時折脳裏を掠める鮮やかな日々は、すでに優しい思い出となっている。阿呆やったなぁ、なんて苦笑しつつ、日々の仕事に追われて、それでもインスピレーションの源になることも少なくはない。時間はとめどなく流れていく。そうして自分たちは、違う道を生きている。





時がきらきら花咲かす





大阪の高校を卒業した後、財前は生活の場をイギリスへと移した。もともと小学生の頃は商社マンである父親の仕事の都合で、イギリスで暮らしていたのだ。価値観形成に大きな影響を与えた国は、数年の時を経てなお財前にとって居心地が良かった。中高とアメリカ英語を学ばされたが、やはり口を突いて出るのは滑らかなクイーンズ・イングリッシュ。ひとりでイギリスの大学へ進むことに両親は心配を隠さなかったが、止めても無駄だということは分かっていたのだろう。もしかしたら密やかに、息子に日本は合わないということにも気づいていたのかもしれない。背を押して送り出され、財前はイギリスの地を踏んだ。そのときにはすでに決めていた。日本にはもう戻らない、と。
大学では情報学を専攻したが、一方で昔からずっと好んでいた音楽活動を始めた。パソコンでの作曲は相変わらず続けていたし、少しずつ歌詞もつけるようになった。楽器はベースとギターを弾くことが多いけれども、自ら進んで歌おうとは思わない。知り合ったバンドに望まれて楽曲を提供した。少しずつその数が増え、インディーズで名を知られるようになった。学位を取得する頃にはレコード会社から勧誘を受け、金銭のやり取りを行うプロの作詞作曲家としてイギリス音楽界に一歩を踏み出した。生活費くらいは両親の仕送りに頼らず、自分で賄えるようになった。
最初は映画やCMに使う曲を作成した。そのうち有線でのみ流れるような、あまり有名ではない歌手の曲を担うようになった。イギリスの音楽でありながらも、やはりどこか日本的な感性を覗かせる財前の曲は、決して万人向けではなかったけれども一部のリスナーと音楽家に熱狂的なファンを得た。少し年齢のいった国民的歌手に見出され、彼のアルバム製作に参加した。ベーシストとしての腕を見込まれ、レコーディングでは演奏も担当した。そうして財前には作詞作曲家だけではなく、スタジオミュージシャンという肩書きが増え、気づけば音楽だけで食べていけるようになっていた。四天宝寺中を卒業して、すでに十年の時が経過していた。

財前は高校に進学するにあたって、テニスを辞めた。決定的な理由はなかったけれども、中学三年の全国大会を終えていざ引退となったときに、「あぁ、もうええわ」と感じたのだ。四天宝寺でのテニスは楽しかった。けれども、それだけだった。楽しかったけれども、それだけだった。だから財前はテニスを辞めた。続ける意義が見出せなかった。
何でや、と進学した高校まで押しかけてきたのはダブルスを組んでいた謙也だった。テニスを辞めるとなれば高校を選ぶ基準など財前にとっては距離の近さだけとなり、自宅から徒歩十分の府立に決めた。朝練習もなくなって、毎朝八時に家を出ればホームルームには余裕で間に合う。放課後は本屋でバイトを始め、その頃から少しずつ留学費用を貯め始めた。そんな矢先のことだった。
「財前! おまえ、テニス辞めたって・・・何でや!? 何でなん!?」
帰り際、校門で待ち伏せしていた謙也は久し振りに会ったこともあって、財前の記憶よりも身長が伸び、骨格が立派になっていた。そのとき、どんな返事をしたのか財前はよく覚えていない。ただ不思議に思ったことを覚えている。中学と高校で部活を変える生徒など、決して珍しくはない。むしろ半分近くがそうだろう。しかし財前がその選択をしたとき、謙也は嘆き驚き、そして不理解を示したのだ。理性では理解していた。チーム戦でとはいえ全国大会に出場し、「四天宝寺の天才」とまで讃えられた自分がテニスを捨てる、謙也はその行為が許せなかったのだろう。けれど感情では、どうして分かってくれへんのやろ、とも考えていた。テニスをしていなくても、それでもちゃんと自分は自分、財前光なのだ。同じ高校に進み、同じ部活に入り、同じコートに立たなくては、認めてもらうことが出来ないのだろうか。だとしたら財前光という人間は、一体どこにいるのだろう。
部活は辞めたけど、テニスを辞めたわけやない。ストテニでええんやったら、いつでも付き合いますわ。そう言った財前に、謙也は情けなく眉を下げて、けれど目だけは吊り上げて、「もうええ」と言って去っていった。おまえとまたダブルス組みたい思うてた俺が阿呆やったんや。そう残されて、果たして財前にどうすることが出来ただろう。財前だって、謙也とダブルスを組むことは楽しかったし、白石をはじめとした仲間たちとするテニスが好きだった。だけど、それだけだった。泣いたり笑ったりして過ごした三年間は確かに輝いていたけれども、それでも財前はその三年で勝利を掴むことが出来なかったのだ。あの仲間と掴めないのなら、それは永久に手の届かないものに違いない。だから財前はテニスを辞めた。光は諦めが早すぎる。それ、良くないで! そう言った金太郎との縁だけが、十年経った今でも細々と継続されている。

今はある歌手のレコーディングで、校外のスタジオ施設に来ている。予定では二週間のはずだったが、所詮予定は予定だ。歌手の調子やテンションに左右されて遅れることは珍しくない。三週間目に入った朝、いい加減に慣れてきた固いベッドで財前は目を覚ます。日本よりも涼しいイギリスの気候は、暑さに弱い財前にとって大きな助けとなっている。携帯電話で時刻を確認すれば、メッセージが一件録音されていることに気がついた。留守番電話だ。決定キーを押して耳に当てれば、少しのノイズを混ぜて声が聞こえてくる。日本にいる両親からだった。兄とその嫁、甥と今年五歳になる姪の声も入れ替わり立ち代わり聞こえてきて、思わずふっと笑みが零れてしまう。もうそんな時期なんか。ひとり呟いて、寝巻きにしているティーシャツを脱いだ。
「おはよう、光」
「おはようございます」
「今日こそ撮りが終わるといいなぁ。せめてサビだけでもいいからさ」
「せやないと編曲の出番もないですしね」
「ここの食事も飽きてきたし。あー早く帰りてぇ」
施設の食堂に入れば、すぐに馴染みのスタッフが声をかけてくる。歌が入らない限り出番のない面子も多く、所々で愚痴が零されているが、これも慣れた光景だ。トレイに好きな食事を載せて、最後に財前は紅茶のカップを手に取った。イギリスの生活で唯一文句があるとするならば、それは間違いなく食事だった。日本食ってほんまに美味いんやなぁ、と今でも度々噛み締める。見た目も味付けも何もかも、日本の食事は素晴らしかった。味気ないパンを飲み込みながら財前は心に決める。ロンドンの自宅に戻ったら、まず味噌汁を作ろう。否、贅沢は言わない。いっそ梅干でもいい。炊き立ての白米に焼き魚と肉じゃが、善哉がついてきたなら最高だ。イギリスに来て、自然と財前は料理をするようになった。母親の味を思い出しながら、ちょいちょいと試してやっている。上手くいかなかったら日本の母親に電話して聞く。そうしてレパートリーは増えていく。

財前は、テニスを辞めたことを後悔していない。ただ十年経った今となっては、もう少し続けても良かったんじゃないかとは思い始めている。高校の三年間を、テニスに費やしてみても良かったかもしれない。例えばそれは謙也の隣に立って、あの時と同じメンバーで全国を目指したり、あるいは敵としてネットを挟んで相対したり。結果はやはり勝利を得られず空しいものになったかもしれないけれども、それも良かったかもしれないと思えるのは、間違いなくあれから十年の時が流れているからだ。せめてあの時、謙也にもう少し上手いこと言えていたのなら、今でも交流は続いていたのかもしれない。そんなことを光は思う。
だけど、今の生活だって後悔はしていないのだ。イギリスという国は自分に合っているし、音楽と生きていられることは幸せだとも感じている。ひとりだけれども寂しくはないし、それは独立しているということではなかろうか。テニスを辞めたから、今の自分がある。ならばあの時の選択は正しかったのだと、そう思う。
今度、手紙を書いてみよう。今更何をと思われるかもしれないけれど、過ごした日々は十分に楽しかったのだと遅ればせながらも伝えたい。ラケットは今でも時々握ります。レコーディングの合間に、スタッフとやったりします。ウィンブルドンも観に行きました。テニスが嫌いになったんとちゃうんです。あんたらのこともほんまに好きやったけど、好き過ぎたから勝てへんかったのが辛かった。
諦めが早すぎるっちゅう金太郎の言葉、今やったら素直に頷けますわ。

「光? 光ー?」
空いた時間にギターを抱えてメロディを作っていると、女性スタッフの名を呼ぶ声が聞こえてきた。イギリス人女性は美人が多く、概ね財前の好みだけれども、作る料理に全般的な問題があるため結婚したいとは思わない。するならやっぱり日本人かフランス人やな、などと考えながら「こっち」と手を掲げれば、すぐに彼女は気づいて近づいてきた。
「ごめんなさい、作曲中だった?」
「いや、構へんし。何かあったん?」
「光にお客様よ。入口のホールにいるわ」
「客? こないなとこまで来る人がおったかな」
レコード会社の人間はスケジュールを知っているから、まず携帯電話に連絡を入れてくるだろうし、他に個人的な付き合いのあるミュージシャンを数人思い浮かべるけれども、スタッフは「違うわ」と首を振って、くすくすと笑った。
「日本人の男の子。背中にテニスのラケットを背負って、スタジオのフェンスを乗り越えようとしてたの」
「・・・そいつ、豹柄の服着とった?」
「ええ。『ひかるー! ひかるー!』って一生懸命叫んでいるから可愛くて、つい案内しちゃった。友達?」
聞かれて、多分、と曖昧に頷いてしまったのは仕方がないだろう。ギターを手放して、溜息を吐きながら立ち上がる。スタッフと連れ立って歩き出せば、そういえば、と彼女は小さく首を傾げた。
「あの子、しきりに『たんじょーびいわいにきたでー』って言ってたけど、あれってどういう意味なの? 日本語よね?」
「誕生日っちゅうんは、Birthdayのことや。俺、今日が誕生日やから」
「え? ・・・えぇっ!? そうだったの!? やだ、言ってくれれば良かったのに!」
「もう二十代後半やで? 喜ぶ年とちゃうし」
「それでもケーキくらい用意するし、スタッフみんなで祝うわよ! ここ最近スケジュールも行き詰ってたから、気分転換にも良いじゃない? 今からなら夕食に間に合うわね。うん、空いてるスタッフでケーキ買ってくるわ!」
「あんま派手にされたないんやけど」
「私たちが楽しみたいの! 仲間の誕生日じゃない? 祝わせてよ」
おめでとう、光。携帯電話のメッセージで家族に祝われて以降、二度目の祝福は頬へのキスのおまけ付きだった。またね、と照れたように笑って彼女が廊下の向こうに消えていき、財前も一度肩を竦めてから歩みを再開する。入口ホールのソファーセットが見える。背を向けて座っている姿が、どこから財前が来るのか探してぴょこぴょこと揺れている。とっくに成人を迎えたというのに、金太郎は身体ばかりが大きくなって、中身はいつまでも子供のように純真だ。今ではラケットひとつを抱えて世界中を旅し、プロとなった越前とも時折プライベートで試合をしているのだと聞いている。金太郎は四天宝寺中の卒業生で、今もテニスと共に生きている唯一の人間だ。そしてこうして財前に会いに来てくれる、唯一の存在でもあった。
赤茶の髪が視線に気づいたのか振り返る。瞳をぱぁっと輝かせて立ち上がり、金太郎はまるで子供のように両腕を大きく振った。
「光、誕生日おめでとう! ワイ、今年も祝いに来たでぇ!」
「阿呆。こないなとこまで押しかけてくる奴がおるかい」
口では貶しつつも、久し振りの再会に唇は緩んでしまう。それが分かっているから、駆け寄ってきた金太郎も笑顔満面で抱きついてくるのだ。すでに身長は抜かされてしまったため、拘束する力が少し苦しいけれども、年に一度くらいは許してやろう。
「光、光、生まれてきてくれてありがとうな!」
毎年贈られるこの言葉が、財前はとても好きだった。おおきに、とハグを返せば、金太郎が嬉しそうに笑う。イギリスに移ってからも変わらない誕生日の習慣に、密やかに喜ぶ財前はまだ知らない。
金太郎がプレゼントと称して持参してきたDVDに、かつての仲間たちからの祝福の言葉が詰められていることを。財前と同じように謙也たちも十年を過ごし、そしてようやく過去を優しく振り返れるようになったのだということを。たまには帰って来ぃや、一緒にテニスしよう。その言葉に思わず涙腺が緩んだ財前を抱えて日本へ飛ぼうとする金太郎と、まだまだ仕事が終わらないため逃がして堪るかという音楽プロデューサーの間で熾烈なやり取りが繰り返されることなど、誕生日を噛み締めているこの瞬間の財前はまだ知らないのだった。





財前、誕生日おめでとう! 個人的に「父親が商社マン+好みはイギリス系インディーズ=財前はイギリス帰り」説が好きです。それすなわち跡部様とイギリス時代に知り合いだったっていう可能性も出て来るしね!
2010年7月20日