07:天または見上げる空





遠くで飛行機の飛ぶ音が聞こえ、跡部は空を見上げた。
青が一面に広がる視界の中、白い筋がまるでクレヨンで引かれたかのように走っている。
単調な写真のようだと、跡部はその整った眉を顰めた。
そして再び歩き出す。
持っていた鞄の中で携帯電話が着信を知らせて、慣れた動作で通話ボタンを押した。
「―――俺だ」
電波を介して伝わってくる情報をコンマ単位で頭の中で処理をする。
「あぁ、それでいい。俺も今からそっちへ向かう。着くまでに形にしておけ」
いくつかの指示を与えてから電話を切った。
そのまま足早に校庭を抜ければ、門に見慣れた車が止まっているのが見える。
運転手が跡部を見つけて深く一礼した。
恭しく開けられたドアから車内に乗り込み、運転手も座席に着いたのを確認して命令する。
「出せ」
テニスボールを打つ音が、かすかに耳に入った。



高等部に進級した際に、跡部はテニスを辞めた。
正確に言えばテニス部に入ることをしなかった。
この年代では全国でもトップクラスの実力を誇る跡部に、周囲は「何故」と詰め寄った。
だけど彼は決めていたのだ。テニスは趣味にする、と。
いずれ自分は跡部グループを継ぐのだから、今後はそのために時間を費やす―――と。
親に言われたのではない。関係者に言われたのでもない。
跡部は自分でそう決めた。
だから彼は、テニスから離れた。
そして高校三年となった今、すでに彼の中でのテニスの比重はとても小さなものになっていた。
「景吾様」
「何だ」
ハンドルを操りながら話しかけてくる運転手に、跡部は声だけで答えた。
目線は手の中の書類を読み、内容を頭に叩き込んでいる。
「越前リョーマ様ですが」
「――――――アイツがどうした?」
挙げられた名前に、意識をそちらへと向ける。
運転手はそれを感じで小さく笑みを浮かべながら優しく続けた。
「全米オープンへの参戦を決定されました。もちろんまだ予選からですが・・・・・・」
「フン」
軽く笑って、跡部はシートにもたれた。
「遅すぎるんだよ、あのバカ」



三年前、跡部がテニス部に在籍していた最後の年。
彼ら氷帝を破った青春学園は、そのまま全国へと駒を進め、見事に優勝を飾った。
その全国制覇の立役者となったのは手塚でも不二でもない。
一年生ルーキーの越前リョーマだった。
小柄ながらにもテニスセンスは卓越し、全国大会でも彼は負けることがなかった。
だから跡部は言ったのだ。



「おまえは海外に出ろ」――――――と。



しかし当時一年だったリョーマは首を縦に振らなかった。
青学の柱にならなきゃいけないから。そう言って跡部の言葉に従わなかった。
眉を顰めたのを覚えている。そんな言葉を言い残して引退した手塚にやりきれない怒りを抱いた。
おまえは青学ごときに越前リョーマを縛り付けるのかと、胸倉を掴んで問いただしたかった。
そしてリョーマは日本を出なかった。
一年が経ち、二年が過ぎ。
ようやく彼が中等部を卒業することになった春、人伝にリョーマがプロになることを知った。
遅すぎるほどだ。
そう言いながらもひどくホッとした自分を跡部は今でも覚えている。



越前リョーマは部活動なんかに縛られるべき人間じゃない。
もっと高みを目指して。
―――空へ。



「おい」
しばし己の思考に沈んでいた跡部は、思いついたように運転手に声をかけた。
「はい、何でございましょう」
「アイツが本戦への出場を決めたら、花束でも贈っとけ。でかくて派手なヤツだ」
「―――はい、畏まりました」
車の窓から空を見上げて、跡部は笑う。
遅れた分は楽しませてもらうぜ、と心の中で思いながら。



青く晴れた空は見上げるだけで気持ちが良い。
跡部はその眩しさに自然と目を細めた。





2004年6月30日