蛇足を刈り取る神様
幸村は、己が支配者であることを自覚している。正しく表現するのなら、君臨者か。実力主義の世界において他を押し退けて上に立つことを厭わないし、それだけの能力があるのなら、そうすべきことが当然だと考える性質でもあった。だからこそ幸村は、自分が他者に介入されるのを嫌がるタイプであることも自覚していた。強者は往々にして我侭な生き物なのである。
「柳生を、ダブルスに?」
二年生への進級を間近に控えたある日、部長から告げられた言葉を幸村は単調に繰り返してしまった。三秒にも満たないその時間で、なるほど自分に話しかけてきた選択は過ちであると評価まで下す。現在、立海テニス部レギュラーに名を連ねている一年生三人に、まず意見を募ろうと思ったのだろう。しかし真田は先輩を形だけは敬いつつも、態度が無意識のうちに見下している。柳は相談相手としては適当だろうが、後輩に理路整然と言い返されることも恐れたのだろう。だから、三人の中では一番当たり障りのないだろう自分に話しかけてきた。的確な判断だ。そして非常に愚かな選択でもある。幸村は、年長者として年上を敬いはするが、そこにテニスが関われば話は別だと考えている。そして現在の立海テニス部の部長は、実力こそそれなりのものではあったが、幸村たち「ビッグスリー」には到底適わない程度のものだった。そんな輩に介入されるのを許す幸村ではない。
「ああ。柳生は一月に入部したとは思えないくらい上達が早いだろ? 今のうちから始めておけば、うちにもダブルス専門のプレイヤーが出来るし、悪い話じゃないと思うんだ」
「相手は誰ですか?」
「木本がいいんじゃないかと思ってる。あいつもダブルス得意だし」
あぁ、と幸村は内心で睥睨する。これだからあなたは、と先輩に対してあるまじきことを考えるが、幸村は自身が攻撃的な性質であることも分かっていたし、お気に入りに手を出されて黙っていられるわけがないことも知っている。むしろ後者は当然だよね、と自身を正当化しつつ、浮かべるのは微笑みだ。了承と取ったのか、部長の表情が和らぐ。甘いな、と幸村は嘲笑う。
「確かに、柳生をダブルス専任にするのは良い考えですね」
「そうだろ?」
「ですが木本先輩は春から三年生ですし、組むのはやっぱり同じ三年生がいいんじゃないでしょうか? その方が試合にも出れますし。柳生は来年もありますから、ゆっくり育てても構わないでしょう」
「そうか? ・・・そうだな」
反論されたにも関わらず、一瞬だけ虚を衝かれた表情になった部長は、次いで情けなく安堵したように笑った。来年が最後になる三年生を幸村が優先してみせたこと、それにほっとしたのだろう。すでにレギュラーのシングルス枠は後輩に奪われているのだ。幸村たちがいなければ全国制覇は成しえないと分かっているからこそ文句は言わないが、それでもいささかのプライドはあるのだろう。甘いな、と再度幸村は思った。今度は嘲笑さえ浮かべずに、至って冷静に。コートに立つ以上、すべてを決めるのは実力だ。
その後、いくつかの話をして、結局は柳生を渡さないことで片をつけた。誘導されたことに気づかないだろう部長は、ありがとな、と部室を後にする幸村に礼まで言った。いいえ、と応える幸村に、年長者でありながらも弱者である彼に対する憐憫はあれど、譲るべき箇所などない。練習時間が減ったな、と考える横で、黄緑色の風船が咲いた。
「・・・幸村君さぁ」
ドアの横の壁にもたれるようにして、立っていたのは丸井だ。ぷう、と風船ガムを器用に膨らませる同級生と、幸村は意外に言葉を交わしたことが少ない。幸村と真田と柳は入部して早い段階からレギュラーを掴んだため練習内容が異なり、そして他の同級生から微妙な距離を取られていたからだ。珍しいな、と思って振り向けば存外強い視線と重なり合い、好意的な意味で感心する。
「柳生、誰とペア組ませんの? まさかジャッカル?」
「いや。ジャッカルは柳生よりも、丸井と組んだ方が実力が発揮できると考えてるよ。丸井のボレーを活かすなら、守備範囲の広いジャッカルはうってつけだ」
「ならいいけどさ」
壁から背を離して丸井が隣に並ぶ。身長が決して高くなく、体力も平均的でしかない丸井がテニス部で生き残るためには、一芸を磨くしかなかった。その結果が、片鱗を見せ始めた凄まじいボレーだ。だが、ボレーだけでは一試合を戦い抜けない。そのために丸井が選んだのは、ダブルスという道だった。相棒にジャッカルを望んだのは、プレイヤーとしての短所を補い合うためだけではないだろう。
「確か丸井とジャッカルは同じ小学校出身だっけ?」
「ん。あいつなら気心も知れてるし」
「ダブルスは相性が物を言うからね。いいよ、今度からダブルス練習でふたりを組ませるよう、俺から部長に言っておく」
「さんきゅー」
ぷく、とまたしてもガムが風船を作り、甘い香りが幸村の鼻まで届く。コートまでの短い距離を歩きながら、これからの立海を幸村は思う。柳生にせよ、丸井にせよ、そしてジャッカルにせよ、仁王にせよ。どうして来年の主戦力を他人の手に渡せようか。俺のものに手を出した罪は重いよ、と、くつり幸村は笑う。
「んで? 柳生は誰と組ませんの?」
「さぁ、それは秘密かな」
今度こそ純粋に笑い返して、幸村は煙に撒く。彼にとって共に歩むに足る仲間たちは、守るべき庇護の対象なのだ。
もちろん、それなりの仕事はしてもらうよ。
2011年7月31日(title by hazy)