番外編:ユーシとガクトと日吉とテニミュ
四月から高等部に進級したけれども、私立であり中高一貫を教育方針として掲げているこの学校では、教室の場所が変わる程度て大した変化はない。制服が少しばかりおとなびたデザインになるけれども、周囲を囲むのは相変わらず持ち上がり組の見慣れた顔ばかりなので感慨とは無縁だ。しかしユーシにとっては、面白い出会いがあった。正確に言えば高等部に進級したからではなく、その少し前、中等部三年生の三学期の始業式に転入してきたひとつ年下の後輩。「テニスの王子様」のキャラクター、日吉若にそっくりな少年である。キャラのそっくりさんには、ユーシは鏡の前で毎日会っている。親友のガクトも相変わらず向日岳人に瓜二つだし、黒歴史として封印すべきか悩み中である強制参加させられた冬コミでは、財前光のそっくりさんにも出会った。そして四人目。苗字は日吉ではないらしいが、名前はこれまたしっかり「若」であり、中身もそっくりな後輩のあだ名は、速攻で「日吉」だと学校中に認知された。それはもはやユーシが忍足と呼ばれたり、ガクトが向日と呼ばれたりするのと同じだ。ここまで似てて何でキャラじゃないんだよ、と生まれてこの方一体何度言われたことか。
そんな日吉は、最初ユーシやガクトと関わることを拒否していた。逃げ回っていたと言ってもいい。一緒に居ることで尚更にキャラクターとして見られることが嫌だったのだろう。しかしそんな日吉を逃がすようなガクトであったら、彼の中身とて向日岳人そっくりとは言われない。向日岳人はガクトの姉曰く「氷帝の特攻隊長」なのだそうだ。「ボルテージ最高潮で先制攻撃を仕掛けるREBORNで言うなら嵐の守護者! っひゃー! がっくん格好いい素敵惚れるー!」 ・・・などというキャラクター評はともかく、親友のユーシから見ても面白いことが大好きなガクトが、よもやまさか日吉を逃がすわけがなかった。生徒全員が知り合いというほどに顔が広く、校内の地理も熟知しているガクトに、転入生の日吉が勝てるわけがない。どこに行こうと追い回され、振り回され、そして日吉が深い深い溜息を吐き出して敗北宣言をするのを、ユーシは少しばかり離れた位置から見ていて思った。何やこれ、どんだけひよがくフラグ。そんな感想を抱いてしまう程に、三人の通う学校の腐女子の中でひよがく支持率はうなぎのぼりなのだった。
そしてユーシとガクトは高等部に進級したけれども、中等部と高等部は同じ校舎内にあるため今までと距離感は変わらない。週に二度か三度は一緒に昼食を摂る中で、ユーシはやっぱり日吉は日吉若であると確信していた。古武術ではないが空手道場の息子らしいし、先輩を先輩とも思わない不遜な態度もこれまた日吉だ。それでいてガクトが日吉の純和食の弁当を指さして「うまそー! なぁなぁ日吉、これくれよ!」と言えば、ふたつみっつの文句を呟いた後でちゃんとくれるのだから、それ何て日吉若。OVAではひよがく遊園地デートもあったし、やはりこれは公認なのか。いや、俺かてガクトのことは好きやし、いやいやそれは断じてガクトの姉ちゃんが喜ぶような好きとはちゃうけど。うーん、とユーシは少しばかり複雑な気持ちで親友と後輩の交流を眺めている。
「・・・向日さん、忍足さん」
「何だよ、日吉」
お互いに本当の名字は違うのに、別の名字で呼び合う不思議。ガクトはちゅーっと苺牛乳をストローで吸い上げているが、対して向かいに座る日吉の表情は冴えない。教室のざわざわとした喧噪の中で、日吉だけが唯一絶望やら諦観やらやるさなさを浮かべている様はある種異様だ。そういや朝に挨拶したときから変やったなぁ、とユーシが思い返してサンドイッチを食べきると、ようやく決心がついたのか日吉が薄い唇を開く。
「・・・もうすぐ、母の日ですね」
「そんだけ前振りやっといて言うことがそれかい。せやな、ゴールデンウィークが明けたら母の日やんな」
「・・・おふたりは、何かプレゼントとかされるんですか」
「俺は毎年ハンカチって決めてるぜ。去年はマーガレットハウエルだったから、今年はセリーヌにする予定」
「うちはケーキやな。親父は毎年花束やで。誕生日やクリスマスや結婚記念日とか、そういうときにも花は欠かさへんし」
「やるじゃん、ユーシのおじさん」
突っ込みを入れつつもちゃんと答えを返してやったのに、日吉の反応はいまいちだ。失礼な奴やなぁ、せやけどこれが日吉やしなぁ、とユーシが後輩を見やれば、その表情はさっきよりも硬い。弁当は食べ終えているため箸は握っていないが、その拳はきつく震えていて、上げられた顔の中でぎらっと目が死に物狂いに輝いていた。後に気づくが、それは日吉にとって物凄い葛藤だったのだろう。絞り出すような、それでも小声で、後輩は言ったのだ。
「母の日に、うちの母と一緒に、テニミュを観に行ってもらえませんか・・・!」
思わず沈黙が広がってしまったのは、日吉に対しては申し訳ないが、当然のことだろうとユーシは思う。ちゅる、とガクトの苺牛乳が力なく音を立てて飲み込まれた。
「・・・テニミュ? もしかしてドリライ? チケット取れたのかよ?」
「・・・はい」
「うわ、すっげー! うちの姉ちゃん、横浜取れなくて神戸まで観に行くぜ?」
「・・・母も、チケット発売の日は殺気立っていて声もかけられないくらいでした」
「何枚取れたんだよ?」
「・・・四枚です」
「売ったら高値になるんだろうなぁ」
もちろん転売は禁止だけど。ちゅるちゅるちゅるちゅると苺牛乳を飲むのを再開させるガクトは、やはり流石だ。順応が速い、速すぎる。衝撃の淵からようやく戻ってくることの出来たユーシは、まじまじと日吉を見つめてしまった。切り揃えられた日吉カットの前髪の下から、きつい目線が寄越されて、そしてぷいっと逸らされる。
「ええと・・・日吉の母さんは、何やったっけ? 中の人に萌える性質やったっけ?」
「・・・はい」
「声優とかそっち系だよなー? ミュキャストも好きなんだろ? テニミュだけじゃなくてキャストの他の舞台も観に行ってるって前に言ってたじゃん」
「せやけど、俺らが一緒に行ってええの? せっかくのドリライなんやし、ミュ友と行った方が楽しめるんちゃう?」
「・・・母が、向日さんと忍足さんの写真を見て」
若も入れて氷帝三人を侍らせてテニミュが観たいの! アリーナのすっごくすっごくすっごくすっごくいい席なのよ! キャストが若たちに気づいてぎょっとするところも見てみたいし、何よりこれで三人が次のミュキャストにスカウトなんかされちゃったりしたら母さんすっごく嬉しいわぁ! 大丈夫! 三人なら間違いなくセカンドシーズンの氷帝になれるから! 母の日の贈り物はそれでいいわよ!
「・・・と言っていまして」
「セカンドシーズン?」
「テニミュ、この前全国決勝まで終わったじゃん。だから違うキャストでもう一回最初っから新しくやるんだよ。それがセカンドシーズン」
「そうなんか。・・・そうなんか・・・」
沈黙は再び訪れたが、今度は自分の顔色まで悪くなっている自覚がユーシにはあった。ちゅるちゅるちゅる、苺牛乳が以下略。空気が重い。しかし日吉の母のリクエストに応えて一緒にテニミュを観に行ったりなんかしてしまったら、今後の人生が大きく狂わされることはかなりの確率で間違いないだろう。それだけユーシは、自身が忍足侑士と瓜二つだという自覚があった。これでミュキャストなんかになってしまったりした日には、公私共に忍足侑士になってしまう。それは、嫌だ。いやもう冬コミで散々忍足のコスプレなんかしちゃって、忍岳的な振る舞いなんかもしちゃって、あれ以降ガクトの姉のホームページには「あのときの忍岳は誰ですか!?」という質問が絶えないらしいが、それでも流石に。
「・・・・・・ちょお、考えさせてもろうてもええ・・・?」
「・・・はい。どうぞ、ゆっくり考えてください」
すみません。珍しく殊勝に日吉が頭を下げていたが、ユーシはそれ以上に頭が痛くて仕方がなかった。なんやもう俺、忍足侑士に改名した方がええんかなぁ。そんな現実逃避を考えるユーシの横で、ガクトはやはり男前に「別に俺は行ってもいいけど、そしたら日吉には今度俺と一緒に『セッカチ』を歌って踊ってもらうぜ? 姉ちゃんの誕プレにするから」と苺牛乳を飲み干したのだった。
日吉ママは33歳。一回り年上のダーリンと結婚したラブラブ夫婦。中の人萌えするので、ドラマCDとか鬼のように持ってたりする。
2011年1月15日