乙女、野蛮であれ
昼休み、教室でサラダとヨーグルトのランチを済ませた仁王は、予鈴が鳴る少し前に教室を出た。さぼるためではない。教室に近いトイレは混んでいるかもしれないから、特別棟の方まで足を延ばそうか。そう考えて渡り廊下まで来たところだった。気配に顔を上げる。数人の生徒の向こうに、こちらへと歩いて来ている姿がある。同じ学校に通っているのだから、会うこと自体に不思議はない。けれど違和感を覚えて、仁王は僅かに目を眇めた。視線の先で幸村が顔を上げる。彼女の手でランチバッグが揺れる。幸村が笑う。その瞬間、仁王の背を憎悪が駆け抜けた。ふたりの間を遮る生徒がいなくなり、すぐ近くで向かい合う。
「おまん、それ・・・」
「あぁ。流石は仁王だね」
愕然とした仁王の指摘に、幸村は楽しそうに唇を吊り上げた。長い、余り過ぎているカーディガンの袖口を口元に寄せて、ふふ、と瞳を細める。
「柳生のカーディガンだよ。今日は一緒にお昼を食べる約束をしていたから、そのときに貸してくれたんだ。『身体を冷やしてはいけませんよ』って」
優しいよね、と笑う幸村の顔は言葉とは裏腹に、濃密な色気を湛えている。折れそうに細い身体は柳生の大きなカーディガンに包み込みこまれ、より一層幸村を華奢に見せていた。一目見て分かる男物のカーディガンを、嬉しそうに着ている幸村。彼女は誰の手でも取るような人物ではない。むしろ微笑みひとつでばっさりと相手を拒絶するような少女だ。だからこそ幸村が嬉々として纏うカーディガンの本来の持ち主は、彼女にとって特別なのだと周囲に知らせる。
「まるで、柳生に抱かれているみたいだ」
ふふ、と幸村は袖口にキスを落として、ちらりと仁王を垣間見た。その瞬間に仁王の中を駆け巡ったのは激しい嫉妬だ。殺してやりたいとすら思ってしまった。幸村が、柳生のカーディガンを着ている。幸村が、柳生のカーディガンを。幸村が、柳生の。柳生の。
「・・・脱げ」
「嫌だよ」
「脱げ。脱がんと殺す」
「物騒だな。・・・ねぇ、仁王」
つい、と顎を挙げて幸村が仁王を見上げてくる。微笑む顔は艶があり、鮮やかで、そして不敵だ。世界の中心に君臨しているかのように、幸村は宣告する。
「俺は、恋と友情とテニスは別物だと思ってる。だから遠慮はしない。全力で獲りにいくよ」
譲らない。そう残酷すぎるほど明確に言い放ち、幸村は仁王の横を擦り抜ける。ふわり、柳生の香りがした。幸村から、柳生の香りが。仁王が想いを寄せている男の香りが、仁王ではない他の女から。
「泣くのは勝手だけど、部活は休むなよ?」
ぽん、と叩かれた肩は、勝者からの憐みのようだった。否、きっと間違ってはいないのだろう。これ以上の屈辱はない。ぎり、と仁王は掌を握り締めた。食い込む爪が痛い。皮膚を食いちぎり、血を滴らせてしまいそうだ。
それでも仁王は、意地でも涙を流さなかった。全身を駆け巡る激情は、今にも肌を食い破ってしまいそうだったけれども。
仁王嬢は柳生さんに片想いしてるけど親しくはない。プライドが邪魔して自分から近づけない。
2010年11月27日