for you(仁王編)
十月の半ばともなると、深夜はやはり寒さが募る。吐く息はほんのりと白さを帯びて濁るし、手袋のない指先は少しかじかむ。出来るだけ音を立てないようにして、ドアを開いて柳生が出てきた。柔らかいピンク色のネグリジェが、夜の闇の中でぼんやりと光る。ガウンをまとっているから寒くはないかもしれないが、ひらひらと揺れるレース、仁王は自然と瞳を細めた。もうすぐ日付が変わる。十月十九日が終わる。
「誕生日おめでとう、柳生」
祝福を告げれば、ふわりと柳生が微笑んだ。眼鏡をかけていない瞳を直に見ることが出来て、その端が僅かに赤らんでいることにも気づける。夜だからか、ネグリジェ姿だからか、それとも髪が解かれて風に揺られているからだろうか。ひとつひとつが艶めかしくて、柳生に色を添えていく。
「まさか、今年も来てくれるだなんて思ってもいませんでした」
「去年の柳生は随分と驚いてくれたからのう。今年はサプライズにはならんかったか」
「来てくれたらいいな、と思っていたので、十分にサプライズですよ」
止めた自転車に跨って、仁王はサドルに肘を預ける。制服ではなく、私服のパーカーにジーンズだ。仁王の家から柳生の家まで、自転車で約四十分。深夜の中を駆け抜けてきた。なぁ、と身を屈めて仁王は見つめる。
「誕生日プレゼント、何が欲しい?」
いつもは身長差から見下ろす柳生は、見上げてもやはり美しかった。ぼんやりと発光しているような、白い顎のライン。染めていないけれど色素の薄い髪の毛。常は眼鏡に隠されている睫毛は長くて、はんなりと開かれる唇は淡く色づいている。仁王の隣にいてくれる少女。仁王が見つけた、仁王が見出した、誰にも譲れない、仁王の宝。
「・・・それでは、親愛のキスを」
甘い言葉に吸い寄せられるようにして、唇を寄せた。去年と同じく、額に。そして頬に。手を取れば、ふたりの間を遮っている門扉が僅かに音を鳴らした。掌に、甲に、そして閉じられた瞼の上に、優しくそっと唇で触れる。ほう、とふたりの吐息が夜のひんやりとした空気中で交わった。柳生の頬が薔薇色に染まっている。自分がさも幸せな笑みを浮かべている自覚が、仁王にはある。
「さぁ、もう戻りんしゃい。風邪引くぜよ」
「はい。仁王君も、どうかお気をつけて。また朝練で」
「ん。おやすみ、柳生」
「おやすみなさい。・・・今年もよろしくお願いしますね、仁王君」
見送ろうとする彼女を遮って、先に家の中に入るよう促す。柳生は少し渋っていたけれども、厚意に甘えることにしたのだろう。おやすみなさい、とネグリジェの裾をほんの少しだけ翻して自宅へと消えていった。冷えた指先に息を吐きかえていると、二階の一室でカーテンが開かれる。視線が重なって、柳生が微笑みかけてくる。おやすみ、と聞こえないだろうけれども呟いて、仁王はひらりと手を振ってから自転車のペダルを力強く踏み込んだ。途中で一度だけ振り返って、まだその姿があることに唇が緩んで、スピードを上げて自転車は夜を切り裂いて進む。
「・・・十二月の、俺の誕生日」
今更ながらに、耳が熱い。寒さにか、それとも他の何かでか。
「『愛情のキス』が欲しいっちゅーたら、怒られるかのう・・・?」
頬を桜色に染めた仁王のそんな呟きと共に、十月十九日が終わりを告げた。
そして郵便ポストには、シンプルでセンスの良いネックレスが入っていたのでした。
2010年10月25日