値段と愛は比例しませんので悪しからず。
『バレンタイン? チョコ? 女から? 告白? 何で?』
パソコン画面の向こう、単語を並べて心底分からないといった様子で首を傾げたリョーマに、財前はそれも当然だと頷いた。アメリカで生まれ育ち、つい数ヶ月前に日本へとやってきた帰国子女であるリョーマは、黒髪と大きな黒い目を持つ純日本人の容姿をしていながらも、中身はほとんどアメリカ人に近い。だからこそ彼女にとってのバレンタインとは、友達同士なら男女関係なくフランクにプレゼントを贈り合い、恋人や夫婦なら男性が女性に特別なデートをセッティングして花束やジュエリーを贈るといった、そういったイベントなのである。日本の「女性が男性にチョコレートを渡して愛を告白する日」という新たなバレンタインデーの真実に、リョーマは不可思議に首を傾げている。訳分かんない、と呟くリョーマに、財前は同意した。彼女も小学生の頃に数年をイギリスで過ごしているため、リョーマの疑問は良く分かるのだ。
「郷に入っては郷に従え、や。とにかくおまえも部活の先輩分くらいはチョコを用意しとくんやな」
『それって絶対にやらなきゃだめ? 俺、今月のお小遣いもう残り少ないんだけど』
「おかんに強請ればええんちゃう? バレンタインっちゅーたら、普通のおかんは協力してくれるで。おまえんとこは従姉の姉さんもおるんやし、一緒に手作りしたらええやん」
『げ。手作りなわけ? そこらへんの買ったチョコじゃだめ?』
「甘い。甘すぎるわ。ええか? 日本のバレンタインにはめっちゃええ言葉がある。それが『三倍返し』や」
『三倍返し?』
新たな単語の登場に、ますますリョーマの顔は面倒くさいといった表情に変わる。いいから聞いとけ、と財前はリョーマの頭を抑え込んで話し続ける。
「日本では、バレンタインに女が男にチョコを渡すやろ? そのお礼として男が女にプレゼントを渡すんが、一ヶ月後のホワイトデーや」
『そんなのまであんの? 面倒だね、日本って』
「せやけど、ホワイトデーの基本はさっきも言うた『三倍返し』や。女があげたチョコの三倍のお返しを、男はせなあかん。つまりおまえがチョコを配ったら、その三倍のお返しが貰えるっちゅーことや」
『じゃあ俺が百円のチョコをあげたら、それが三百円の何かになって返ってくるわけ?』
「一概には言えへんけど、そうなるのが普通やな。男は見栄もあるし、特に年下のおまえにやったら貰うたよりもええもん返そうとするんが当然やろ。せやけど、買ったチョコやと値段が分かってまう。だからこその手作りや」
『Pricelessだからこそお返しも良い物になるってわけ? ふーん、面白そうじゃん』
滑らかな発音で、今度はリョーマの心得たとばかりに唇を吊り上げる。そうなのだ、財前がわざわざ遠く離れた東京のリョーマにライブチャットを持ちかけているのは、これを伝えるためだったのだ。帰国子女のリョーマはバレンタインに疎いと予想していたし、日本の事情を知ったところで「何それ俺には関係ないし」で済ませただろう。しかし問題は、彼女の周囲にいる男たちである。生意気で可愛くて強くてどうしようもなく愛らしい一年生ルーキーを、青学の男子テニス部レギュラーが溺愛しているのは周知の事実だ。彼らならきっとリョーマからチョコレートを貰えなくても嘆きはしても怒りはしないだろうが、菓子ひとつで機嫌を取れてしかも一ヶ月後のお返しも期待できるならやっておいて損はない。
そんな打算と共に、もうひとつ財前の脳裏を掠めていたのはお歳暮的な内容である。自分たちはいくらテニスが強いとはいえ、やはり女子だ。男子中学テニス界では絶対的に少数の存在であり、同じ学校の仲間がいてもどこにどんな落とし穴があるか分かったものではない。柳生と向日は春で高等部に上がってしまうため、後輩のリョーマをくだらない男共から守るのは自分の役目だと財前は考えているのだ。だからこそチョコレートを贈っておくことで、卒業するレギュラーからの今後の庇護を確かなものにしておきたい。もちろんそんなことをしなくても手塚や不二は動いてくれるだろうが、保険はいくつかけておいてもいいものだと財前は思っている。
「手作りっちゅーても、おまえ料理出来へんやろ?」
『まったく。財前さんは出来んの?』
「善哉やったらプロ級や。せやったらおかんか従姉さんに付き合うてもろうたらええ。それかハートのチョコ買うて、その上にカラフルなチョコで先輩の名前でも書いて飾り付けするんやな。それだけで結構男は喜ぶもんやで」
『ふーん。名前書くのって難しい?』
「最初はな。失敗したら父親にあげればええんちゃう?」
『あ、それいいかも』
「せやけど、おとんにチョコ代せびったらあかんで。出してくれるどころか泣き出すからな」
『それ経験談?』
「兄貴にも泣かれたわ」
画面の向こうでリョーマが笑う。今となっては苦笑で済ませられるが、昨年のバレンタインでは大変だった。世話になっとるし、と財前がテニス部の皆にチョコレートを買いたいと言ったところ、父親と歳の離れた兄が悲しいんだか悔しいんだか怒っているんだか分からない複雑な情けない顔をしてリビングのソファーで膝を抱えたのである。何やあれ、と不思議がる財前に、母親と兄の妻は笑って「可愛え光に男を近づけたくないんやって」と教えてくれたが、男子テニス部に所属していて何を今更といった感じだ。しかも財前が買おうとしていたのは、五十個入りで五百円の色気も何もないお買い得パックのチョコレートである。それでさえショックを受けていたのだから、いつか彼氏でも連れてきた暁には家が葬式になりそうや、なんてことを財前は懸念している。
『向日さんや柳生さんもチョコあげてるのかな? ふたりも手作り?』
「いや、向日さんは買いチョコっちゅーてたな。氷帝は金持ち学校やから、ここぞとばかりに逆に手作りする奴が多いんやと。箱入りお嬢が初めて作るチョコなんか食えたもんやなくて、跡部さんらも辟易しとるんやて。せやから向日さんは毎年買いチョコらしいわ」
『ふーん。柳生さんは手作りっぽいよね。凄く美味しいの作りそう』
「多分おまえにもくれるで。去年のザッハトルテとか、ほんま売り物やったし」
『じゃあ俺、柳生さんには気合入れてデコレーションする。財前さんにも宅急便で送るから』
「俺も送ったるわ。友チョコっちゅーのも定番やしな」
距離が離れているので一緒に買い物には行けないが、こうして交流を続けるのも悪くない。じゃあチョコの予算はひとり百円で、そういやチョコってどこで売ってんの? スーパー? なんて聞いてくるリョーマにも、いちいち答えを返してやる。妹がおったらこんな感じなんかな、と考える財前は根っからの末っ子タイプだ。金太郎という年下の幼馴染はいるけれども、あれは一応男なので度外視する。柳生や向日には可愛がられている自覚があるが、可愛がるのも存外に悪くない。パソコン画面の向こうのリョーマに向かって、女同士もええもんやな、と財前は小さく笑みを浮かべた。
後輩リョマさんを可愛がる財前の図。財前がイギリス帰りなのは当サイト仕様です。
2011年2月18日