ひとりで立つための、戦うための準備を始める。





後ろ手に隠されたもの





あの、燃えるような全国大会から二ヶ月。夏の熱気もようやく収まり、秋本番がやってきた頃。四天宝寺中の職員室で、財前はオサムと向き合っていた。室内ということでオサムの頭上にチューリップハットはないが、どうせ頭の固い生徒指導教諭にでもちくちく言われたのだろうと財前は適当に考える。何を探しているのかオサムが机の上をひっくり返す度に乱雑に積み重ねられた教科書や資料が散らばって、上座から眼鏡をかけた中年女教師が鋭い視線を飛ばしてくる。
「あったあった。これや」
一枚のプリントを引きずり出し、オサムは満足げだが机の上は酷いことになっている。この後整理整頓を命じられるだろう顧問を思い、財前は「自業自得っすわ」と小さく呟いた。
「財前、おまえどうする? 行くかぁ?」
「教師やったら主語からちゃんと話して欲しいっすわ。あんた、それやから臨採なんちゃいます?」
「それが来年からは正式採用やで! テニス部の功績も認められてなぁ」
「はぁ。おめでとーございます」
「顧問の慶事やで! もっと喜ばんかい!」
「はぁ。そんで、何の話っすか」
「・・・俺が組ませといてなんやけど、ほんま謙也は出来た奴やったんやなぁ。ちゃらいけど」
おまえとダブルス組んでたんやからなぁ。オサムが頭を掻きながら感心し、財前は不快に眉を顰めた。ちゃらいは余計っすわ、と心中でごちている間にも昼休みはどんどんと過ぎていく。いつもなら早々と昼食を片付けて少しでも英気を養おうとイヤホンを耳に突っ込み、好きなインディーズバンドの曲を聴きながら机に伏して眠っている。なのに、今日はオサムからの呼び出しがあった。白石から部長の座を譲り受けた財前だからこそテニス部関係の用事なのだろうとは分かっていたが、面倒くさいことこの上ない。
「U-17合宿や」
ひらりとオサムが手にしている紙を振る。細かい説明をするつもりはないのだと察し、財前はそのプリントを捕らえた。そこかしこに折り目がついてよれよれになってしまっているが、確かにタイトルは「U-17選抜合宿召集について」と綴られている。全国から選りすぐられた高校生たちが集まる合宿に何で自分が、と思えば、今回は特例措置として中学生五十人も呼ぶらしい。U-15はどうなるんや、と考えた財前は間違っていないだろう。四天宝寺からは白石と千歳、小春と銀、謙也と金太郎、そして財前が招かれている。副部長の小石川はともかく、ユウジが弾かれたことで小春がさぞかし騒ぐに違いない。すでに引退しているが、今なお強烈な印象を保っているふたりに財前は辟易した。
「自由参加やけどなぁ。締め切り今日なんや。すっかり忘れてたわ」
「あんた阿呆やろ。FAXっちゅう文明の利器に感謝するんやな」
「そうや、文明が俺を怠惰にしたんや。・・・ってちゃうやろ。どうする? 参加するなら学校は公欠扱いになるで」
「めんどいからいいっすわ。断っといてください」
プリントを突き返せば、オサムがきょとんと目を瞬いた。壁にかかっている時計を見上げて、今日はもう寝られんなぁ、と財前は諦める。
「・・・ええんか? せっかくのチャンスやで?」
「大勢で合宿とか、面倒以外の何物でもないっすわ。金太郎は行くんやろうし、白石先輩らも行くんなら俺ひとりくらいおらんでもええやろ」
「勿体ないなぁ、せっかく堂々と学校さぼれるチャンス・・・って、嘘嘘、今の冗談やで。ほんま冗談」
上座から飛んだ鋭い視線にオサムが慌てて体裁を整えるが、財前にとってはどうでも良いことだ。話がそんだけなら、と踵を返した。職員室はそうでもないが、昼休みの今、廊下は生徒たちで賑わっている。うざいわぁ、と扉に手をかけた財前は、すでに長袖のワイシャツを着ている。十一月、U-17合宿が始まる頃にはセーターも着込むだろう。
「ざぁいぜぇん」
「・・・何すか」
これ以上ない鬱陶しい呼び方に振り向けば、椅子に座ったままのオサムは火のついていない煙草をくわえて、にやりと笑っていた。
「おまえ、ほんまに四天宝寺大好きやなぁ? おまえを部長に任命した俺は間違ってへんかったわ」
「・・・阿呆も大概にしとかんと顧問でもしばくで。勝手言うなや」
「そういうことにしといたるわ。ほな、財前は不参加で」
マジックで二重線でも引いたのだろう。きゅきゅ、という音を背中で聞いて、財前は今度こそ職員室を出た。途端に廊下の喧騒に襲われて、眉を顰めれば通りすがりの女生徒に道を譲られた。そんなことですらうざいと感じてしまう自分は疲れているのかもしれないと財前は思う。頭の中で連ねるのは今日の部活の練習メニューだ。三年生が引退した今、金太郎の相手を務めることが出来るのは自分しかいない。かといって他の部員を放っておくことは出来ない。しかしそうなると基礎練習を好まない金太郎が駄々を捏ね始める。何やこの悪循環。音に出して舌打ちし、財前は階段を登り始めた。下からは何を騒いでいるのか、謙也の声が朧に聞こえる。
「どいつもこいつも阿呆やわ」
冷えた秋風がぶわりと、財前の頬を撫でた。





オサムちゃんが好きだ。
2010年5月30日(title by hazy