『勝ちたい奴だけ残れ。最悪、レギュラーの数だけ部員がおればええ。何してでも勝ちたい思う奴だけついてこい』





信じてないのに祈るのね





卒業まで二週間を切った。府立中学である四天宝寺の卒業式は、私立に比べれば少しばかり遅い。テニスを通じて知り合った他校の同級生たちからメールを貰う度に、白石はついに自分の中学生活も終わりを迎えるのだとひしひし感じざるを得なかった。制服とも、校舎とも、慣れ親しんだテニスコートともお別れだ。だが、白石には心残りがあった。有終の美を謳う彼にしては珍しく、己の手で整理することの出来ない事柄が、四天宝寺には残されてしまう。それが悔しくて、切なさを帯びていてどうしようもない。
「財前やないけど、まぁしゃーないやろ。おまえらがあいつと年が違うっちゅーんはどうしようもない事実やしなぁ」
トレードマークのチューリップハットを被り直して、オサムは煙草をくわえる。場所がテニス部の部室であるために火はついていない。この教師は生徒の前では決して煙草をふかしたりはしなかった。そんな点を白石は非常に好ましく思っていた。部室も、もはや懐かしい。全国大会の後に引退してからは、ロッカーの整理をするときくらいしか立ち入ることがなかった。財前が嫌な顔をするからだ。チームの邪魔せんでほしいっすわ、と表情で如実に語るから、白石たちは遠慮しなくてはならなかった。二年のはじめから部長の座についていたから、白石も財前の気持ちが分からなくもない。ただやはり、寂しい。
「・・・数、随分減ったんちゃいます? 二十五おらんでしょう」
「おまえら三年が引退して残ったのが三十三やったろ? この前ついに二桁超えたで。退部者が十人や。これからもっと辞めるやろうなぁ」
「ほんまにレギュラー分しか残らんかったらどないするんです?」
「それこそ残った奴は強者やんか。財前のしごきに耐えられるんやで? 関西大会を勝ち抜く実力は十分につくやろ」
「テニスを楽しむんが四天宝寺の方針やったんやないんですか」
「ちゃうな。『勝ったモン勝ち』がモットーや。せやから俺は止めへんで。財前が部長や。好きにしたらええ」
窓からはテニスコートが見える。三面あり、今はサーブの練習のようだった。相変わらず金太郎の一撃は嵐のようで、周囲の部員が慌てて逃げている。それを綺麗に無視して財前は声を飛ばしているようだった。あの、滅多に自ら動こうとはしなかった財前が、だ。練習量は確かに増しているけれども、それだって常識の範囲内。ただ、中身は違った。徹底的に鍛え上げるそれは基本を身体に叩き込ませることであり、繰り返される基礎練習ばかりに根を上げて辞めていく部員がこの数ヶ月で増加している。財前の物言いが厳しいという理由も多分にあるのだろう。詰られた部員がかっとなって財前に殴りかかったという話も聞いた。それでも態度を崩さずに、財前は四天宝寺を纏め上げようとしている。勝って笑うのではない。笑いたいなら勝て、と言うのだ。
「・・・・・・俺、それなりにやってきたつもりやったんですけど、自信無くしましたわ。財前に何も残してやれんかったんやなぁ・・・」
可愛がってきたつもりだったが、それだけではいけなかったのかもしれない。放任していたのが悪かったのかと今更ながらに白石が悔やめば、オサムはからからと笑って部誌を閉じた。そこに綴られているのも部長である財前の字だ。少しばかり右肩上がりの神経質そうな文字で、毎日の部活の様子と部員の成長が記録されている。
「中三に出来ることなんやたかが知れとるやろ。おまえは謙也を財前の隣に立たせ続けただけでも十分やったで。あいつがおらんかったら、それこそ財前は自滅しとったやろ」
「金ちゃんも任せることになってまうし・・・ほんま、大丈夫なんやろか」
「おまえらの後輩やで? 信じてやらんかい」
呆れたように肩を竦めるオサムの指導者としての力を白石は信じている。時に度肝を抜く行動を見せるが、そのすべてが選手のためであり、各個人の自主性を重んじたものだった。だからこそオサムが言うのなら、財前はきっと大丈夫なのだろう。信じてやらなくては。そう思うのだけれど、白石にとって財前はいつまで経っても後輩でしかないのだ。あどけなさを乱暴に削ぎ落としたような、あの無機質な横顔を目にする度に「後は俺に任しとき」と言ってしまいたくなる。そんなこと、言えるはずがないのに。もうすぐ春が来てしまうのに。
「そんで白石? 毎年恒例の三年追い出し試合は、卒業式の前日でええんやな? おまえらは全員参加か?」
「・・・全員は、ちょお微妙かもしれませんわ。今の部活をよお思うてへん奴もおるし。せやけどレギュラーは全員来る言うてました」
「まだまだ餓鬼やなぁ。まぁええわ。財前かて理解されたいなんや思うてへんやろうし」
思わせぶりな言葉に白石が振り向けば、オサムは煙草を揺らして笑う。
「なぁ白石。俺が部長を選ぶ基準を忘れたわけやないやろ?」
「・・・・・・『一番勝ちたそうな奴』」
「そうや。分かっとるんなら気にすんな。財前と金太郎のことは任せとき」
パイプ椅子を鳴らして立ち上がり、白石の制服の肩をオサムが叩く。窓の向こうでは、まだサーブ練習が繰り返されている。財前の厳しい叱責が聞こえる。オサムのポケットに数枚の退部届が押し込められているのを知っている。俯いた頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜてくる手が温かくて、柄にもなく泣き出してしまいそうだった。
「卒業おめでとさん。最後までご苦労やったなぁ」
春が来てしまう。消えない心残りを抱いたまま、白石は卒業しなくてはならない。己の無力さに深く息を吐き出して、手のひらで顔を覆った。頼みます、という呟きに、おう、と力強く頷いてくれたオサムが救いだった。





財前は白石にならない。なれないから、ならないしかない。
2010年6月5日(title by hazy