雨が降ったけど虹が出たから差し引きはゼロだ





「・・・仁王がいない」
真田の呟きに、共にいた幸村と柳が振り返る。練習が終わって片付けの始まっているコートにいるのは彼らと同じ一年生ばかりだったが、その中には確かに仁王の姿はなかった。立海では、例えレギュラーであろうと片付けは一年生がすると決まっている。だからこそ真田も拾ったボールを籠に戻し、幸村はネットを下ろし、柳もコートを均していたというのに、夕焼けに染まり始めたテニス部内に仁王はいなかった。ぎり、とラケットを握る真田の手に力が篭ったのを見て見ぬ振りしながら、幸村は柳に確認する。
「練習中はいたね。いつ消えた?」
「正確な時刻は分からない。だが、解散する前に整列したときにはいたな」
「じゃあ、その後だ」
いくら人数がいるとはいえ、聡い柳や自分に気づかれずに消えてみせた仁王に、幸村は感心して頷く。しかしぎりぎりと真田の力は強まるのみで、ふたりは軽く肩を竦めた。先日行われた試合以来、仁王に敗れた真田は取り引き通り口出しすることを禁じられている。だから言葉にしないところは潔いのかもしれないが、態度に出ていればすべてが無意味だ。
「・・・たるんどる」
「そうやって口煩いことばかり言ってるから、真田は仁王に狙い撃ちされるんだよ」
幸村の言葉に、真田が弾かれたように振り向く。くわっと見開かれた目は成長期の強面もあって少々恐ろしいものではあったが、付き合いの長い幸村はその程度のことでは動じない。逆に柳は少々呆れたように溜息を吐き出していた。こちらはこちらでポーカーフェイスが常なので、親しい者でなければ気づかないであろうが。相手が誰であろうと遠慮なく物を言う幸村は、テニスの実力だけではなく、他の多くの面でも三人の中で抜きん出ていた。
「馬鹿みたいに真正面から突っかかっていくから、軽くあしらわれる。仁王が一筋縄でいかないことくらい少し見ていれば分かるだろう? それなのに真っ向勝負なんか仕掛けて挙句の果てには負けるなんて、それこそ真田らしいけど、馬鹿としか言いようがないよ」
「あれはっ・・・いや、言い訳はせん。だが、次は必ず俺が勝つ」
「そうだろうね。仁王はトリッキーなプレーをするけれど、底力では真田の方が上だ。十回試合をすれば、七回は真田が勝つだろう。でも、勝負は一度だ。その一回で勝ちを掴めばいい。仁王はそれを良く分かっているよ」
にべもないが、幸村の言葉は正論なので真田も口を噤む。当の真田を含め、三人はテニス部に入部した当初から仁王の素質を認めていた。仁王自身は上手く実力をセーブしてみせているが、やはりその才能は端々に現れる。仁王はテニス経験者の動きをしている。それも、すでに自身のプレースタイルを確立している。何の理由があって隠しているのかは知らないが、頼もしいと幸村は感じていた。三年間付き合うことになる同学年に実力者がいるのは喜ばしい。柳も観察対象として興味を募らせていたが、真田は違った。真っ向勝負を信条とする彼は、仁王が人目を避けるようにして行動することが許せなかったのだ。だから突っかかり、そして逆に体よくあしらわれた。
「確かに冬休みに入ってから、仁王が片付けに参加している確率は今のところ0パーセントだ。二学期までは積極的ではないにせよ、それなりに参加はしていたはずだが」
「動くのはもう少し様子を見てからでも構わない。ふたりも気づいているだろう? 最近、仁王のプレーにキレが増している」
「・・・別の場所で、練習をしているというのか?」
「だといいけどね。精神的に何かを得たのかもしれないし、とにかく少し時間を置こう。心配しなくとも、俺は優秀な人材をみすみす逃したりはしないよ」
肩を震わせて確信的に笑い、幸村は折り畳んだネットを抱えた。もちろん落ち着いたら仁王には片付けをしばらくひとりでやってもらわなくちゃいけないけどね、と楽しそうに述べる姿は、もはや己の王者立海を作ろうと画策している。同意すべきなのか、そうではないのか、真田は複雑な顔をでボールの山ほど入った籠を持ち上げた。柳も、ふむ、と頷く。それは年の瀬が迫った、ある冬の話。





三強による仁王チェック。幸村君はテニスに関しては菩薩のような修羅だけど、基本は身内に優しい子だと思ってます。
2010年8月8日(title by hazy