1.ユーシとガクトと終業式
「ゆーし、ゆーし」
私立中学の終業式は、公立に比べると少し早い。高い評価が並んだ通知表を受け取り、適当にクリアファイルに突っ込んでいたユーシは、間の抜けた呼びかけに振り向いた。ホームルームも終わってざわめく教室で、鞄を手に近づいてくるのはガクトだ。赤みがかった少し長めの髪を揺らして、ぴょこぴょこと跳ねるように歩く様はどこか小動物を思わせる。
「なぁ、ユーシって三十日は暇?」
「三十日? 大晦日やなくて?」
「うん。暇なら姉ちゃんが一日付き合って欲しいんだってさ」
「ガクトは一緒ちゃうの?」
「何で姉ちゃんがユーシだけ誘うんだよ。当然俺も一緒だっつーの。で、暇?」
「暇やけど」
「じゃあ空けといて! よかったー。実は姉ちゃんに、色仕掛けしてもいいから三十日のユーシは捕まえとけって言われてたんだよ。っつか色仕掛けとか俺がしてどうすんだって感じだし」
ほっと胸を撫で下ろした笑ったガクトは、確かに背も低いし女顔ではあるけれども、それでも立派な男の子だ。色仕掛けなぁ、と同じく男であるユーシは首を傾げるけれども、ふたつばかり離れた席で女子生徒が鞄に突っ伏して肩を震わせているので、有りなのかもしれないと思い直す。ユーシは知っていた。文化部に所属しているその女子生徒が、いわゆる腐女子と呼ばれる類の存在であるということを。前面に押し出しているわけではないけれども、「テニスの王子様」という超次元テニス漫画が好きで、その中のキャラクターである忍足侑士と向日岳人に自分とガクトが瓜二つであると直接言われたこともあるくらいだ。週刊少年ジャンプで連載している「テニプリ」は、もちろんユーシもガクトも知っている。似ていると言われれは似ている気がしなくもないが、とりあえずユーシは紙面ではなく現実に存在するのだから、自分がオリジナルであることを主張したい。ガクトに急かされながら帰り支度を整えていたユーシは、そこまで考えてはっとした。
年末、十二月三十日。ガクトの姉ちゃん。拘束される自分とガクト。というか、ガクトの姉ちゃんの趣味。思わず背筋を震えが走ったのは、想像がかなりの確率で現実になりそうだと感じたからだ。
「な、なぁ、ガクト・・・?」
「んー?」
早く早く、とせっかちに前の机に座りながら、ガクトは首を傾ける。
「ガクトの姉ちゃん、三十日、どこに付き合えって言うてたん・・・?」
「さあ? 詳しくは知らない。場所もなんか難しい名前だったから覚えてねーし。一日かかるらしいからバイト代出すって言ってたぜ?」
「・・・場所って、国際展示場駅か? もしくは東京ビッグサイト?」
「あ、そっち。駅の方。何? ユーシ、その日そこで何があるか知ってんの?」
「・・・ガクトの姉ちゃん、今死んどるんやないか?」
「うん。この前は原稿終わってヨユーヨユーとかはしゃいでたけど、今はコピー本と無料配布がどうとかで死んでる。印刷所に電話で必死に謝ってたし」
姉ちゃん土下座する勢いだったぜ、とガクトはからからと明るく笑うが、近くの席の例の女子生徒ががばっと鞄から身を起こしたためユーシは己の推測が真実であると理解した。おそらく仲間に知らせるのだろう。鞄を引っ掴んで女子生徒がわたわたと立ち上がり、教室から走り出ていく。クラスメイトには会場で会いたないなぁ、とユーシは心底思いながら、自身も鞄を持ち上げた。ガクトと並んで昇降口を目指す。
ガクトの姉に誘われた以上、彼女がサークル参加なのは間違いないため、おそらくユーシとガクトもそのお供だ。スペースでお手伝いをする「売り子」という言葉が頭に浮かび、ファーストフードのレジのお姉さんよろしく小銭をやり取りする自分を思い描いてみたけれども、ユーシはその時点でちょっぴりめげそうになった。だって、渡す本は間違いなく少年同士の恋を描いた、いわゆるボーイズラブに違いないからだ。しかもガクトの姉は現在、「テニスの王子様」で活動している。自分にそっくりの忍足侑士×ガクトにそっくりの向日岳人というカップリングを熱く語られたのは記憶に新しい。というか永遠に色あせることはないだろう。自分と瓜二つのキャラクターが、これまた親友に酷似しているキャラクターと絡み合っている本を、笑顔でお客様に手渡す自分。その図を想像したユーシがしくしく泣きたくなってしまっても仕方がないに違いない。しかし親友からの頼みのため、断れないくらいにはユーシもガクトが好きだった。
「バイト代は売り上げの一割って言ってたし、いくらになるかな?」
結構貰えたら福袋買いに行こうぜ、と楽しそうなガクトに頷きを返しつつも、ユーシはやはり不安でならなかった。俺、ちゃんと正月を迎えられるんやろうか。そう思った二学期の終業式だった。
リアル忍足とリアル向日。その評判は校内だけでなく、他校のそっち系女子が見に来るほどとか。
2011年1月1日