憶の中に、それはあった。
相手チームのMF。
自分が完全マークを命令された選手。
あの頃の自分は、どうしようもなくて足掻いていた。
辞められることなんて到底出来ないサッカーを続けることが苦しくて泣き叫ぶことも出来ずに堪えていた。
「俺は、もうフィールドには立たない」
『それは仲間が嫌いだから?』
「・・・・・・・・・そうだ。甘い気持ちでサッカーをしているヤツラとやるくらいなら、俺はサッカーを辞める」
それは遥か昔に決めた事。
自分のサッカーを他人に引き摺り下ろされるくらいなら、そんなチームは願い下げだ。
俺は馴れ合いのサッカーをしたい訳じゃない。
ただ、上だけを見るサッカーを。
『じゃあ、韓国に来ればいい』
ガードレールに反射した車のライトに目が眩んで。
足元の芝の感触が一瞬でアスファルトへと戻って。
視界と思考がクリアになって。
目が覚めるように。
始まりを告げるように。
息が、詰まる。
「・・・・・・何、バカなことを」
『バカなことなんかじゃないよ。僕は真面目に言ってる』
「それこそ、バカだ」
『少なくとも僕は真剣にサッカーをしている。韓国では弱気になった奴から落ちていくんだから、そうなる訳には行かない』
「・・・・・・・・・」
『誰もが下を見る余裕なんてないくらい必死なんだ。ここでなら、の望むサッカーが出来るよ』
・・・・・・・・・本当に?
それが本当なら、何て甘美な誘惑。
欲しかったものがそこにある?
俺の手に入れたかったものがそこにある?
共に上だけを見て走っていける仲間がいる?
それが、本当なら。
それなら何も迷うことはない。
迷うことは、ない。
『が来るなら僕は喜んで迎えるよ。チームの手続きだって住むところだって全部任せてくれていい』
「・・・・・・・・・」
『すぐに決めることは出来ないだろうしね、また電話するよ。そのときはいい返事が聞けると嬉しいな』
「・・・・・・・・・李」
『僕と一緒に世界の頂点に立とう、』
途切れた電話。
いきなり現れた未来へのルート。
それをどうすればいい?
求めたものは手に入るのか?
ずっと欲しかった仲間を、得ることは出来るのか?
低いガードレールなんて一瞬で越えられる。
違う世界へ。
一瞬で飛んで行ける。
後は、俺が望むだけ。
握り締めた冷たいガードレールは思ったよりも強硬で。
―――――――――――――思っていたよりも、高そうに見えた。
2002年12月8日