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大阪国際空港から熊本空港まで、フライトは約一時間。機内の音楽番組は客室乗務員の案内もあって全部聞くことが出来ず、そのことに不満を感じながら財前は飛行機を降りた。九州の地は心なしか大阪よりも暖かい気がするけれど、それも思い込みか気のせいだろう。荷物は業者に頼んでしまったから、持っているのは小さなショルダーのみだ。母親の手からボストンバッグを奪えば、ありがとう、なんて言葉を返される。兄夫婦とその甥がおらず、これから三年間は両親と自分の三人だけの生活になるのかと思うと、少しばかり違和感があって財前は戸惑っていた。けれどじきに、そんなことにも慣れるだろう。両親の後に続いて、到着ロビーを歩いていく。
例えば両親だとか、兄だとか義姉だとか、近所の人だとか、クラスメイトだとか教師だとかに。夏からこっち、変わったとよく言われるようになった。けれども財前にその自覚はない。彼らの表情が一様にして穏やかなものだから悪いことではないのだろうけれど、どんだけおまえが俺のこと分かっとんのや、と相手によっては言い返したくなることもある。変化している自覚など、財前には欠片もないのに。
相変わらず早起きは苦手だし、口の悪さは直す気もない。冷蔵庫を開けて善哉があれば嬉しくなるし、自転車をこいでいるときに口ずさむのは自作の曲だ。模試の結果が良かったのだって時間が余って暇だったから勉強をしてみただけで、学校の授業は適当に聞き流しているか居眠りをしている。テニスに関しても体格が良くなった分だけパワーは身についたけれど、未だ金太郎に力押しでこられると敵わない。悔しいからテクニックとゲームメイクで負かせてみせれば、「光は意地悪や!」ときーきー喚く様が面白いと心底思う。他人に罵倒を浴びせることを厭わないし、不機嫌を表出させることに自制はない。そのくせ嬉しいことがあっても表立って表現できないのだから救いようがない。底意地の悪さは我が事ながら相当なものだと思っているし、女子に「格好いい!」と叫ばれようと、家では平気で上下スウェットの格好でごろごろと床を転がったりしている。好悪が激しくて人付き合いも悪い。こないな男とは絶対に係わり合いになりたないわ、と財前は心底自分をそう評する。
「せや、携帯」
思い出してポケットから携帯電話を取り出し、フライト中は切っていた電源を入れ直す。少しして映し出される待ち受け画面はシンプルなカレンダーだ。時折気に入った写真が撮れたら待ち受けにすることもあるけれど、基本的には便利なのでカレンダーを設定している。メールを起動して、センターに問い合わせをする。切っていたのは一時間だけだというのに、携帯は震えてメールの着信を知らせた。自動振り分けで分類されるフォルダは、四天宝寺。テニス部というカテゴリーから先日改名したばかりのそこには、謙也からの未読メールが収められている。タイトルからしてすでに「あほ!」とあって、あんたの方が阿呆や、と呟いてメールを開く。
『何で今日引越しやて言わんかったんや! このボケ!』
「・・・すぐに全国で会うからに決まっとるやろ。あんたこそボケや」
ストテニに誘いに行ったら義姉さんに今日熊本に発ったて教えられた、そんときの俺の気持ちが分かるか薄情者! つらつらと何行にも亘り黙って大阪を去った不義理を責められ、一応最後まで目を通してから財前は携帯を閉じる。返信は後で構わないだろう。熊本ラーメンの写真でも撮って、添付でつけてやればいい。美味いっすわ、というコメントも入れて。きっと謙也は更に怒ってメールどころか電話をしてくるかもしれないが、たまにはそれも良い。今まではすぐに会えるような距離にいたし、連絡手段はメールが主だったけれど、今後は電話で声を聞く機会も増えるだろうから。もちろん、そうそうこちらから連絡してやるつもりはないし、たまにだろうけれども。
自分は変わらないと、財前は思う。生意気で、愛想がなくて、口が悪くて、素直じゃなくて、テニスが好きで、四天宝寺が好きで、言葉には決して出さないけれど、あの、三年間、共に過ごした仲間のことが大好きで、本当に大好きで、どれだけ感謝をしても足りなくて。
情けない。けれどそんな自分も、まぁいいんじゃないかと思える。変わったというのなら、きっとそれだけだ。どうしようもなく悪足掻きする、格好悪い自分のことを少しだけ好きになれた。
未完成こそ美しく尊い、全てはまだ結末を迎えてはいけない
「光。あれ、千歳君やないの?」
母親の声に顔を上げれば、出入り口の賑わっている人混み中に一際高い身長が見えた。頭ひとつ分は違うのですぐに分かる。約一年会っていなかったが千歳の容姿は元がおとなびていたので大して変わっておらず、おっとりとした彼にしては珍しく忙しなく周囲を見回している。その視線が財前を捕らえたかと思うと、ふわりと綻んだ。人を掻き分けて駆けてくる。いつ着くかなど連絡はしていなかったのに、教えたのは一体誰だ。義姉に聞いた謙也か、それともオサムか、意外なところで金太郎か。どいつもこいつも怪しくて話にならん。呆れているうちに、財前は千歳の長身に抱き込まれてしまう。
「待ってたばい、財前! 熊本によう来たけん!」
「暑苦しいっすわ、先輩」
こら光、なんて両親は咎めてくるけれども、千歳は笑顔なので問題はない。財前の身長が伸びた分だけ、目線が近くなっている。それでも、それ以上に距離が縮まっている気がして、財前は無意識のうちに笑っていた。千歳の肩越し、青空の中を飛行機が飛んでいく。
テニスが好きだ。四天宝寺が好きだ。仲間のことを、心から想う。健やかであってくれと、切に祈る。多分これが、愛してるということ。
「千歳先輩。家についたら、すぐにテニスコートに案内してくれません?」
「よかよか。財前は相変わらずせっかちたいね」
「何や今、めちゃめちゃテニスしたい気分なんすわ」
駆け出したい足で、一歩を踏み出す。未来が楽しみで財前は笑った。春の日差しよ、早く夏に変われ。そして何度でも戦いの季節がやってくる。毎日が楽しい。生まれて初めて財前は胸を張り、自らの足で地に立った気がしていた。あの孤独の日々は、無駄ではなかった。
これにて完結。お付き合いくださりありがとうございました!
2010年6月20日(title by
hazy
)