エブリデイ、マイラブライフ
「金ちゃーん! 金ちゃん! どこにいるんや、もう・・・!」
放課後、部活の時間になっても現れない一年生ルーキーを探して、謙也は校舎内を駆け回っていた。今年女子テニス部に入部した金太郎は、一年生ながらに物凄い実力者だし、無邪気な性格も相俟ってとても可愛い後輩なのだけれども、この破天荒なところはどうにかならないものなのか。日頃は部長の白石が毒手で操っているが、姿が見えなければそれも意味をなさない。部活はとうに始まっているのに、やってこない金太郎を不思議に思って教師に聞いてみたけれど、今日は特に補習もないらしい。だったらどこで何しとるんや、とぷりぷり怒りをあらわにした白石の命令で、女子テニス部の全員で金太郎の捜索が行われている。更に二日に一度の確率でしか部活に参加しない千歳の捜索も同時に行われていた。窓の外では、チームメイトの銀が「千歳はーん」と木の影やら植え込みを探しているので、まだ彼女も見つかっていないらしい。時間にして、すでに三十分。これ以上は白石が怒るで、と謙也が若干焦りを感じ始めたときだった。がらりと、突き当りのドアが開く。上げられた眼差しと、距離があるのに目が合った。
「・・・、・・・」
ざいぜん、と声にはならなかったけれども謙也は心の中では彼の名を呼んでいた。件のルーキー、金太郎の幼馴染。軽音部のベーシスト。文化祭を最も盛り上げる彼らを、四天宝寺で知らない者はいない。謙也は直接会話したことはなかったけれども、金太郎から話はたくさん聞いている。そうでなくとも財前は容姿が良いから、女子に人気が高い。口が悪いのもまた魅力で、中学二年生とは思えないほどクールで、格好良くて、スポットライトを浴びてベースを弾く姿には謙也も魅入ってしまった過去がある。その財前が、謙也の方へと向かって歩いてくる。
突き当りは音楽室だ。軽音部は今日は休みなのかもしれない。斜めにかけられている鞄はビビッドカラーが眩しい派手なもので、財前にしか似合わないだろうと思わせる。左手はケースに入ったベースを持っており、どんどんとその漆黒の髪が近づいてくる。きらりと五色のピアスの色が判別できる距離まで来て、謙也は覚悟を決めた。ぐっと胸の前で拳を握り締める。これはチャンスだ。彼に話しかける、千載一遇のチャンス!
「ざっ・・・財前!」
思いがけず大きな声になってしまって、謙也は慌てて自身の唇を押さえようとするが、それよりも先に財前が顔を上げてしまった。距離はもう教室ひとつ分もない。手元でウォークマンを操作していた財前は、緩く小首を傾げて謙也を見てくる。髪と同じ漆黒の目に射られて、謙也の身体が爪先からざあっと熱を帯びる。
「何すか」
答えてくれた。声は男の子だけあって、やっぱり少し低い。それでもバンドで歌うときは掠れた色っぽい声になって、途端に甘さを帯びるのだ。耳元で囁かれたら死んじゃう、なんてミーハーな女子の黄色い叫びを、謙也は今このときになって初めて理解した。
「あ、あああ、あんな、えっと、そやっ! 俺な、女テニの三年で金ちゃんの先輩なんやけどっ」
「謙也さん、やろ?」
「へっ!?」
「違うてました?」
「い、いいいいや、違うてへんけど、合っとるけど!」
せやけど何で名前、と謙也が呟けば、財前はクールに「金太郎から聞いとるんで」と返してくる。あっさりと果たされてしまった初めての会話だが、謙也は喜ぶどころの話ではなかった。目の前に、財前がいる。女子にしては高めの謙也と財前の身長は同じくらいで、目線が等しいところにある。つまり、すぐ前には財前の端正な顔があるのだ。うわぁ、ほんまに顔小さい。格好ええ。ぽやんと熱に浮かされる頭は、財前が視線を合わせてきたことで、ばちっと雷に打たれたかのように現実へと引き戻される。あかん、このままやと変な女扱いされる。慌てて謙也は言葉を続けた。
「あんな、金ちゃんどこにおるか知らへん? 部活始まっとるのに来てへんのやけど」
「あいつやったら今日は裏手の海渡屋におるんやないすか。たこ焼きが三個おまけサービスの日やし」
「たこ焼き、ってそれほんま!? うっわぁ、白石のやつ怒るでぇ・・・」
四天宝寺の裏門を出てすぐのところにある店の名前を挙げられ、理由を知った謙也は思わず脱力する。金太郎の大好物がたこ焼きであることは女子テニス部でも周知の事実だったが、よもやまさか部活をさぼってまで行くとは。美人と評判の顔を般若のように歪めて説教をする白石の姿が脳裏を横切り、謙也は他人事ながらも青褪めてしまった。これはやはり自分が先に迎えに行くべきか。うん、と考えを決めて再び財前と相対する。
「すまんな。めっちゃ助かったわ」
「金太郎がいつも世話になっとるし。あいつ野生児で、ほんま迷惑かけてすんません」
「あー・・・いや、金ちゃんテニスはめっぽう強いしな。俺らもいい刺激貰うとるからお互い様っちゅー話や」
苦笑すれば、財前は「そうすか」と簡単に頷く。そんじゃ、と隣を擦れ違っていく背を、謙也は振り返って見送った。本当なら昇降口まで一緒に行って、財前の家が裏門の方向ならそこまで並んで話とかして、もっと交流したいのだけれど。うん。女は度胸や、ここまで来たんやったら最後まで行ったれ! 謙也は勢いのまま一歩を踏み出した。
「ざいぜ・・・っ」
「ああ、そうや。謙也さん」
呼びとめるよりも先に、くるりと財前が振り返る。思いもよらぬ出来事に、謙也は片手を伸ばすなんて中途半端な態勢で固まってしまったけれども財前は気にならないらしい。ベースケースを僅かに揺らして、うっすらとその唇には笑みを浮かべている。
「春の新歓、俺らのバンドのとき真っ先に手拍子してくれたん、謙也さんやろ? あれ、ほんまテンション上がったっすわ。会ったらお礼言おうと思うてたんや」
きらきらと、謙也の瞳に財前の姿は輝いて映る。
「ノリのええとこ結構好きっすよ。ほな、また明日」
「・・・・・・へ?」
にやりと意地悪そうに吊り上げられた唇さえ、格好良いと思ってしまったのだからもうどうしようもないのかもしれない。足の力が抜けて、ぺたんと謙也は廊下に座り込んでしまった。だって、財前が好きって。結構好きって。好きって、謙也のことを、好きって。
「うわぁ・・・! あ、ああああかんやろ、自分・・・! ちょ、ほんま、これは惚れっるっちゅー話やろ・・・!?」
スコートの裾から太腿に触れる廊下は冷たかったけれども、頬が燃えるように暑くてそれどころじゃない。目玉焼きが焼けそうや、なんて考えながら、謙也はパニック状態でひとり廊下に突っ伏した。瞼の裏でちらつく財前の姿。ひとつ年下で、今まで話したことなんてなくて、それでも実はずっと気になっていて、話をしてみたいな、なんて思っていて。まだまだ恋の手前だと思っていたのに、とんっと突き落とされてしまった。しかも当の財前によって。ううう、と謙也は頭を抱える。外からは白石の怒鳴り声が聞こえるけれども、今は出て行けるはずがなかった。好きや、と小さく囁いてみたら、どこかで財前が笑った気がした。
あ、あああ明日から、ちゃんと話しかけるで! とりあえず顔見知りから仲良しにステップアップや!
2011年1月23日