赤い悪魔VS未来のエクスタシー





全国大会の組み合わせが決まった。抽選会で真っ先に一番を引き当てた金太郎は「コシマエー! 二番引いてや二番ー!」と喚いていたけれども、リョーマが引き当てたのは反対も反対、対極の二十四番だった。つまり四天宝寺と青学が相対するには決勝しかない。「最後の年に相応しいんじゃない?」と挑発的に唇を吊り上げて、リョーマが夏の始まりを告げる。激戦の火蓋は切って落とされた。
四天宝寺は押しも押されぬ優勝候補のひとつに数えられる。東の青学、西の四天。それすなわち東の越前、西の遠山と言い換えても決して間違いなどではない。ふたりはこの三年間、確かな時代を築いてきた。先頭に立ち、中学テニス界を切り拓いてきた。そしてその道に、今年新たなプレイヤーたちが足を踏み入れる。
「力自慢がおらへんなぁ」
「ほな、石田は決定っすか。当てるんやったら柳がええとこやないすか」
「柳君なぁ。んー・・・まぁそうやなぁ。何やつまらん気もするけどな」
「一年のテニスに面白さ求めてどないすんねん」
今年の全国大会は東京で開催のため、大阪から出てきた四天宝寺は公営コートを借り切って練習をしている。とはいえ、今は休憩時間のようなものだ。試合を控えてテンションの挙がってきている金太郎は、部長にも関わらず好き勝手にコートを走り回っている。きっとこのまま決勝まで駆け上ってしまうのだろうが、ブレーンとしては周りを固めておく必要がある。
「三回戦で立海。まぁ、ここ凌げば決勝まで楽勝やしなぁ。他の強豪は青学が引き受けてくれたし、ほんま助かったわ」
オサムがベンチで団扇をあおぐ。扇子なんて洒落たものではなく、駅前で配っているような安っぽい広告を兼ねた紙製品だ。その隣でファイルをめくる財前は、相変わらずクールな横顔を崩さない。暑さなど感じていないかのような振る舞いだけれども、こめかみを伝う一筋の汗が逆に酷く艶っぽかった。
「せやけど伝統校の立海ともあろうとこが、めっちゃ一年使うてきとるなぁ。先輩なんや二年の切原と部長の浦山だけやん。他はどこいったんや?」
「今年の一年は豊作なんちゃいますか? うちも他所のことは言えへんけど」
「せやなぁ。切原には去年金太郎を当てたし、今年はどないする?」
「選ばせたらええんちゃいます? 部長、最後やし」
「名残惜しいなぁ。金太郎とコシマエの対戦は、夏の象徴みたいなもんやったのに、来年からもう見れへんのか」
少しばかりしんみりとした空気が流れるが、それを払拭するようにオサムは「金太郎ー! ちょおこっち来いやー!」と大声で呼ぶ。コートの真ん中で謙也や白石たちを纏わりつかせて騒いでいた金太郎は、きょとんと目を瞬くとあっという間に駆けてきた。置いてけぼりになった一年たちは不貞腐れたように唇を尖らせており、ペットか、という財前の呟きにオサムが失笑する。
「何や、オサムちゃん! ワイに何か用か?」
「立海戦のオーダー決めとるんやけどなぁ。おまえ、こん中やったら誰とやりたい?」
「んー・・・」
財前から渡されたファイルをオサムが広げてみせれば、金太郎は大きな目でじっと見つめる。プレイヤーとしての特性だとか得意コースだとか、いろんな情報が載っているけれども、金太郎がそれを読んでいないことは明らかだ。写真だけをぐるりと眺め、節くれだった指が指し示す。
「こいつ!」
「真田、なぁ。理由は何や?」
「めっちゃおもろそうやん! ワイ、こういう奴好きやねん! 遊んでやりたなる!」
「ほな真田で決定やな。金太郎はシングルス3や」
「おおきに、オサムちゃん。光、あとよろしゅう頼むわ!」
「へーへー。適当にやっとくっすわ」
了承の返事を受けて、金太郎はまたコートに駆け戻っていく。するとすぐにまた一年生が群がり始め、その中で一際目立つ茶色い髪が、大手を振って財前を呼んだ。
「光さーん! 次のラリー、一緒に組んで欲しいんやけど! 頼むわ先輩!」
「財前先輩は善哉切れでお休み中や。またのお越しをお待ちしとりますー」
「いけずや! 光さんのいけずー!」
きゃらきゃらと謙也が小春と笑い合っている。おざなりに手を振ってやって、財前は戻ってきたファイルを開いた。ルーズリーフに書かれている立海オーダーの項、真田の隣に線を引っ張って金太郎の名を刻む。地区予選から考察するに、シングルス3は真田で間違いない。そして最後、シングルス1は実質立海のトップに立つ二年の切原だ。シングルス2は幸村と柳のどちらで来るかは対戦校に因るようだが、相手が優勝候補の四天宝寺であることを踏まえれば、勝利がより確実な幸村の可能性が高い。
「幸村の相手は、財前、おまえがしぃや。立海で一番厄介なテニスをすんのがこいつや」
「ええんすか。俺、手加減出来へんっすけど」
「ルーキーなんや負かしてなんぼやろ? せやけどこいつ、ほんますごいらしいで? 相手の五感奪うとか、そないなもんはテニスちゃうやろ!」
「せやったら奪われる前に決めればええし。ダブルスはどないするん? こいつ・・・仁王? 柳生?」
「あぁ、それな。どっちかが仁王でどっちかが柳生や。えげつないダブルスするらしいで? そっくりなんがふたり、コートに立つらしいわ」
写真は二枚、別人のものが並んでいるというのに、名前もふたつあるというのに、それでもどちらがどちらかは分からないらしい。登録では銀髪が仁王、茶髪が柳生となっているようだが、実際はコートに仁王がふたり、あるいは柳生がふたり立ったりするらしいから真意の程は不明だ。似非双子やな、と財前はボールペンをくるりと回す。
「ほな、こいつらにはモノマネ王子でも当てますか? あの寒いラブルスやったら、相手の調子も崩せるんちゃいます?」
「それええなぁ。せやったら残りのダブルスに銀やな。組ませるんは三年がええやろ。柳にデータ取られてへん奴おったか?」
「おるはずっすわ。うちは予選から一年使うてきたし、三年は対青学用であんま出しとらん分、今年の露出は少ないやろ」
「問題はシングルス1やな。あの『赤い悪魔』に誰をぶつけるか」
唯一ぽっかり空いたルーズリーフのスペースに、財前はこつんとボールペンの先を当てる。オサムは無精ひげの顎を撫でてコートを眺めている。金太郎が全力でボールを放れば、一年たちがまるで子犬のように一丸となって拾いにいく。先頭を駆けるのはやはり謙也だが、白石とて負けてはいない。あどけないながらも爽やかな笑顔で、きらきらとボールを勝ち取っている。
「・・・いやいやいや、あかんやろ。相手はあの切原やで? 『赤い悪魔』やで?」
「一年のうちから潰してもうたら洒落にならへんっすわ。来年、俺の補佐するんあいつやろうし」
「せやけど謙也より勝率高いやろ。相性も良さそうやしな。いっちゃんいけそうなんやけど」
「悪魔化はともかく、赤目までは持ち込めそうやないすか? せやけどほんま、まだ早いんちゃいます? こないなとこで可能性消さんでも」
「負けて得るもんもある。白石の場合特にそうや。あいつは褒めて伸ばすタイプやない」
「・・・まぁ、俺が幸村負かしたりますから、イーブンってとこっすか」
「頼んだで、副部長。それに白石も意外とやるかもしれへんで? 切原にボールぶつけられて『んーっ絶頂!』とか言い出すかもしれへんやん」
「そないなこと言いおったら、とりあえず無期限で試合禁止やな。性癖から鍛え直したりますわ」
「ほな決定や。白石ー!」
「はい!」
再びオサムが声を大にして呼べば、どうやら金太郎とのラリーの権利を勝ち取っていたらしい白石が、ボールを銀に渡してこちらへ走ってくる。ふたりの前に到着すると、ぴしっと背筋を伸ばして直立するのだから、まったく出来た一年だ。堪忍なぁ、と心中で呟いたのはオサムだったか財前だったか。
「白石、おまえ次の立海戦でシングルス1な。公式戦デビューや」
「っ・・・! あの、監督! シングルス1なんや、俺には無理やと思うんですけど・・・!」
「金太郎はシングルス3で真田に当てる。財前はシングルス2で幸村や。シングルス1で切原に勝てそうな奴は、今のうちではおまえしかおらん」
「・・・・・・せや、けど」
「おまえはルーキーやろ。何を失うもんがあるっちゅーんや。おまえが負けてもチームの勝利はちゃんと勝ち取ったるから心配すんな」
ばんばん、とオサムが白石の腕を叩く。先ほどと一転して不安に顔を曇らせた白石は、縋るように財前を見てくる。何や俺、甘すぎるんちゃうか。そんなことを心中でごちながらも、財前もフォローを重ねてやった。
「おまえなら、ええ試合が出来るやろ」
「!」
「努力しとるし、俺と金太郎が鍛えてきとるんやで? もっと四天の一員っちゅう自信を持たんかい」
「財前副部長・・・」
「おまえは一試合一試合、確実にこなしていけばええ」
負けても勝っても、それがおまえの強さへの近道や。そこまで言ってやれば、ようやく決心がついたのだろう。まだ表情は硬いけれどもしっかりと頷き、白石は「ありがとうございます! 俺、頑張ります!」と頭を下げた。次いで挙げられた顔にはすでに意思が浮かんでいたから、そう心配することもあるまい。金太郎たちの元へと戻っていく小さな後ろ姿に、参謀組はそっとそっと囁きあう。
「・・・多少の怪我は覚悟しとくんやでー・・・」
「・・・選手生命絶たれる前に、ちゃんと止めたるからなー・・・」
すまん、と重なった二重奏は、試合に燃える白石のところまで届かない。告げられた同期の公式戦デビューに一年生たちが沸いている様子を眺めながら、オサムと財前は非常に申し訳なさそうだ。しかし金太郎が何も言わないということは、おそらく余り危惧せずとも大丈夫なのだろう。とりあえずシングルス1に回るまでに、三勝してしまえばいいのだから。
波乱万丈の立海戦は、すでに明日に迫っていた。





とりあえず救急車呼んどくか? それがいいっすわ。
2010年9月5日