4.ユーシとガクトとマウスパッド
入り口でチケットをもぎってもらい、そこでチラシやらアンケートやら数枚の紙を受け取る。そして進めばキャストへのプレゼントを預けるコーナーがあり、その向こうにファンクラブ会員のポストカード受け渡し所、そして過去のテニミュDVDなどの販売、そして再奥が物販コーナーとなっている。開場に並んだのが早かったからか、ユーシたちは最後尾のプラカードが第二バルコニーに到達する前に列へと入ることが出来た。滑り込んだ瞬間に前の女性グループが悲鳴に近い歓声を挙げ、にこっと笑ったガクトの愛らしさにプラカードを持つ男性係員が頬を染めたのは仕方のないことなのだろう。日吉が鞄からエコバッグを取り出している。慣れ切ったその行動に、ユーシは思わず目頭を押さえた。
「今回の物販って何があるん?」
「いつものパンフにポスター、缶バッジと紙袋だろ?」
「四枚組の生写真も定番ですね」
「お、マウスパッドは初めてやんな? っちゅーてもうちのパソコンはノーパソやから、マウスパッドは必要あらへんのやけど」
入り口で配られた紙の中にはグッズの一覧もあり、それらを見ながらちまちまと進む列に並ぶ。相変わらず周囲から向けられる視線と声についてはもはや心を閉ざすことにした。忍足侑士ではないユーシにそんな技は出来ないけれども、そろそろ習得できそうな気がする今日この頃である。
「あれ? 姉ちゃんから電話だ」
パンツのポケットに入れていたため振動に気づいたのだろう。ストラップを引っ張って取り出し、通話ボタンを押してガクトが携帯電話を耳に当てる。その際にさらりとしたおかっぱの髪をかき上げて耳にかけたのだが、瞬間的に周囲から「きゃー!」やら「ひゃー!」やら「ぎゃー!」やら「がっくん可愛いー!」やら歓声が上がった。そんな中でも変わらず通話できるガクトは、やはりユーシより何段階も上のレベルにいる強者である。
「姉ちゃん? 何? メイトのイベント行ってんじゃねーの? 千石が格好いい? そんなの知ってるっつーの。あいつのコミュ力、テニプリで一番じゃん」
列は地道に進んでいく。「日吉君、こっち向いてー!」という呼びかけに、日吉がつんと逆の方向を向いた。それでさえ「ツンデレ萌え!」やら「さすが!」やら声が飛ぶのだから、テニミュのテンション怖い、とユーシが脅えても仕方ない。
「は? 会場限定オリジナルマウスパッド? 全国公演記念バージョン?」
ガクトが首を傾げる。ユーシが物販のチラシを広げるが、マウスパッドは一種類しか載っていない。しかしちょうどよく三人の並ぶ箇所が、大きなパネルの前に差し掛かった。そこにはやはり物販の一覧が写真入りで掲載されており、そこにはマウスパッドが二種類並べられている。一つはチラシにも載っている各校の全身アングルだが、もう一つはぎゅうっと密着した上半身アングルのアップである。そこには「名古屋公演より追加」の文字が躍っていた。ああ、とガクトが納得して頷く。
「何だよ、そのマウスパッドを買ってけばいいわけ? 一個でいいの? はぁ!? 十個? 姉ちゃん俺の小遣い知ってんだろ! 大阪公演しか観に行けなかった友達の分? 知らねーよそんなの!」
ぎゃあぎゃあと喚き出すガクトを余所に、列はやはり地味に進んでいく。しばらく押し問答があったようだが、はぁ、とガクトが溜息を吐き出したので、結局はガクトの姉の勝ちらしい。
「キルフェボンのケーキ、二個だからな。くそくそ、姉ちゃんのアホ。・・・はいはい、分かったよ。じゃーな」
ぴっと通話を切って、携帯電話をまたパンツのポケットに押し込む。むーっと頬を膨らませたガクトにユーシは苦笑した。
「姉ちゃん、マウスパッド買うて来いって?」
「そう! しかも十個だぜ!? 一個八百円もすんのに、十個も買ったら俺の財布が空になるっつーの! 帰りの電車賃はスイカだからいいけどさー」
「えらいえらい。ガクトはええ子やなぁ」
「ほら、全国公演版って俺たちが絡んでんじゃん? だから欲しいんだってさ」
「・・・何やって?」
思わず頬を引き攣らせて硬直したユーシを誰が責められようか。ぐるんと振り向けば勢いが付きすぎて背後の女性たちを見ることになり、またしても黄色い悲鳴を浴びてしまう。慌てて顔を戻し、ユーシは物販コーナーの看板を見やった。マウスパッドマウスパッド。あれか、と狙いを定めて目を細める。余談だがユーシは忍足侑士と異なり本当に視力が悪く、丸眼鏡は伊達ではない。
「・・・絡んどるな」
「絡んでますね」
「ええんか、あれ。テニミュって公式やろ? ええんか?」
「準公式じゃね? 別の意味で公式だけど。っていうか今気づいたけど、あれってパズルのウィズフレンズと同じ構図じゃん」
「向日さん、見切れてて良かったですね。カメラがもう少し違う位置だったらハーフパンツの中まで撮られてましたよ」
「やっべ、俺の純潔やっべ!」
ガクトはきゃっきゃと笑い出すが、ユーシにとっては笑い話ではない。マウスパッドは写真が三枚ついており、透明なフィルムの中にそれを挟めるようになっている。青学と六角はそれぞれ全員集合の笑顔を真正面から撮った形だが、氷帝は円を組んで寝転んでいるのを上から撮った構図になっている。寝ていないのは珍しく座って上を向いているジローくらいだ。そんな中で並んでいる氷帝信号機トリオこと、忍足侑士と向日岳人と日吉若の構図が問題だった。あかん、あれ何て公式。ユーシは思わず冷や汗を流してしまう。
中央にいる向日が、カメラを蹴るように片足を上げてテニスシューズの底を見せている。そんな向日岳人の肩に手を置き、「あかんで」と右側から嗜めようとしているかの忍足侑士。そして向日岳人の左腕は逆隣にいる後輩の上半身の上に投げ出されており、そんな腕を片手で抱えて迷惑そうな顔をしている日吉若がいる。素晴らしい構図だ。氷帝信号機トリオが好きな人々にとって、所謂ガクトの姉のような人々にとって、「ごちになります!」と言わせんばかりの構図である。ちなみにトリオの反対側では宍戸の帽子を滝が奪っていたりと、こっちはこっちで想像を掻き立てる図になっており、もはや一人でカメラに向かって両手を広げている跡部が何だか気の毒になってくるくらいである。公式が病気。そんな言葉を思わず脳裏に浮かべたユーシである。
そうして物販はちょこちょこ進み、ついに三人の番がやってきた。売り子のお姉さんに目を丸くされ、頬を染められて「いいいいらっしゃいませえええ!」と歓迎されるのはもはやいつものことである。ばちこーんとサービスのウィンクを贈り、ガクトが男前に注文する。
「マウスパッドの全国公演バージョン、十個よろしく!」
「はいよろこんでー!」
「全種類三つずつください。生写真のソロはチームセットで」
「は、はははははははは!?」
「聞こえなかったんですか」
「ききき聞こえましたすみませんはいよろこんでー!」
母親からのお使いを果たしている日吉の横顔は、もはや完全な無である。合計金額が八万円を超える買い物をしてみせる日吉に、慌てて奥で写真の追加などをしていた売り子さんたちが手伝いに出て来る。時間がかかるだろうが、日吉若そっくりの日吉に文句を言える輩もいるまい。相変わらず涙を誘う光景やな、と目頭を拭いつつ、ユーシの番もやってきた。
「・・・忍足侑士の生写真、ソロと追加分を両方ください」
「つーかユーシ、買うもんなけりゃ先に席に行ってていいのに」
「俺は気づいたんや、ガクト。席に一人にされるくらいやったら、何かひとつグッズを買うた方が精神的に楽やってな・・・!」
「ふーん」
横からの声に応えつつ、ユーシは九百円を支払って買い物を終えた。ちなみに隣の日吉はまだ悟りの境地のような横顔で、山のようなグッズをエコバッグに詰めてもらっている。こうしてユーシの自室のアルバムには、歴代忍足侑士の写真が着々と溜まっていっているのである。
マウスパッド、最後まで迷った挙句に購入しました・・・。だって信号機が! 信号機が!
2012年2月15日