不定休スペシャリスト





四天宝寺中テニス部コートの片隅には、樹齢百年を越える桜の木が植わっている。開校当時から綺麗な花を咲かせ、毎年の春を彩ってきたその木は四天宝寺の象徴と言っても良い。生徒が五人腕を広げてようやく囲める太さの幹に、今はテニス部の面子が集まっていた。難しい顔で天を仰いでいる姿に、遅ればせながらに着替えを終えた謙也と財前が近づく。
「何しとんの、おまえら」
「あぁ。いや、師範のタオルが引っかかってしもうてなぁ」
ほら、と白石が指差す先では、ひらひらと確かにタオルがはためいている。随分と風に煽られたのか、位置はほぼ木の頂点だ。細い枝に引っかかって、高さは地面から十五メートル以上はあるだろう。
「何や、漫画みたいやなぁ」
「飛んでいくときも、ひらひらーって漫画みたいだったばい」
「せやけどどうするん? あないな位置やと棒でも届かへんよ?」
「金太郎にでも取らせればええやろ。あいつならいけるんちゃうか?」
「すまん、金太郎はん・・・」
今日は補習のため遅れている一年の名を挙げて、解決策を模索する。人間離れしている金太郎の身体能力なら、確かにこの木の先まで登ることが出来るだろう。体重も軽いし、降りてくるのも楽そうだ。白石たちがそう結論付けていると、興味なさそうにタオルを見上げていた財前が呟いた。
「別にあれくらい、金太郎やなくてもいけますわ」
え、と振り向いた謙也にラケットを押し付けると、財前は桜の大木から少しばかり距離を取る。「財前?」と先輩たちが不思議がっているうちに軽い助走を始めたかと思うと、地を蹴って周囲の度肝を抜いた。
「なっ・・・!」
「何やあいつ、猿か!」
「財前! 危ないから下りてきぃや!」
慌てて白石が声を放つが、返ってくるのはがさがさと葉の揺れる音だけだ。一歩で太い幹を蹴りつけて一番低い位置の枝に両手をかけると、財前はあっという間にくるりと乗り上げたのだ。そこから先も一歩一歩確実に、というよりは枝から枝へと腕力と瞬発力を活かして飛び移っていく。姿は瞬く間に見えなくなり、葉の揺れ具合だけが、財前が今どこにいるのかを下にいる謙也たちに知らせる。あはは、と千歳が笑う。
「珍しかばい。財前がこんなことするっちゃあ」
「機嫌がええなぁとは思うてたんやけど、まさかここまでやったとはなぁ。さっきも部室で鼻歌を歌うてたし」
「機嫌がええと木登りするんかい。どこの猿や」
「新たな一面やね! 可愛いわぁ、光!」
「浮気か、小春!?」
謙也が呆れている一方で、ぎゃあぎゃあと恒例の痴話喧嘩が始まる。緑の葉で生い茂る頂点に、ぴょこっと財前が顔を出した。手を伸ばして枝の先に引っかかっているタオルを捕まえる。真下からだと見え辛いため、少しばかり距離を取って見守っていた白石と銀に向かって、財前は成果をひらひらと振ってみせた。
「師範、これでええっすか?」
「おおきにな、光はん。せやけど危険やから早う降りてきてや」
「財前、ゆっくりやで? 怪我したら元も子もないんやから」
「部長、心配しすぎっすわ」
遠目にもにやりと笑って、財前はまた姿を消す。そして登っていった時間の三分の一もかからずに、またしても地面に現れた。それは本当に飛び降りてきたという表現が相応しくて、見事着地してみせた財前は相変わらずクールに立ち上がろうとしている。金太郎が騒がしい猿だとしたら、財前はスマートな猿だ。どちらにせよ何だこいつ、という眼差しでユウジなどは財前を見ている。
「師範、どうぞ」
「あぁ・・・おおきに。光はんは木登りが得意やったんやな」
「木登りっちゅうか、これくらい出来て当然っすわ。やないと、あのゴンタクレの幼馴染なんかやってこれへんし」
差し出されたタオルを銀が受け取る。手のひらも膝も足も、どこも怪我したり擦ったりしている様子はなく、言葉通り財前が慣れている様子を感じさせた。だからといって木登りはないだろう。周囲がそんなことを思っていると、ようやく補習が終わったのかダッシュしてきた勢いのまま金太郎が財前の背中に飛びつく。
「光ーっ! さっき見てたで! 木に登っとったやろ!? 今日は機嫌ええんやな!」
「阿呆、俺は年中無休で上機嫌や」
嘘付け、という周囲の突っ込みは、やはり機嫌がいいらしい財前には届かない。
「ほな、今日はワイとラリーしよ! なぁなぁええやろ!? ひかるぅ!」
「しゃーない、相手したるわ。おまえの超ウルトラグレート何たら山嵐も破ったる」
「光、ほんま機嫌ええなぁ! ワイも負けへんでぇ!」
はよ行くで、と金太郎は強引に引っ張っていく。いつもなら適当にいなして相手を断る財前も、今日ばかりはどうやら対応が異なるようだ。さっさと始めたラリーもテンションが違う。攻めるのも守るのも一歩どころか二歩は早くて、随分と気分が乗っている。ポイントを奪ってくるりと回されるラケットと、微かに聞こえる英語の歌詞がまさにそれを証明していた。
「・・・機嫌がええと天才全開なんやな。財前、年中無休で上機嫌にならへんかな」
「いや、それは無理やろ。っちゅーか、それはもはや財前とちゃうで」
感心する白石に突っ込みを入れつつ、謙也は呆れ顔でコートの後輩を眺める。一年で数回しかない財前の上機嫌の理由が、ずっと欲しかったインディーズの絶版アルバムが手に入ったからだということを知っているのは、唯一部室で軽く話した謙也だけなのだった。





財前の可能性を模索する。金ちゃんの幼馴染(だといいな!)なら、引っ張り回されてこれくらいはお手の物かな、と。
2010年8月16日