先輩後輩、十の事情
1.出逢いは唐突に
卒業式が行われ、それすなわち四天宝寺の絶対的柱であった、西の最強である遠山金太郎がテニス部を去ってから数日。三学期の終業式を前に顧問のオサムから知らされた情報に、新たな部長を仰せつかった財前はあからさまに顔を歪めた。
「獅子楽の千歳が転入してくるらしいで」
「えー・・・いらんわ、そんなん」
「ええやろ、貰えるもんは貰うておこうや。何でも親の仕事の都合らしくてなぁ。新学期からうちの生徒や」
「せやったら、もうひとりの方は獅子楽に置いてきぼりすか」
「ああ、橘やろ? あいつはあいつで東京に引っ越しが決まったらしいで。次世代のエースがふたりも抜けてしもうて、こりゃあ獅子楽の低迷は免れへんな」
西は頂きや、とオサムはからからと笑う。関西は四天宝寺の独壇場だし、金太郎が抜けたことで空いた穴はあれどそれほどの脅威はないと思っていたが、千歳が加わるのなら今年ほどではないにしても来年もそれなりの結果を残すことが出来そうだ。部長としてチームの勝利を考えていかなくてはならない財前としては、些かほっとしたのも事実だ。しかし個人としての財前は、面倒くさいというのが本心に違いない。何で俺がガキの面倒を見なあかんのや、と思ってしまう。
「財前は夏の遠征であいつをぼこぼこにしとるし、恨まれとるかもなぁ」
「あれくらいで凹むタマやったら器が知れるわ。ほな、千歳は戦力として組み込んで構わへんのですね?」
「おう、頼むわ。びしびし鍛えたってや」
ほな、と形だけ頭を下げて財前が職員室を出たのが二時間目の休み時間のこと。すでに学期末ということで午後の授業はない。その分を部活に費やすことが出来るので、教室でのんびりと弁当を食べ終えてから財前がテニスコートに向かうまで、たった数時間のはずなのに。
「・・・九州からマッハで移動とか、そりゃないわー」
ネットを挟んで打ち合っているのは件の千歳と、一年生の白石だった。突然の乱入者に注意するどころか、部員たちは盛り上がって野次やら歓声やらを飛ばしており、部長の来訪にも気付いていない。スコアボードを見てみれば、試合は接戦だが僅かに千歳がリードしている。そりゃそうやな、と財前はラケットバッグを下ろしてフェンスに背を預けた。白石はオールマイティだが個性がない。それを金太郎が方向性を示し、オサムが叩き上げ、財前が調整している最中なのだ。今は普通より少し強いくらいの白石だ。来年ならおそらく結果は逆になるだろうが、今の彼は身長もありパワーもある千歳には勝てない。その予想通り、結果は6-4で白石の負けだった。秀麗な顔を歪めて、それでも手を差し出した白石と握手をした後、千歳が振り返る。気づいていたのか獅子楽中のジャージをはためかせて、彼はまっすぐにラケットを突き付けてきた。
「財前光、勝負たい!」
「・・・ほんま、面倒な一年ばっかやな」
肩を竦めて、しゃーない、というポーズを取ってから財前はラケットバッグを拾い上げる。光さん、と謙也の駆け寄ってくる気配がする。コートから出てきた白石はタオルで汗を拭きながらも俯いており、その頭を叩いてやろうと財前は決めた。惜しくらむべきは、金太郎が今日は大阪にいないことか。名古屋でリョーマと合流して蔵兎座のところへ行くのだと言っていた。ならば仕方が無い。ここで千歳をぼっこぼこに負かせて調教するのは自分の役目だ。
「そのジャージ、四天宝寺の色に染めたるわ」
不敵に笑い、財前はコートに足を踏み入れた。三十分後、結果はもはや言うまでもない。
(金ちゃん&財前ダブルスが千歳&橘をぼこぼこにしたエピソードは、オフライン発行「年齢逆転!」より。)
2.先輩か、さん付けか
「おい、越前リョーマ」
「ねぇ日吉。氷帝って敬語の使い方も教えないの? あの榊監督にしては随分甘い教育じゃない?」
「年上に対して敬語を使うかどうかは、そいつ自身の礼節や受けてきた教育の問題であって、俺や氷帝、ましてや榊監督とは一切関係がありません」
「ふーん。年上で、テニスも強くて、どう考えたって敬うべき対象である俺に対して呼び捨て。ふーん」
「・・・・・・」
「跡部だっけ? 俺に何の用?」
「・・・せんぱ、い」
「何?」
「・・・越前、さん」
「そんなに嫌そうに呼ぶくらいなら、別に呼んでくれなくてもいいんだけど?」
(跡部様はリョマさんに構ってもらいたい。更にその後ろでは手塚が微妙な顔で不貞腐れてる。)
3.ついつい世話焼き
立海大付属中学男子テニス部の部長、浦山しい太は非常に厄介な男だ。もちろんそれは彼に近しい人物のみが持つことの出来る評価であって、彼に対する一般の認識は「ちょっと調子の良い、だけど憎めないやつ」というものが大半だろう。実際にしい太は明るく場を盛り上げることが出来、少し抜けているところが逆に温かい隙となって万人に好かれるとは言い過ぎだとしても、決して嫌われるタイプではなかった。しかし彼は非常に厄介な男だ。テニス部に入部して僅か数ヶ月で、すでに柳はその認識を自身の中で確たるものへと変えている。
「それじゃあ、部誌は幸村に頼むでヤンス」
「・・・俺、ですか?」
はい、と手渡された黒い冊子に、きょとんと幸村が目を瞬く。それもそうだろう。一体どこの学校に、入学してまだ少ししか経っていない一年生に部誌を書かせる部活があるのだ。しかしそれを命じてみせたしい太は、にこにこと笑いながら幸村を見ている。ええと、と珍しく幸村が歯切れの悪い様子で部誌としい太の間で視線を行き来させる。
「書き方は最初のページに書いてあるでヤンス。分かんなかったら聞くでヤンス」
「あの、浦山部長。部誌は本来部長が書くものじゃないんですか?」
「四天宝寺では副部長の財前が書いてるでヤンスよ? 青学も越前じゃなくて水野と加藤が書いてるでヤンス。部誌なんてちゃんと書いてあれば誰が書こうが構わないでヤンスよ」
「・・・そういうことでは」
困り果てた様子の幸村に助け舟を出すべきか、柳は迷った。しかし三年生であり、何より部長であるしい太に逆らうことは基本的に許されない。テニスの実力だけならおそらく勝つことも可能だろうが、何故だろう、しい太にはそれ以外の点で逆らい難い何かがあるのだ。普段は気さくで話しかけやすい人なのに、それでも立海の部長なのだと認めるのは、彼が二年生の切原を見事に掌の上で転がしているからかもしれない。あの悪魔と呼ばれる先輩が、しい太の前ではお釈迦様の手で踊る孫悟空のようになるのだ。それだけで立海テニス部では、しい太が敬われる対象となるのに十分だった。
「来年は切原が部長でヤンス」
まだ夏は終わっていないのに、はっきりと言い切ったしい太に、思わず柳も幸村も顔を上げて彼を見た。
「切原は実力はあるけど、いろんなところがまだまだでヤンス。そのフォローをしてくのが幸村、おまえや真田や柳たちでヤンス。来年になればおまえたちのレギュラーは不動でヤンスから、責任が生じるのは分かるでヤンスね?」
「・・・はい」
「切原に代わって、おまえが部内を回すでヤンス。レギュラーだけじゃなく部員全員を見て、円滑に部活が出来るよう、みんながちゃんと成長できるよう気を配るでヤンス。そうすれば二年後、おまえが部長となったときには更に強い立海になってるでヤンスよ」
そのための部誌でヤンス、としい太は笑って冊子を幸村の胸へと押し当てた。素直に話を聞いていた幸村は、きゅっと唇を噛み締めて頷き、頑張りますと一礼して部室を出ていく。託されたこれから先、幸村はきっと部員の一挙一動すべてを見落とすことなく周囲に目を配るようになるだろう。そうして人を動かしていく。なるほど、それは適任だと柳は思った。元来、幸村は人の上に立つ器なのだ。柔和な容姿と物腰を持っているけれども、その実力は一年生の中では誰より優れている。彼が自分の上に立つことを、真田も柳も承知していた。それを見越して部誌の記録を任せたのなら、やはり浦山しい太という人物は流石だと柳は思うのだが。
「あーこれで楽が出来るでヤンス!」
あれ書くの面倒だから厄介払い出来て良かったでヤンス。なんてしい太が非常に嬉しそうな顔で笑うものだから、やはりこの人は性質が悪いと柳は認識を新たにするのだった。
(こうして何だかんだ言って自分の仕事をぽいぽい仕分けして楽をする立海の部長、浦山しい太。)
4.可愛くて、バカ
「勉強? 無理。俺、馬鹿だし。教わるならカツオ・・・は忙しそうだから、海堂にしとけば? 桃より断然頭いいし」
中間テスト数日前。明日からいよいよ部活も休止となる中で、一年生の菊丸と不二からのお願いに部長であるリョーマはあっさりと首を横に振って否を示した。俺、馬鹿だし。そんなことを言われてしまったら後輩としてどうすればいいのか。というか、リョーマはその言動から頭が悪いようには見えないのだが、それと学校の成績とは別なのだろうか。菊丸と不二が困ったように顔を見合わせる中、リョーマがワイシャツを羽織ってボタンを留める。
「俺の成績、乾なら知ってるんじゃないの?」
指名されたのは、これまた少し離れた場所から事の成り行きを見守っていた一年生だ。その隣では大石と河村が困ったような表情を浮かべており、手塚は眉間に僅かに皺を刻んでいる。ごほん、とひとつ咳払いをしてリョーマの様子を窺ってから、乾はノートを開いた。
「・・・俺のデータでは、越前部長の成績は学年平均よりやや上、といったところです」
「正解。テストの順位は堀尾と同じくらいだし、勉強ならカツオやカチローの方が出来るよ」
「でも、一年生の範囲なら大丈夫でしょう?」
「それくらいならね。でも俺、勉強好きじゃないから必要以上にはしないって決めてるし」
これまたはっきりと言い切られた台詞に、今度は不二だけでなく手塚まで呆気に取られてしまった。「勉強は学生の義務」なんて言葉があるけれども、それをリョーマは一刀両断したのだ。ボタンを留め終わり、乱れた髪を手櫛で直す。そういうのはさ、と彼は一年生たちに向かって告げた。
「勉強はさ、いい高校に入って、いい大学に入って、弁護士とか医者とか政治家とか、学歴が物を言う仕事に就きたい奴がすればいいじゃん。後は自分が将来何になりたいのか決まってない奴とかね。だけど俺はそういうの興味ないし」
まぁこれは俺の持論だけど、と一応注釈はつけてくれたものの、随分な物言いだ。
「俺は青学を卒業したらアメリカに戻ってプロになるから、勉強なんて最低限でいい。英語が喋れて、常識があれば十分」
「・・・それで、もし怪我をして選手生命を絶たれてしまったらどうするんです」
「うーん、そうだね。どうしようか」
眉を顰める手塚に、リョーマはラケットバッグを持ち上げる。少しばかり考えるようにして首を傾げていたが、思いついたのか彼は笑った。艶のある黒髪を揺らして、それはそれは鮮やかに。
「そのときは、このルックスで食べていこうかな。俺、結構美人だし、尽くしてくれる奴なんか山ほどいそうじゃない?」
中学三年生にはあるまじき色香は、どこか中性的で思わずごくりと唾を呑み込んでしまう。にっと唇の端を吊り上げ、大きな瞳を眇める様はまるで猫のようだ。家で大事に愛して囲い込んでしまいたいけれど、そうはさせてはくれない極上の猫。今度こそ一年生たちは言葉を失って、僅かに頬を赤くしてリョーマを見つめるしかなかった。
「というわけで、次の部活はテスト後ね。俺はストリートテニスで遊んでるけど、おまえたちはちゃんと勉強しなよ。赤点取ったら補習もあるし、最低でも平均はキープすること。これ、部長命令でよろしく」
じゃあお疲れ、とラケットバッグを背負ってリョーマは部室を出ていく。外で海堂と桃城に会ったのか、同じような内容を告げる声が聞こえた。ええと、つまりどういうことなのだろう。とりあえず分かったのは、青学テニス部の部長は勉強が好きじゃないということと、そんな彼に勉強を教えてもらうのは難しいということと、それと。
「・・・うん。僕、頑張って勉強していい会社に入ってたくさん稼いで、それで越前部長のパトロンになろう」
「待て、不二」
拳を握って決意した不二に、表情には出さないものの内心焦って止めに入る手塚がいたのだった。
(なのでリョマさんはテスト前に勉強をしない。それでもちゃんと平均は取れるので頭は決して悪くない。)
5.うちの後輩に手を出すな
「ボクの後輩に、何か用デスか?」
校舎裏の影に現れたのは、真っ白い学ランだった。山吹の制服は白で統一されているが、それがやけに眩しく見えたのは背後に背負う太陽の光だけではないだろう。小柄で、浮かべられている笑顔は少しばかり困ったような印象を与え、それでも壇太一はきちんとそこに立っていた。亜久津の前で、今にも殴りかかろうと拳を構えていた男がぴくりと腕を止め、振り返る。
「・・・壇かよ」
「はい。亜久津君が何かしましたか?」
「別に。生意気だからちょっと先輩に対する礼儀を教えてやろうとしただけさ」
「そうデスか。じゃあ、それはボクが代わりに教えておきますね。ごめんなさいデス。みなさんの手を煩わせてしまって」
ちっと舌打ちをして、亜久津の前にいた三人の男たちは踵を返す。擦れ違い様に壇に何か言っていたようだが、それでもテニス部部長である彼はほんの少しの苦笑を返すだけだった。反撃のために握り締めた拳を振るうことはなかった。亜久津の前に、壇がゆっくりと歩み出て来る。校舎の影になっても白く輝くその制服に、眉を顰めずにはいられない。
「亜久津君」
「・・・何だよ」
「喧嘩は駄目デス」
「はっ! 問題を起こせばテニス部が大会に出場できなくなるからか?」
「そうデスよ。前に言いましたよね? 『ボクは勝てない部長として、テニス部のためになることなら何でもやる』って」
己の不甲斐無さを笑いながら肯定する性根に吐き気がする。負け犬だと思うけれど、そうではないことを分かっている自分かいるからこそ、亜久津は壇を前にしたときにいつも悔しさを覚えてならない。自分よりも弱弱しく、テニスの実力も劣っている相手にどうして、と歯噛みするのだ。
「・・・それに」
立ち上がった亜久津を見上げて、壇はもう一度笑みを作った。
「亜久津君はボクの後輩デスから。先輩が後輩を守るのは、当たり前のことデスよ」
ぽんぽん、と腕を軽く叩いてくる手に載せられているのは信頼だ。じゃあまた部活で、と言って壇は背を向けて去っていく。校舎の曲がり角のところにオレンジ色の特徴的な髪が見えて、あいつが呼んだのか、と亜久津はまたしても舌打ちした。千石は同じテニス部の一年生ということもあり、亜久津にも怖がることなく話しかけてくる稀有な存在でもある。要領が良く、意外と頭も回って空気も読める彼は、亜久津を抑えるのに壇が最も適当だと判じたのだろう。そしてその考えは間違っていないのだ。ごめんね、と千石がウィンクつきで謝ってくるのが見えた。
壇の背中が遠ざかっていく。弱く、頼りない、それでも亜久津が心の底では認めている、男の背中だ。
(弱いけれど心が強いから、何気に一目置かれている山吹の部長、壇太一。)
2011年5月29日(title by リライト)