17.ユーシとガクトと撤収





コミックマーケットには、宅配便の業者がふたつ入っている。ゆうぱっくんと黒猫さんだ。伝票は場内のインフォメーションで手に入れることが出来、自前のガムテープで荷造りをしてから受付へ運ぶ仕組みだ。中身が本であることがほとんどなので、箱は小さくても存外の重さになる。それなのに黒猫さんの受付は東ホールの外にある駐車場で、毎年そこまで運ぶのにいろんなドラマが生まれるらしい。暇潰しにコミックマーケットのカタログについている「マンレポ」という一コマ経験談を読んでいたユーシは、一体どんな感じかと思っていたのだが、彼の想像を余所にあっさりと手続きは終了してしまった。何故なら、段ボール箱の受付とキャリーバッグの受付は別のテントだったからだ。後者は比較的空いており、ユーシとガクトは五分と待つことなく代金の1500円を支払うことが出来た。ちなみにキャリーバッグの中身はコスプレの衣装と、数えるのも途中で諦めたふたり宛の差し入れだ。とりあえず配達先はガクトの家にしておいて、スペースに戻ってくるとガクトの姉は別のキャリーバッグに今日買った本をすべて詰め込んでいた。買った本だけはどんなに重くても自ら持ち帰り、そして当日楽しむのが彼女の美学らしい。物凄く様々なジャンルかつカップリングの本を、嬉々として詰め込んでいる。凄い重さになりそうやなぁ、とユーシが眺めているとテーブルの向こうから声がかかった。
「向日さん」
本来の名字ではないのにガクトが振り向いたのは、やはり今日一日向日岳人に成り切っていたからかもしれない。私服のパーカーのフードをふわんと揺らしてガクトが振り向いた先には、これまた四天宝寺のジャージではなく私服姿の財前がいた。おしゃれなコートを着こなしている様は、如何にも「財前光」といった感じだ。彼は上から下までガクトを眺め、にやりと唇の端を吊り上げる。
「何や、スコート脱いでしもうたんすか。似合うてたのに」
「喧嘩売ってんのかてめー。買うぞ、おら」
「俺、もう帰るんすけど向日さんたちは?」
「俺らも撤収や。大阪まで直行なん?」
「夜十時半発の夜行バスっすわ。ほんま身体ギシギシになるんで勘弁してほしいんやけど」
夏と冬の年に二度しかないコミケのために、地方から出てくる参加者は多い。どうやら財前は本当に大阪出身らしく、謙也のコスプレをしていた姉と一緒に帰るのだと言う。
「時間までどこで何すんの?」
「池袋で執事喫茶っすわ。姉貴が死ぬ気で予約取ったらしいんで」
「ぶはっ! おっまえ、ほんと可哀想だな! 姉ちゃんに連れられて間違いなくそのまま乙女ロードだぜ!」
「ちゃんと大阪に帰れるとええなあ」
「それ洒落にならへんっすわ。・・・で、俺そろそろいかなあかんのですけど」
もぞ、と財前がポケットに突っ込んだままの手を動かす。何だ何だとユーシとガクトは揃って首を傾げていたが、少しばかりむっつりとした表情で財前が取り出したのは携帯電話だった。謙也ひとりに接客をさせている間もいじくっていた、カーマインの綺麗な携帯。
「・・・メルアド、教えてほしいんやけど」
唇を尖らせて、「別に教えたくないんやったら構へんけど」と強がる様子でそう切り出してきた財前は、やはり本物の財前光のようだった。その証拠に仕度を終えて会場を去ろうとしていたサークル参加者の女子たちが「えええ、ちょっと何これこの素敵シーン! 光が岳人のメルアド聞いてんだけど!」「何その美味しいシチュエーション!」「他校同士の絡みとか最高なんですけど!」「原作もっと書いて! むしろ今見れたからもう十分です!」とじたばた騒いでいる。うわぁ、と最後の最後までこれかと半ばうんざりとしていたユーシを余所に、ガクトはにかっと笑って自身の携帯電話を取り出した。相手に言わせるけれど、その行為をちゃんと救い上げてくれる男気なのだ。いいぜ、と頷いたガクトに、ほっと財前の顰められていた眉間が緩んだ。
「おまえ赤外線どこだよ?」
「ここっすわ。一応聞いときますけど、向日さんほんまにメール魔やったりするんすか?」
「ちげーって。・・・多分。ちげーよな、ユーシ?」
「せやな。時折暇やっちゅうてメールしてくるけど、メール魔っちゅうほどやないで」
「そうすか。ほな俺行くんで」
「じゃーな! 腐女子の姉を持つ弟同士頑張ろうぜ!」
ユーシともアドレスを交換して、ぺこりと僅かに頭を下げて財前は自分の姉のスペースへと戻っていく。すっかり謙也ではなく女の子となってしまっている財前の姉は、戻ってきた弟にきゃあきゃあと何か言っており、手を伸ばして携帯電話を奪おうとしている。いなしてポケットに収める財前の様子に、ユーシはドライとも言えるガクトとの共通点を見た気がした。ああいう姉を持つとこういう弟が出来上がるといった見本品のような気がする。
「ガクト、ユーシ君、私はこれから忍岳オフ会に参加する予定なんだけど、ふたりはどうする?」
「帰る」
ぜってー行かねぇ、とガクトが言い切り、ユーシも密やかに頷いた。忍岳オフ会なんて参加しようものなら、一体どんな目に遭わされるか堪ったもんではない。最悪、目の前でこの同人誌を再現してみてお願い、なんて酷すぎる罰ゲームまでやらされそうだ。
「じゃあこれがとりあえず今日の夕飯代ね。美味しいもんでも食べて帰ってねー! 私はカラオケオールで帰るの明日の昼過ぎになるからよろしく! あ、ガクト、紅白ビデオ撮っといてね!」
「・・・姉ちゃん、何でそんな元気なんだよ」
「家に帰るまでが冬コミですから! 家に帰って戦利品を読み終わるまでが冬コミですから! 私の冬はまだまだ終わんないのよ! そんじゃよろしく! ユーシ君も今日はありがと!」
「姉ちゃんも気ぃつけるんやで・・・」
「お待たせ、ごめんね! じゃあ行こっか!」
がらがらと重いはずだろうキャリーバッグをあたかもぬいぐるみのごとく軽々と引きずり、ガクトの姉は五千円札を弟の手に押し付けた後に友人たちの方へと向かっていく。前々からオフ会を計画していたのか、それとも今日知り合った忍岳フレンズと意気投合したのか、どちらかは知らないが去っていく後ろ姿をユーシとガクトは力なく見送った。周囲もどんどん撤収を始め、もう少し経てば明日の三日目のための搬入が始まるだろう。ありえねぇ。ガクトがぽつりと呟く。ふたりにとっては精神力と体力共に、嵐のように根こそぎ奪い取られた一日だった。





カラオケオールに行ったのは久堂です・・・。
2011年1月8日