立海の淑女、柳生比呂士嬢
「・・・今まで厭きるほど言ってきた台詞を繰り返しましょうか」
冷ややかな、鋭さを持った空気がテニスコートに充満する。一瞬前までの柔らかな微笑などそこにはない。長い亜麻色の髪を風に靡かせて、眼差しは氷よりも冷たい。まさに吐き捨てるといった態で、彼女は、柳生はネットを挟んで相対する他校のダブルスペアを見下した。
「女だから、女のくせに、そういった愚の骨頂でしかない台詞は、私に勝ってから仰りなさい」
「てめ・・・っ!」
「調子に乗りやがって!」
「決着はテニスでつけましょう。私たちはテニスプレイヤーなのですから」
言い切って踵を返す、その身体を包むのは確かに男子ではありえないスコートだ。スリットの入ったそれは女の子しか纏えないもので、柳生は中学男子テニス界では数えるほどしか存在しない女子選手だった。だからこそこうして心無い揶揄を向けられることも多く、そしてそれらすべてを打ち負かして彼女は進んできた。立海のベンチでは部長の幸村と副部長の真田が呆れた顔を隠さない。
「馬鹿な奴ら。俺たちがテニスで柳生を甘やかしたことなんてただの一度もないのに」
「うむ。己の実力で勝ち上がってきたからこそ、柳生は我ら立海大付属中のレギュラーなのだ」
細い眉を吊り上げて、柳生はベースラインの位置まで下がる。サーブは立海からだ。審判から渡されたボールを手に、パートナーである仁王が近づいてくる。
「やーぎゅ、顔が怖いぜよ」
「元からです。早くボールを渡しなさい」
「嘘じゃ。俺の柳生さんはもっと綺麗で美人さんじゃもん。お花みたいに笑う可愛い子ちゃんじゃけぇ」
「仁王君、ふざけていないでボールを」
「ほい」
ずいっと目の前に突き出された黄色い球体に、思わず柳生は背を反らす。眉間に近すぎるそれはぼやけて見えてしまい、柳生は更に眉を顰めた。仁王は両の掌の上に転がしていたボールを、十本の指で包み込み隠してしまう。「コート上の詐欺師」を名乗る彼が突拍子のないのはいつものことだが、柳生は訝しんで少し離れた。しっかりと見えるようになった視界で、それでも近い距離で仁王の掌がくるりと閃く。
「ぴよっ」
現れた物体に、今度こそ柳生はきょとんと眼鏡の奥の瞳を丸くしてしまった。黄色は黄色でも、ボールではない、小さなひよこのぬいぐるみだ。ぴよぴよ、と仁王がそっくりの声真似をして、優しく柳生の頬に摺り寄せてくる。肌触りも良く、間近で見つめ合う円らな瞳は愛らしく、ぴよっと仁王が鳴くものだから。
「ぷっ・・・」
堪え切れずに柳生は小さく吹き出してしまった。気をよくしたのか、仁王はそれこそひよこを本物のように動かして、柳生の掌に載せてくる。軽い感触に、ついつい柳生も今が試合直前だということを忘れて微笑んでしまった。
「仁王君、あなたいつの間にこんなネタを仕込んでいたんですか?」
「怖い顔で試合しても面白くないぜよ。やるなら楽しく、適当に手を抜いて、華麗に勝利を掻っ攫う。これが鉄則じゃ」
「手を抜く云々はともかく、最初と最後には同意しますよ。憤りに駆られてすっかり忘れるところでした」
ひよこをベンチの端にちょこんと座らせてその頭を撫で、柳生は今度こそ本物のボールを手に戻ってくる。その表情に先程までの強張りはなく、仁王は満足そうに唇を吊り上げた。柳生は性別関係なく、己の力のみで勝ち上がってきた仁王の誇りのパートナーなのだ。綺麗な顔にはやはり笑みが似合うし、笑っていればいいと仁王は思う。
「全力で行きますよ。切原君の最短試合記録を塗り替えてあげましょう」
「了解ナリ。無敗ダブルスペアの実力、見せつけてやるぜよ」
こつん、と拳を軽く触れ合わせて、互いに位置に着く。審判のコールと共に高く高くボールをトスし、柳生がサーブを放つ。もちろん相手は触れるどころか反応することさえ出来ず、見事なサービスエースが決まった。振り向いて悪戯にウィンクしてくる仁王に、柳生も晴れやかに微笑み返すのだった。
2010年冬コミ無料配布より。
2011年3月20日