天才のささやかな日常





実力があり、練習にちゃんと着いてくることができ、試合でもある程度の結果を残すことさえ可能ならば、女子でも男子と共にスポーツが出来る。平等に開かれた門戸だが、それでも性差による問題は数多に立ち塞がり、余り広まっていないのが現実だった。数えるほどしか存在しない中学男子テニス界で活躍する女子のひとり、財前光はかちかちと手元の携帯電話を操作している。部室のパイプ椅子に座ってハイソックスの足を組みかえる様は、中学二年生にしては不遜だったけれども、端正な顔立ちをしている財前に酷く似合っている。しかし、その表情はあからさまな不機嫌を浮かべていた。漆黒の髪をかき上げれば、形の良い耳元で五色のピアスがきらりと光る。
「・・・何や、えらいご機嫌斜めやな」
「どないしたん、うちのお姫さんは」
ロッカーに向かって着替えながら、こそこそと謙也と白石が囁きあう。当然のことながら財前の着替えは隣にある女子テニス部の部室で行われるが、それでも一緒に下校するのが同じ部活の仲間なのだと白石が提言しているため、先に着替えを終えた彼女は手持ち無沙汰に携帯を弄って待っているのだ。男共の着替え中でも構わず部室に入ってくる財前に、最初の頃はユウジも「おまえには慎みっちゅーもんがないんか!」と叫んだりしていたが、はんっと睥睨した態度で「見せられへんほど貧相な身体しとるんすか、それはすんませんでしたー」と鼻で笑われてしまえば、それ以上文句を募らせるなんて男の沽券にかけて出来やしない。以降、財前に裸を見られるのが嫌な部員は練習が終わるなり速攻で着替えるようになったため、今残っているのはすでに羞恥心をどこかに置き忘れたようなレギュラーのみだ。もちろんユウジは未だぶちぶちと愚痴を漏らしたり、謙也などは時折我に返って真っ赤になったりもしているが、財前にとってはどこ吹く風に過ぎない。
愛想という言葉とは無縁の財前が不機嫌をその顔に乗せると、周囲はとても居た堪れなくなってしまう。それほどまでに、彼女の容姿には冷酷な棘が似合うのだ。もともとスタイリッシュな美少女ということもあって異性に人気の高い財前だが、その内訳は「下僕にしてください!」という志願者が多いのだと情報通の小春は言う。所謂女王様やね、と嬉しそうに微笑んだ小春に、当の財前は嫌そうに顔を歪めていたけれども、それすらどこか硬質で背徳的なのだから評判に違いはなかった。
「あんなぁ、光、告白されたんやって」
場を読まないのか、それとも気遣う必要はないと知っているのか、金太郎が普通の声量で事情を語る。バンダナを付け直したユウジが、呆れたように肩を竦めた。
「何や、いつものことやんか」
「告白してきた男が三年でな、光が断っとるのにしつこく言い寄ってきたんやて。手首掴まれて、壁に押し付けられたらしいで」
「・・・その三年、どこのどいつや? ウチがしばきたおしたる」
「俺も行くばい」
逆光を背負った小春に、珍しく部活に参加していた千歳が真顔で頷く。けれど金太郎はからからと笑い飛ばした。
「ワイがぶちのめしといたから平気や! 光をいじめる奴はワイが許さへんでぇ!」
「さすが金太郎さん、頼れるわぁ! ・・・せやけど再度ごり押ししといた方が、他への牽制にもなるしなぁ?」
「屋上から下駄を落としてやるばい。大丈夫っちゃ、当てたりはせんよ」
「せやったら教えたるわ。相手はなぁ、三年二組の・・・」
今度はひそひそと話しだした三人に、同じく三年二組在籍の謙也と白石はクラスメイトの冥福を祈った。金太郎と財前は小学校に入る前からの幼馴染らしいし、小春と千歳は辛口な後輩の少女をいたく可愛がっている。だからこそ加えられるだろう制裁は想像の範囲を超えていて、他人事なのに謙也の背筋を震わせた。
ピロリロ、と電子的な音が鳴る。聞くだけで携帯電話の着信音だと分かるそれは、財前の手の中にあるものかららしい。流行の音楽ではなく自作の曲を設定しているため、特に歌詞はついていない。それでも耳に残るメロディのそれに、四天宝寺レギュラーは勝手に歌詞をつけては口ずさんだりしている。かち、とボタンを押す財前の指は細くて綺麗だ。それでも爪は伸ばされていないし、手のひらにはラケットを握りすぎて作られた肉刺があることを部員たちは知っている。努力している姿を見ているからこそ、財前は女子ながらに男子テニス部で認められているのだ。
何とはなしに財前を眺めていたレギュラーたちは瞠目した。画面に目を通していた横顔が、一瞬だけふんわりと綻んだのだ。不機嫌が一転して、長い睫毛が穏やかに揺れた。あいつほんま顔だけは美少女やな、顔だけは。ユウジが褒める一方で貶し、謙也はつられて笑顔になって財前に近づく。
「何や財前、ええことでもあったんか?」
「謙也さんには関係ないっすわ」
そっけない言葉を返して、これ見よがしに顔を逸らした先で財前の視線が銀と重なった。笑顔ではないけれど不機嫌でもない、常の割合と無表情な顔でパイプ椅子から立ち上がり、制服へと着替え終わった銀に近づいていく。
「師範にやったら、見せたってもええっすわ」
「・・・おおきに、光はん」
逞しい銀の傍に寄れば、財前の細身の身体がよく映える。身長は女子の平均だが、すらりと伸びた手足は少女のそれだ。特にスカートから覗く脚は表現しがたい絶妙な曲線を放っており、脚フェチを自称する謙也の従兄弟が「理想の脚やな」と絶賛したくらいのものだった。ちなみにそんな東京在住の従兄弟は、危機感を覚えた謙也によって財前の半径十メートル以内に立ち入り禁止令を出されている。液晶画面を覗き込めば、銀の顔も微笑を浮かべる。
「可愛え狸やな」
「猫っすわ、師範」
「そうなんか、すまんな」
「構へんし。どう見ても猫やなくて狸やろ、これ」
くすくすと笑う財前は部活中とも、クラスともまた違った顔をしていた。
「越前の家の猫なんすわ。時々『今日のにゃんこ』っちゅーてメール送ってくるんやけど、これまた不細工な猫で」
「コシマエ? 光、ワイもコシマエとメールしたい!」
「せやったらおまえも携帯買うんやな。ほな謙也さん、はいチーズ」
「へっ!?」
「『今日のわんこ』っちゅーて送っとくっすわ。あ、向日さんからも来た。『今日のひつじ』やて、芥川さんの写真ついとるし」
柳生さんは何送ってくれはるんやろ。『今日のドーベルマン』で真田さんかな。そんなことを言いながら高速のボタン打ちでメールを作成し、財前は先輩を犬と称したメールを送ったらしい。名前の挙がったリョーマと向日と柳生は、学校は違えど財前と同じ、男子の中で確固とした己の地位を築いている女子テニスプレイヤーだ。数少ない同志の存在は財前にとってクラスメイトよりも大切で、だからこそこうして日々、他愛ないことでも連絡を取り合っているらしい。女の子やなぁ、と白石が微笑ましいものを見る眼差しを向ける。
「そろそろ撤収するでー」
「白石! ワイ、たこ焼き食べたい!」
「あかんで、金ちゃん。昨日も食べたやろ」
「千歳先輩、俺、ぜんざい食いたいっすわ」
「よかよ、光君。奢っちゃるけん」
「こらそこ、甘やかすんやない!」
「さすが千歳先輩っすわー」
「きゃっ、男前!」
「小春っ、小春には俺が奢ったる!」
「ほな、みんなで行くか」
「まぁた寄り道か」
わいわいと騒ぎながらラケットバッグを抱えて、全員揃って部室を出る。学生服のズボンばかりの中で、唯一財前だけがスカートだ。それでも彼らは共に戦う仲間であって、支えあう戦友なのだ。謙也が振り返り、隣のスペースを空けて待つ。財前が当然のようにそこに収まれば、反対側に白石が並んで、そうして皆で歩き出す。明るい笑い声は夕焼けに溶けることなく、一番星にも劣らず輝いていた。





柳生さんからのメールは『今日の悪魔』で切原でした。
2010年10月11日