ぴっかぴかにしてあげる!
某動画投稿サイトに、「歌ってみた」というカテゴリがある。自ら歌った曲を動画として投稿するという、ちょっとした歌手気分を味わえるパフォーマンスだ。ポップスから洋楽、演歌からオリジナルまで「自ら歌う」ことさえクリアーしていれば種類は問わない。所詮アマチュアの児戯だと侮るなかれ。インターネット上にアップする、それすなわち世界中に配信されるということであり、「歌は国境を超える」をそのまま地で証明するのが「歌ってみた」の恐ろしくも素晴らしいところである。ひとたび有名になれば、そのファンは老若男女国籍を問わず。それだけに投稿される数も多かったが、オーディエンスは厳しくかつ見る目が鋭い。何百何千何万という中から「これこそは」という存在を見つけては、掲示板などのスレッドを経由してあっという間に周知させていく。それは下手なブラウン管のアイドルよりも、立派過ぎる「歌手」だった。
その某動画投稿サイトで、最近注目を集めている歌い手がいた。ユーザー名を「mine」というその人物は、おそらく女性とされている。インターネットでは異性を騙ることもなくはないが、それでも「歌ってみた」は投稿者自身の歌声が披露されるのだ。それを聞くにmineは女性に違いなかった。澄んだ歌声は高さを帯びてなお耳障りではなく、アルトがまた腹に来る威力を持っている。幅広い音域を持つmineは男性歌手女性歌手問わずにいろんな曲を歌い、多数の動画を投稿していたけれども、そこにはひとつだけ共通点があった。それが彼女をいちやく有名にした理由でもある。―――mineはアニソンやゲーソン、つまり二次元系統の曲しか歌わないのだ。
アップされる頻度は平均して一週間から二週間に一度。決して多くはないが、その分クオリティの高さは本職のアイドルも裸足で逃げ出すほどの代物で、再生数は百万近く、マイリストは軽く万を超える。書き込まれるコメントは概ねmineを称賛するものばかりだ。もちろん時に心無い感想を書き込む輩もいるが、そういった荒らしが逆に彼女のファンから攻撃されるのはmineからしてみればどうしようもないことなのだろう。何せmineは歌うだけだ。流行のゲームや少し古いアニメの主題歌、ときにキャラソンなどを歌って、投稿サイトにアップする。動画の説明文にはいつだってタイトルしか書かれていなくて、mineは一体どんな人物なのだろうと憶測は激しく飛び交った。背景の映像が静止画だけというのが拍車をかけたのだろう。学生か主婦か、もしくは清純派かギャル系か、どちらにせよこの美声の持ち主が美人じゃないなんて有り得ない。些か願望を交えた推測はmineが曲をアップする度に繰り返され、とりあえず現在のところは「二十歳くらいの茶髪で超美人な気の強いでも本当は心優しい女の子(下僕な彼氏に実はべた惚れ!)」という説が有力だった。ちなみにこの推測の根拠は、彼女の作品の中でもピカイチの再生数を誇る某ボーカロイドの曲に由来する。せかーいでーいちーばんおーひーめーさーまー、と歌ったmineは声だけだというのにそれはそれは可愛くて綺麗で生意気でとにかく可愛くて可愛くて可愛くて、下僕になりたいというコメントはまさに弾幕となって動画を文字で埋め尽くしたのだ。まさしく「おまえらの愛で見えない」である。
mineの「歌ってみた」をダウンロードして自身のウォークマンに保存している人の数はきっと当のmineが想像するよりも多いだろう。決して自身をコメントだろうと欠片さえも露出しない彼女は、その動画投稿サイトで歌姫とさえ呼ばれ始めていた。ユーザー名から「俺の歌姫」と呼ばれ、mineを「俺の嫁」発言する輩も当然のごとく山のようにネット社会には存在するのだった。
果てさて、そんな歌姫もオフラインではやはり生きた人間である。二十歳ではないし、茶髪ではないけれどピアスを五つもしていて、行く末は超美人かもしれないが、デレの極端に少ないツンデレと評判の、下僕はいても彼氏はいない、いたって普通の女の子である。大きなラケットバッグを抱えてローファーを履き、低血圧のため起ききっていない頭をふらふらとさせながら早朝の道を歩く。ちりりりん、と後ろから自転車がベルを鳴らした。
「おうおう、おまえ朝から凶悪な面しとるやんけ」
「・・・ユウジ先輩、ちょうどええっすわ。パシられてください」
「俺が乗せんのは小春オンリーや! って何勝手に座ってんねん! 離せやボケ!」
「朝からうるさいっすわ、先輩・・・」
勝手に自転車の後部座席に座って、振り落とされないためにユウジの腰をへし折るかのごとくぎっちりと腕を回す。背中に額をこつんとつけて寝る態勢に入った姿に、ユウジは舌打ちしながらもペダルを漕ぐ足を再開させた。低体温の後輩がちゃんと活動できるまでに時間がかかることを、同じテニス部の面子は知っているのだ。
先輩に自転車をこがせて睡眠を貪る、四天宝寺中男子テニス部の紅一点。浪速の女王様と呼ばれるそんな彼女こそが、某動画投稿サイトにおいて世界中の老若男女から「俺の嫁」宣言されている歌姫だった。ユーザーIDはmine。本名を、財前光という。
ちなみに静止画はイラストレーターさんたちがこぞって「mine想像図」みたいなのを描いて提供してくれてます。金ちゃんは財前が録音しているのを見てたりするけど、それが動画投稿サイトと結びついてない。mineは財前の好きな色、カーマインから取りました。
2011年3月20日