8.ユーシとガクトとスペース設営





ふたりの登場に、会場全体がざわめいたと言っても過言ではなかった。一歩進む度に、周囲の視線は数を増してふたりを追う。ユーシとガクトの勝因は、彼らの造形が忍足侑士と向日岳人に瓜二つであるということで間違いではなかったが、決してそれだけではなかった。まず、彼らが本物の少年であるということ。男装のレイヤーではなく、日常から本物の少年であることは、彼らの一挙一動に確かなリアリティを加える。そしてまた、ふたりがどこか無機質な印象を与えるのもひとつの要因となっていた。例えば漫画をドラマなどで実写化する場合、どうしたって本物とは違う個所が少なからず出てきてしまう。酷い言い方をするのなら、キャラクターのイメージが壊れる、そういうことになるのだろう。三次元の人間は、漫画に描かれるキャラクターのような綺麗な一面ばかりではない。いくら気を付けていたとしても、それがマイナスとして見ている側に伝わってしまうことは避けられないのだ。しかしユーシとガクトにはそれがなかった。彼らはまさに「原作から抜け出てきた忍足と向日」だったのだ。手の触れる距離にいる。だけど、生々しくない。どこか美しく無性的で、そして不可侵の印象を与える。それこそがふたりの勝因だった。ユーシとガクトは間違いなく、忍足侑士と向日岳人になっていた。
ガクトの姉のスペースは、東5ホールと6ホールのちょうど境目、入り口からもシャッターからも同じくらいの場所にあった。ほぼ真ん中だ。机の横に貼ってある紙を見ながらスペースを確認し、見つけた先に姉の姿を確認してガクトが声を上げる。その声すらも、誰のイメージも損なわない向日岳人そのものだった。
「姉ちゃん!」
「ガクト! っ・・・あんた似合う! 最高! やっぱり私の目に狂いはなかった! あんた本気でリアル向日岳人よ! 弟でいてくれてありがとー!」
「うっわ、潰れるって! ユーシ、見てないで助けろ馬鹿!」
「ユーシ君もまさに本物だし! あああ私頑張った! 本気で頑張った! 死ぬ気で衣装作ってよかった! 今なら死んでもいいー! でも欲しい本買って読むまで死んでも死にきれないー!」
「や、ガクトの姉ちゃん、これほんまに凄いで。えらい完成度の高さやん」
「うーふーふー! だってふたりに着て欲しかったんだもん、氷帝の制服! あああ幸せー! ガクト、ちょっとあんた『上には上が』って言ってみて!」
「うるせーひよっこ」
「きゃああああああああ! ひよがくばんざーい! 日吉いないけど!」
「姉ちゃん、ちょっと落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか!」
「落ち着きんしゃい、やーぎゅ」
「ぎゃああああああああ! 岳人が仁王の真似したー! 可愛い・・・っ!」
「やべー、姉ちゃんマジでテンション高い」
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、ガクトが今更ながらにうんざりとした表情になる。そんな弟に頬擦りを繰り返している姉に苦笑して、ユーシは引いていたキャリーバッグをスペースの後ろへと置いた。その際に、隣のサークル配置の少女、というかおそらく二十歳は超えているだろうと思われるので、女性ふたりが呆然としているのに気づく。お隣さんには御挨拶、と事前に調べてきた知識をユーシははたと思い返して頭を下げた。
「うるさくしてすんません。今日はよろしゅうお願いします」
「・・・はっ!? え、あたし夢見てる? やっぱり四時までコピー本やってたのがまずかった? 何か最高に格好いい侑士が目の前にいるんだけど何これ現実? もしかしてコピー本まだ終わってない?」
「あたしは可愛い岳人が目の前に見えるよ・・・! これはあれだよ、頑張ったあたしたちへの神様からのご褒美なんだよ」
「っていうか、こんなに本物そっくりの侑士と岳人、初めて見た・・・!」
あ、一応現実っちゅーことは分かっとるんやな。会話の流れを聞きながら、ユーシはほっとする。ばしばしと互いの二の腕を叩き合っている女性たちはちょっとばかり不審だったが、もはやこの会場で不審じゃないひとを探す方が難しいのかもしれない。すりすりすりすりと未だ姉に猫可愛がりをされているガクトを振り向き、ほら、とユーシは促す。
「お隣さんやで、ガクトも挨拶しとき」
「分かってるって。えーと、姉が迷惑かけると思いますが、よろしくお願いします。ユーシ、これでいい?」
「ん、上出来や」
よしよし、とユーシは向日の頭を撫でてやる。女性ふたりはその様を再びぽかーんとした様子で眺めていたけれども、いきなりがったーんと大きな音を立てて椅子を倒しながら立ち上がるものだから、思わずユーシもガクトも肩を震わせてしまった。そしてユーシは思う。あれ? なんやこれデジャビュ?
「っ・・・リアル忍岳万歳! ああああたし今なら死んでもいい! 現実に忍岳が存在したなんてこにゃみ先生でも知らないよ絶対!」
「ああああの! 実はさっきは言えなかったんですけどサイトいつも見てます! 大好きでっす! 配置が隣だって分かったときはもう死にそうでした!」
「えー本当ですか! ありがとうございます、嬉しいですー!」
「新刊セットで全部ください! あと差し入れ持ってきたんですけど受け取ってもらえますか!?」
「ありがとうございます! というかむしろ、いただいちゃっていいんですか? うわぁ甘いの大好きなんで嬉しいです!」
「あっ! でも忍岳の分の差し入れがない・・・! すいません、ちょっとそこの屋台で買ってくるんで待っててください!」
「いや、俺らは別に」
「というか貢がせてくださいお願いします後生ですから! リアル忍岳万歳! 何が好きですか! 納豆ですか!?」
「ガクト、ユーシ君、言ってあげた方が親切だから。むしろ喜ぶから」
「その通りです! 遠慮なくお願いします!」
「えー・・・じゃあ俺クレープ」
「『放課後の王子様』フラグ来たコレ!」
「おっしーはたこ焼きでいいですか!?」
「はぁ。何や逆にすんません」
「あざっす! いってきます!」
財布を握り締めて敬礼し、シャッターの外へ向かって駆けていく女性ひとり。もちろん途中でスタッフに「走らないでくださーい!」とお叱りを受けている。相方の女性はガクトの姉に、如何に彼女のファンであるかを熱く語っていた。両手を握り締めて、あのお話の岳人最高でしたやら、文化祭の女装話が最高でやら、侑士にチャイナドレスとか万々歳ですやら、感想を滝のように語っている。些か聞き捨てならない、しかし聞かなかったことにしてしまいたい内容が含まれていたが、ユーシは知らない振りしてスペースの確認をする。長机半分に、パイプ椅子が二脚。もっと狭いのかと思っていたが、背後のスペースが広いためにそういった印象は受けない。しかしこの段ボールの数は何事だ。数えただけで、ひい、ふう、みい、よお・・・。
「・・・ガクト。ガクトの姉ちゃん、一体いくつ新刊を用意したんや?」
「確か三つ? それとコピー本が一個と無料配布のペーパーバッグが一個」
「あのでかい箱は紙袋か! ・・・ちゅーか俺、表紙が怖くて見れへんのやけど」
「心配すんな、ユーシ。俺もだぜ」
力なく爽やかに言われ、ユーシは肩を落とす。だってここはテニプリの忍岳スペースだ。隣のサークルは言わずもがな同じカップリングだし、すでに並べられているフルカラー表紙にはやけに瞳の大きい向日岳人と、凛々しい表情の忍足侑士が抱き合うようにして描かれている。え、ちょおほんまダメージでかいんやけど。想像していたよりも実際に見た方が精神的ショックは明らかに大きく、ユーシは落ち込むけれども、ガクトは相変わらず男前だった。ラケットバッグを床に置いて、ごそごそと設営準備のためのグッズを取り出している。
「最初は布だよな? えーと、確か姉ちゃんが氷帝カラーのテーブルクロスを作ったって言ってたから、ユーシそれ出して」
「・・・ん」
「端っこはガムテープで留めればいっか。ちっこい棚があるだろ? それも出して」
「ん。ガクト、何や慣れとるなぁ」
「姉ちゃんが家でやってたし。実際にダイニングのテーブルに90センチ×45センチのビニールテープ貼ってさ、あーでもないこーでもないって」
「いろいろ苦労があるんやなぁ。ほんまえらいで、ガクトの姉ちゃんは」
「俺もそう思う。こればっかりは好きじゃないとやってらんねーよな」
きゃいきゃいと十八禁忍岳トークに花を咲かせているガクトの姉を余所に、もそもそとふたりはスペースの設営を続けた。何が悲しくて「忍岳ラブラブちゅっちゅ本」なんてキャッチコピーの看板を、忍足と向日にコスプレしている自分たちが飾らなくてはならないのか。酷い羞恥プレイだと思いながら、ユーシとガクトは黙々と準備を続けるのだった。
そうして「探し物は何ですか〜?」という曲と共に一斉点検も終え、東京ビッグサイトは拍手喝采に包まれる。それすなわち十時、開戦の時は来た。





いつもスペース設営が無愛想ですみません・・・。
2011年1月3日