ミルクティーは善哉に溺れたらしい





白石蔵ノ介。その名を聞いて誰もが連想するのが、女子テニス部の部長、ミス・パーフェクト、そして今年のミス・四天宝寺を射止めた美しき女生徒だ。成績優秀、容姿端麗、品行方正と三拍子揃った彼女は女子からは憧れの的であり、そして男子には高嶺の花とされている。颯爽と歩けばミルクティー色の長い髪が甘い香りを残し、無駄なく細身のスタイルは見る者に思わず感心を抱かせる。後輩の面倒見も良く、教師からも信頼を置かれていて、分け隔てなく誰もに優しくそして厳しく接する白石は、本当に完璧な少女だった。苦手なものはないのだろうかと思わせるほどに、完璧な存在だったのだ。―――少なくとも、噂では。
「ひゃあっ!?」
目の前で転ばれたら、誰だって反射的に手を伸ばしてしまうだろう。しかもそれが階段途中なら尚更のことだ。このまま下まで転がっていくのを止めるため、なんて頭は働かなくても自然と身体が動いてしまう。反射神経に従って出された財前の腕は、その読み通りちゃんと落下途中の身体を受け止めることが出来た。人ひとり分を支えるのだから、さすがに階段の狭い幅ではバランスを崩してしまい、片足が一段下に落ちる。けれども背中を壁にぶつけるようにして安定を図れば、どうにかふたりして落ちることは免れた。はあ、と思わず溜息を吐き出す。息を吸い込むと同時に、ふわりとささやかなシャンプーの香りが鼻をくすぐった。
「・・・もうええっすか?」
「えっ!? あ、あああっ、す、すまん、堪忍な、あっ!?」
「この態勢で暴れんといてください。ちゃんと支えときますから、落ち着いて」
自分の状態に気づき、わたわたと足をつけようとするが逆に焦ってしまい更にバランスが崩れる。腰に回している腕に力を込めつつも、財前は何やこの人、と心中で思っていた。完璧女っちゅー噂はデマやったんかい、と目の前の白石に対する噂を思い出す。完璧な人間は普通、階段の途中で足を滑らせたりはしないだろうに。
「・・・すまん」
どうにか上履きの先を階段につけて、白石も自身の足で立つことに成功する。長い髪の合間から垣間見えた耳は真っ赤に染まっており、財前は少しだけ目を見開いた後で、白石からは見えない角度で意地悪く笑う。何や、可愛えやん。ひとつとはいえ年上の女性を相手に抱く感想ではないが、そう思ってしまうのも仕方ないだろう。なんたってミス・パーフェクトのこんな珍しい失態を拝むことが出来たのだ。財前は吹聴する性質ではないが、それでも面白いとは思ってしまう。
「ノート、めっちゃ散らばっとりますね」
「え? あっ、ほんまや! あかん、クラスのみんなのやのに・・・」
さすがにノートまでは守り切れず、踊り場まで落ちて散らばってしまっている。幸いなことに周囲に他の生徒の姿は見当たらないが、状況に気づいた白石は顔色を変えて階段を駆け下りていく。しかし最後の一段を降りきったところで上履きは一冊のノートを踏みつけてしまい、ずるっとまたしても彼女の身体はバランスを崩して転がった。うわ、と階段の途中から眺めていた財前は呆れる。頭こそ打ちはしなかったようだが、その代わりにスカートが盛大に捲れあがっている。スタイルも完璧っちゅー話はデマやないんやな、と財前は晒されている太腿に評価を下す。細すぎず太過ぎず、さわり心地の良さそうな太腿だ。しかもその奥を飾るショーツは爽やかなライトグリーンで、花の刺繍とレースがこれまた白石のイメージに合っている。礼儀としては視線を逸らすべきなのだろうが、ぶっちゃけ青少年男子としてこの美味しい場面を逃すのは馬鹿だ。いたた、と頭を抱えている白石に、階段を下りながら財前は指摘してやった。
「パンツ、見えとりますよ」
「ひっ!?」
がばっと起き上がって慌ててスカートを押さえるが、一瞬前の光景が消えるわけがない。「見た?」と真っ赤な顔で泣きそうになりながら問うてくる白石に、財前は「見えたから言うたんすけど」と返す。ますます白石が情けなく眉を下げたので、「ええんやないすか、ライトグリーン。似合うとりますよ」と意地悪いフォローを重ねれば、今度こそ白石は表情を歪めて両手に顔を伏せてしまった。ふるふると全身が震えているが、泣き出しそうであっても泣いているわけではないらしい。間抜けなところを見られたんが情けないんかな、と勝手に考えて、財前は散らばっているノートを拾い集める。
ミス・四天宝寺に選ばれた先輩と、話したことはなかった。それでも無関係だと思えないのは、やはり金太郎が関係しているのだろうと財前は思う。女子テニス部に入部した幼馴染はお転婆なんて言葉ではくくれないほどに破天荒だが、その金太郎を上手く操縦しているのが白石らしい。毒手怖い、と真っ青な顔で訴えてきた金太郎に、そな阿呆な、と返した記憶はまだ新しく、それでも出来る先輩がおるもんやなと感心したものだ。流石はミス・パーフェクトだと思っていたが、どうやらそんな彼女は意外にドジだったらしい。しかし遠目で見ていたときは普通に完璧だったので、せやったら、と財前は自惚れたことを予測する。確かめてみるか、と行動に移した彼は、金太郎曰く少しばかり「いじめっ子」だった。
「白石先輩」
重ねたノートを床に置いて、しゃがみ込んで相対する。恐る恐る手のひらから顔を上げた瞬間を見計らって、その左手を掴んで握ってやった。ひゅっと息を呑む音がするが逃がしてやらない。白い包帯に包まれた手はやはり少女のそれで、ええなぁ、と財前は笑う。
「ドジ過ぎるんはうざいけど、俺の前でだけやったらええんとちゃいます? 完璧やないあんたも結構抜けてて可愛えし」
駄目押しで指先にキスでもしてやろうかと思ったが、さすがに止めた。真っ赤な顔でぽかんとしている白石に、ほな今度は気ぃ付けて、と言い残して立ち上がる。反応は見られなかったが、火照った指先の温度だけで十分だ。美人な先輩に好意を寄せられるのは嫌じゃない。くつくつと湧き上がる笑みを堪えながら、財前は廊下を進んだ。足取りは少しばかり軽い。角を曲がるまで背中はずっと、白石の視線を感じていた。





好きな男子の前でだけ焦って完璧になれない聖書白石。毎日ひとり反省会。
2011年1月23日