愛を恵んでくれないか





ゴルフ場で練習する柳生を見止めてから、仁王は図書館へ足を運ぶのを止めた。それすなわちダブルスパートナーの候補として、柳生を選択肢から外したということだ。才能は確かに惚れ惚れするものではあったが、あれは相性が悪すぎた。仁王にとって、という部分は認めたくないので見て見ない振りをする。最後の本となったレシピ集は未だ仁王の手元にあったけれども、これも柳生が当番でないときを見計らって返却してしまえばいい。
今まで図書館に通っていた分の時間も、仁王はテニス部に費やすことになる。だが、つまらない。三年生も引退し、球拾いやランニングだけでなく、サーブやラリーの練習なども出来るようになり始めたというのに、仁王は退屈で仕方がなかった。いらいらする。ワイシャツのボタンが上手く外れなかっただけで、髪がまとまらなかっただけで、ラケットのグリップが馴染まなかっただけで、何をするにも舌打ちが漏れた。機嫌が悪い己を自覚していたが直す気はない。無理やり上機嫌な振りをして過ごすなど愚の骨頂だ。こうしてわざわざ「不機嫌だ」と全身で表現してやっているのだから、巻き込まれるのが面倒なら近づいてこなければいいだけの話。責任を相手に転嫁して、仁王は唇を歪めた。逃げ道を用意してやっているというのに、真正面から突っ込んでくる。だからこいつは馬鹿なんじゃ、と心中で思う存分睥睨する。
「さっきから何だ、その態度は! 貴様は真面目に練習するつもりがあるのか!?」
声変わりが中途半端にしか来ていないから、高さの残る声で怒鳴られると女のように耳に響く。鼻で笑ってやっても良かったが、そうすると更に五月蝿くなることが分かっていたので流石に控える。偉いのう、俺。そんなことを仁王が考えていれば、沈黙を反抗と取ったのか相手は更に眉を吊り上げてきた。同学年の男に怒鳴られたところで怖くも何ともない。例え相手が真田弦一郎でも仁王の感覚は変わりがなかった。馬鹿馬鹿しい、心底そう思う。
「真面目にやっとるぜよ。おまんこそ、俺の何が不満なんじゃ」
「貴様のすべてだ! 遅刻するなどたるんどる! 大体その髪の色は何だ!」
「地毛じゃ」
「嘘をつくな! 大体貴様は・・・っ!」
「うっさいのう。ピーチクパーチク、おまんは女か。ちっとは黙らんかい」
「女・・・!? 馬鹿にするのも大概にしろ! 貴様はそれでも立海テニス部員か!」
「これでも立海テニス部員じゃ。証明してやろうか?」
苛立ちが増幅され、仁王の中を暴力的な感情が湧き上がる。この、自分が正しいと信じきっているような男を叩きのめしてやったら、どれだけ気分が良いだろう。地べたに這い蹲り、悔しさに歯噛みする姿を見てみたい。見下ろし、嘲笑ってやりたい。価値観から来る正しさなどこの世には存在しないのだと、身を持って学ばせてやろうか。
ラケットを手にし、仁王はコートに立つ。ざわりと周囲が騒ぎ、反応は徐々に大きくなっていく。入部してから半年を過ぎたが、本格的な試合はこれが初めてとなる。仁王は未だ実力を隠してきたのだから、初心者同然と思われている彼が、すでに「皇帝」と囁かれ始めた真田に挑むことなど無謀でしかないと言うのだろう。実際、真田の眉間にはこれ以上ないほどの深い皺が刻まれている。褒め囃されることで己を過信しているのだとしたら滑稽だ。打ち砕いてやるぜよ。嗜虐心に従って、仁王はラケットを真田に向けた。
「コートに入るぜよ。俺が勝ったら、今後一切俺には口出しせんと誓ってもらうナリ」
「・・・愚か者が。おまえが負けた暁には、真面目に部活に精を出すと誓ってもらうぞ」
「出来るもんならのう。いやはや楽しみじゃ」
くく、と今度こそ声に出して笑ってみせれば、真田は顔を更に険しくさせてコートに踏み入ってくる。弦一郎、と柳が静止をかけたようだが聞く耳すら今は持っていないのだろう。頭に血の上った相手を操ることなど、仁王にとっては朝飯前だ。コートの外から向けられる幸村の視線は流石に冷静なものではあったが、真田さえ黙らせてしまえば後はどうでもいい。この鬱憤を晴らす相手には適当だ。くるり、ラケットを回して仁王は余裕を見せ付ける。あぁ、いらいらする。
「・・・最悪の気分じゃ」
吐き捨てて、仁王はボールを握った。白ではなく、黄色の。すべてが煩わしくて堪らない。仁王は唇を噛み締める。
トリックプレイで翻弄してしまえば、馬鹿正直に真っ向勝負を仕掛けてくるだけの真田を負かすことなど雑作もなかった。自由の権利を得ると同時に、来年のレギュラーの座を押し付けられた気もするが、今となってはどうでもいい。勝ちはしても、仁王の中の苛立ちは晴れない。柳生の声が聞きたい。そんなことを思った自分が心底忌々しいと仁王は思う。





真田に勝っても、仁王は即レギュラーにはなりませんでした。おそらく幸村あたりがストップをかけたと思われる。
2010年7月23日(title by hazy