14.ユーシとガクトとスペース帰還
「姉ちゃん、ただいまー」
二リットルのペットボトルが一体何本分の重さだろう。同人誌は一冊一冊は薄くても、数が重なればそれなりの重さになってくる。ましてや、ラケットバッグに入っているのは物凄い冊数だ。ちょっともういい加減にやばいというガクトの訴えもあって、ふたりがガクトの姉のスペースに戻ってきたのは、すでに開場から三時間近くが経過した午後一時のことだった。途中で見たときには血栓が出来そうだった通路も、今はどうにか捌けている。ガクトの姉から購入した新刊セットを受け取っていた女性は、ふたりの登場にきゃあっと可愛らしい悲鳴を挙げた。写真撮らせてもらえませんか、と問われて、ユーシは「コスプレ広場やないと写真は禁止されとるんで」と断りを入れる。どんっと凄い音を立てて鞄を置き、ガクトはようやく身軽になった肩をくるくると回した。
「おかえりー! 買えた? 全部買えた?」
「買えた。つーか姉ちゃん、買う本多過ぎ」
「えー? でも十万円も行ってないでしょ? だったらまだまだ平気だって」
「何その基準」
「隣の801ちゃん!」
「っちゅうか姉ちゃんこそ平気やったんか? 途中で見たとき、なんやえらいことになっとったけど」
俺ら邪魔かな、思うて戻らへんかったけど大丈夫やった? 買い手さんを帰して、ユーシもラケットバッグを下ろして尋ねる。んん、とガクトの姉は首を傾げたけれども、だいじょうぶだいじょぶーと笑ったからおそらく平気だったのだろう。というか、その目の回る忙しさすら楽しかったのかもしれない。執念や、ほんまに執念や。精神が肉体を凌駕するんや。コミケ怖い。ユーシはだんだんぞっとしてきた。
「近くの手の空いてるひとたちが手伝ってくれたし、どうにか乗り切ったよ! 持つべきものは遠くの親戚より近くの他人よね!」
「何だよそれ、俺に対する嫌味か」
「というわけで、お礼としてあんたとユーシ君がほっぺにちゅーすることになってるからよーろーしーくっ!」
「それ援交だろ!? 弟を勝手に売るなよな!」
「えーっとまずお隣さんとー後ろの方とー三つ隣のサークルさんとー反対の島のサークルさんとー」
「ガクトの姉ちゃん・・・さすがに俺も身体を売るのは嫌なんやけど」
「ごめんねぇ。報酬を売り上げの二割にするから頑張って! ガクトとユーシ君でお嬢様方のほっぺたを両側から挟んでやって!」
「そういや姉ちゃん、売れ行きどうなの? 無料配布のコピー本は全部なくなったみたいだけど」
「コピ本は開始十分で終了! ありがとうございましたー!」
「へぇ、良かったじゃん」
ぶい、とピースをするガクトの姉は非常にご満悦状態らしい。ちら、とユーシが視線を走らせれば、確かにテーブルの上の看板に隠れた位置にある釣り銭入れには、千円札やら五千円札やらが溢れている。新刊は三冊で、フルカラー表紙の忍岳ラブラブ本が一冊千円、U-17選抜を舞台にした忍足と岳人がメインのオールキャラ本がこれまた一冊千円、どちらも漫画で100ページ越えの大作だ。準備のときに興味本位からページをめくってみたところ、イラストも一貫して落ち着いた上手さで、とてもじゃないが素人が描いたとは思えなかった。ラブラブ本は開いたページがいきなりキスシーンで思わず力いっぱい閉じてしまったが、オールキャラ本の方は友情メインで、ユーシでもちゃんと読み切ることが出来た。正直に言うと、面白かった。キャラクターをちゃんと活かした上で過度な乙女化もへたれ化もされておらず、原作そのままの忍足侑士と向日岳人が描かれていて、本当に原作のスピンオフとしてありえるんじゃないかと思ってしまったほどだ。ガクトの姉ちゃんって多彩やなぁ、とユーシはしみじみ感じている。ちなみにもう一冊の新刊はB6サイズの小型の本で、ガクト女体化と銘打たれている時点でユーシは触れるのさえ諦めた。誰が親友にそっくりのキャラの女体化本なんて読みたいものか。
山ほどあった段ボールも、今はすでに七割近くがぺしゃんこに解体されてスペースの背後に積み上げられている。残っている本は足元の段ボール箱ひと箱に収められる量らしく、ほんまに売れとるんやな、とユーシは感嘆した。確かにガクトの姉ちゃんの紙袋を持っとったひと多かったもんなぁ、と買い物中に目撃した光景を振り返る。大きなサイズの紙袋は肩から下げられるしっかりとした造りになっており、クリア加工されているため水も弾く高性能だ。忍岳のカップリングをまざまざと見せつけているのかと思いきや、持っていて恥ずかしくないようにオールキャラのイラストにしたらしい。片面は岳人と侑士が比較的大きく描かれた氷帝レギュラー全員で、もう片面は他校のレギュラーがごっちゃになっている可愛らしい構図だ。あの紙袋可愛い、欲しい、と指をさして言っているひとも見たくらいだ。確認したところ、すでに紙袋も配布は終了してしまっているらしく、スペースには持ち帰り保管用の三枚しか見当たらない。
「ちなみに姉ちゃん、新刊って何冊ずつ印刷したんだよ?」
「それぞれ三百?」
「さっ・・・!?」
想像を超える数にユーシは思わず絶句した。いや、確かに嫌に段ボールが多いなとは思っていたが、こうして数を言われると驚愕してしまう。ええと、漫画がそれぞれ一冊千円で、三百冊で、それが二種類で、女体化本は一冊五百円で、それも三百冊で、つまり単純にすべて売れたとすると収入は。脳内が弾き出した金額に、ユーシの脳みそはぱぁんと破裂してしまいそうだった。あれ? ちょっと待てよ。そのうち自分たちの報酬が売り上げの二割ということは、つまり、えーっと。
「・・・ガクトの姉ちゃん」
「なーに、ユーシ君」
「俺、やっぱり報酬いらんわ・・・。何や、恐れ多くなってもうた」
「何言ってんだよ、ユーシ。正当な報酬だろ?」
「そうそう。日々の萌え、じゃなかったネタ、じゃなかったえーっと、とにかくお世話になってるんだから気にしないで。ユーシ君には今後もお世話になるつもりバッチリだし!」
それに通販も同じくらい出るだろうから本当気にしないでー。からからとガクトと同じく男前にあっさりと笑い飛ばす姉は、どうして壁の大手サークルの配置場所にならなかったのかユーシは不思議で仕方なかった。次に申し込む際には、間違いなく壁際に回されるだろう。ほんまに恐ろしいひとや、とユーシはガクトの姉の背後に神々しい光さえ見えてきた。もはや彼女には逆らえない。
「というわけで、ご協力くださった皆様にお礼のちゅーよろしくー!」
「・・・イエス、サー」
嫌がるガクトの首根っこを引っ掴んで、ユーシはとぼとぼと周囲のサークルを回り始めた。もはやほっぺにちゅーくらいどうってことない気分になってきていた彼は、いろんな意味でガクトの姉に勝てない自分を痛感していた。
コピー本の幼馴染トリオは小説でした。後は全部漫画。
2011年1月6日