夜遊びは仁王の趣味だ。そう言うと大抵の場合「中学生なのに」と眉を顰められるけれども、仁王だってこれでもスポーツ選手だから自制はきちんと行っている。酒にも煙草にも手を出さないし、朝練があるから朝帰りなんてもっての外だ。補導されて部に迷惑をかけようものなら真田、否、幸村が恐ろし過ぎるので必ず一度家に帰って制服から私服に着替えるし、ナンパされてお茶は飲めどホテルへの誘いはお断りする。基本的には軽く何かを食べてから、レイトショーを観て帰宅するという至って健全なスケジュールだ。ただ単にそれが夜に行われているというだけの話で。観たい映画がないときは延々と山手線を周回したりと、無意味なことに時間を費やしてみたりする。仁王の趣味には人間観察も含まれるので、他人を見ているだけでいくらでも暇を潰すことが出来るのだ。これが他人に成り変わる「イリュージョン」の役にも立つのだから、自主練と変わらんぜよ、と仁王は自らを正当化する。
そうして今日は都内池袋までやってきて、何をしようかと考えていたところだった。パンツのポケットに入れている携帯電話が震えて着信を知らせる。三度鳴っても沈黙しないそれはメールではなく電話なのだろう。暇潰しにドンキホーテの品物を端から眺めていた仁王は、ストラップを引っ張って携帯電話を取り出し、画面を確認して驚いた。そこに浮かんでいるのはダブルスパートナーである柳生の名前だった。時刻はすでに二十三時を回ろうとしている。規則正しい生活を常としている柳生にしては珍しいのう。そんな思いが手伝って、仁王は手早く通話ボタンを押して携帯電話を耳に当てた。
「何じゃ、どうした」
後ろの女性グループの馬鹿笑いがうるさくて、足早に出口を目指す。ありがとうございました、という店員の声を背中で聞いた。
『ああ、仁王君。こんばんは』
「コンバンハ。柳生がこんな時間に電話してくるとは珍しいのう。夜更かしか、優等生さん?」
『明日は久し振りに部活が休みですからね。少しは羽目を外そうと思いまして』
「俺らも中学生じゃけぇ、それも当然ナリ」
くく、と喉を震わして笑う。明日は本当に、本当に久し振りに部活が休みなのだ。コート整備だか顧問の都合だか急に決まったもので、理由はともかく休みは以前にいつあったのか思い出すのも難しいくらい久々のため、自然と仁王の足取りも軽くなる。お固い柳生もそれは同じなのだろう。似た者同士じゃな、と仁王は勝手に楽しくなってきた。こんなことなら柳生もレイトショーに誘えば良かったナリ。深夜の徘徊は流石に嫌がられるかもしれないが、引っ張り出すのも良かったかもしれない。そんなことを考えながら、仁王は人混みに流されるままに歩き進める。駅を背にしてどこへ行こうか。サンシャインもいいかもしれない。そう思ったところで、仁王はふと気が付いた。電話の向こうが、何やらざわめきに満ちているのだ。それは仁王の周囲と同じような雑多なもので、柳生は自宅にいるのだろうと考えていたのだが、もしかして違うのか。出歩いているのか。明日が土曜日で、学校も部活も休みとはいえ、今は二十三時に差し掛かった夜更け。そんな時間に柳生が外にいるなんて、それは余りに彼らしくない。仁王は思わず眉間に皺を刻んでしまった。
「柳生、おまん」
今どこにいるんじゃ。口にしようとした言葉は、柳生によって遮られる。
『ところで仁王君、兼六園と松島、どちらがいいと思います?』
「・・・は?」
『ですから兼六園と松島です。ああ、一足飛びに厳島神社もいいですね』
ちょうど今、大河ドラマで扱われていますし。電話の向こうで柳生が笑う。仁王はぴたりと足を止めてしまった。後ろを歩いていた男が迷惑そうな顔で追い抜いていくが、今はそれよりも柳生の発言の方が問題だ。
兼六園とは、あれか。石川県金沢市にある日本三名園の一つだろうか。池に砂利道、数ある茶室。意外と上り坂だったりするが、和と雅に造られた美しい庭は壮観だ。春なら美しい桜や杜若が咲き誇っているだろう。柳生が言っているのはその兼六園なのか? いやまさか。
だとしたら、松島とはあれか。宮城県松島町にある日本三景の一つだろうか。いくつもの島から成り立ち、朝日を浴びて輝く様や、夕陽に染まって落ちゆく瞬間の景色は言葉を奪うとさえされている。戦国武将・伊達政宗の妻の菩提寺もある松島なのか? いやまさか。
そして厳島神社とは、やはりあれか。あれなのか。広島県廿日市にある、世界文化遺産の一つだろうか。青い海原に立つ朱色の鳥居は、一目見たら忘れられない神秘に満ち満ちている。最近ではお供え物にオクラがどうとか問題のあった厳島神社なのか? いやまさか。
『仁王君?』
呼びかけられて、はたと仁王は我に返った。それでも眉間の皺はまだ消えない。ごくりと唾を飲みこんで尋ねる。
「・・・柳生。おまん、今どこにいるぜよ」
問いかけに、あっさりと答えは返された。
『新宿ですが』
「新宿のどこじゃ」
『いえ、新宿というよりは代々木ですね。東口の高速バス切符売り場にいます』
決まりだ。ぐりん。仁王はUターンしてサンシャインに背を向けた。人の流れに逆らうようになり、周囲に嫌な顔をされるが構わない。ざくざくと長い足をせわしなく動かして池袋駅へと直進する。手元の腕時計で確認すれば、時刻は二十三時五分。コンビニに寄って、山手線でも埼京線でもいいから乗って、新宿まで間に合うかどうか。頭の中で計算を始める。
柳生は夜行バスを利用して、兼六園だか松島だか厳島神社だかに行こうとしているのだ。今日の学校で会ったときにはそんな話をしていなかったし、その頃にはまだ明日の部活が休みだとは分かっていなかった。だからこれは本当に突飛な行動だ。所謂思いつき。インスピレーション。それだけで柳生は、小旅行へと旅立とうとしている。しかも夜行バスに乗って一人旅! こんな楽しそうなことを逃してたまるか。仁王の唇は自然と弧を描き、気分が一気に興奮してきた。
「仙台の桜はまだ咲いとらんじゃろう。兼六園ナリ。チケット二枚買っときんしゃい」
『仁王君の分もですか? 急な外泊なんて、ご両親が心配されますよ』
「柳生に言われとうなか。ちゃんと連絡しとくし、心配いらんぜよ」
『私はすでに了承を得ていますので。・・・ああ、金沢行きのバスは二十三時四十分発ですね。間に合いそうですか?』
「間に合わせるナリ。ガイドブックは持ってるんか?」
『ええ。ついでに帰りの切符も買っておきましょうか。ラケットを取りに家に帰る必要がありますので、六時半前に新宿に着くバスで構いませんよね?』
「任せるぜよ」
『分かりました。それではお待ちしております。お気をつけて』
ぷつ、と通話が切れる頃には、仁王はすでに池袋駅に駆け込んでいた。夜中のハイテンションが手伝って、思わず携帯電話にキスをする。ポケットから定期券を取り出して、チャージで改札を通過した。見上げた電光掲示板で山手線が一分後に滑り込んでくるのを確認し、ホームに向かって走り出す。階段は二段飛ばしで駆け上がった。
柳生の、この唐突さが、仁王は好きだ。予定調和の夜遊びなんかではない、完全に「思い立ったが吉日」を地で行く行動は、容易く仁王の予想を飛び越えてくれる。かといって両親からの許可を卒なく取りつけるなど、周囲に迷惑はかけず、きっと資金も自らの小遣いから出しているのだろう。柳生は時に突拍子もない行動を取るが、その行動を取れるだけの能力があり、許されるだけの信頼がある。だからこそ更に奇異な行動に出たりするのだろうが、そこらへんは無意識か。これだから仁王は柳生が好きだ。優等生なのに優等生じゃない、けれど紳士な柳生はいつだって仁王を楽しませてくれる。
さっきだってきっと戯れで仁王に行先を決めさせようとしたのだろう。これで背景のざわめきなどに気づかなかったら、きっと柳生は日曜日の部活で「お土産です」と素知らぬ顔で、金沢銘菓のきんつばだか仙台銘菓のずんだ餅だか広島銘菓の紅葉まんじゅうだかを差し出して来たに違いない。そこでようやく仁王は質問の意味に気づき、歯噛みするのだ。そうならなくて良かった。仁王は心底そう思う。
「ああ、そうじゃ。家に電話」
思い出して携帯電話の通話履歴から自宅を選び出す。すでに山手線に乗ってしまったため、かけるのは降りてからだ。仁王は車内で電話をしない。マナーの問題もあるし、知り合いと話す内容をその相手を知っている人ならともかく、まったく関係のない第三者に聞かれるのが気持ち悪いからだ。周囲が気にしていなくても、仁王自身がそれを許さない。だから仁王は電話をかけない。メールも必要以上に続かせない。故に意外に思われるかもしれないが、携帯電話の契約プランはいつだって最小限のものだった。一番かける相手である柳生とは会社が同じなので通話もメールも無料で済むから尚更だ。
車内アナウンスが新宿への到着を知らせる。開く扉から滑るようにしてホームへ降り立ち、仁王は東口を目指して足早に進む。通話ボタンを押して、コール音が鳴るのを待つ。仁王の家は家族も夜更かしをするタイプなので、この時間でも誰かしら電話に出てくれる。はい、もしもし。聞こえてきた高い声は姉のもので、仁王は浮き立つ気持ちをそのままに告げた。
「柳生と金沢まで駆け落ちしてくるナリ。帰りは明後日の朝じゃ。後はよろしく頼むぜよ!」
改札を出る前にキオスクに駆け込んで、水のペットボトルを二本と、飴とガム、それとポッキーと電池を買い込む。携帯の充電器はおそらく柳生が持っているだろうから、電池さえあれば問題ないに違いない。腕時計を確認すれば、バスの出発まであと十分。ぎりぎりじゃな、と仁王は気持ちスピードを上げて新宿駅を出た。
改装工事のため、高速バスのターミナルは代々木駅近くに移動しているらしい。看板を一瞥し、走る速度を上げる。人混みの合間を器用に擦り抜けていけば見えてきた。大きな観光バスの前に柳生が一人、立っている。仁王に気づいて小さく手を振ってくる様子に、思わず笑みが浮かんでしまうのは仕方がない。レイトショーなんかよりもずっと楽しい夜遊びが、仁王のことを待っている。
真面目で勤勉な優等生なのに、びっくり箱のような柳生が仁王は好きだ。飽きない奴じゃ。だからこそ一緒にいたいと、仁王はいつだってそう思っている。





世界の果てまでランデヴー





余談だが、人の気配と慣れないバスの座席に中々眠りにつけずにいた仁王のために、柳生は持参していたらしいアイマスクを貸してくれた。携帯電話の充電器も予想通り持っていた。翌日、無事に金沢駅に到着したものの早朝からやっている店は少なく、某コーヒーチェーン店で朝食を済ませ、八時には兼六園に入った。美しい庭園を一周し、池が良く見える場所にあるベンチに座ってのんびりと過ごすことしばし。思い出したように時折ぽつりぽつりと会話をし、良い天気の下、何故か不思議と眠くはならずに、午前中はまるまる兼六園を眺めることだけに費やした。昼食は奮発して加賀料理を食べ、その後はひがし茶屋街や金沢城公園、金沢21世紀美術館や長町武家屋敷跡、近江町市場を見て回った。途中、豆乳アイスクリームを食べているところに赤也からメールが入り、柳生と二人で兼六園をバックにした写真を送ってやったら「内緒で行くなんてずるいっす!」という返信が来て思わず笑った。そうしてまた深夜バスの時間まで、仁王は柳生と共に金沢の街を満喫した。明日は朝から部活があって、きっと車中泊の疲れも出て気怠いだろうが、それも悪いとは思わない。照明が消されたバスの中、仁王は隣で休む柳生の寝顔を見ながら満足気に笑う。
一緒にいると世界の違う面が見えてくる。これだから仁王は、柳生のことが大好きなのだ。





仁王と柳生は背中合わせに立っているので、同じ物を互いに反対側から見ているイメージ。だからこそ互いのことが理解できるし、二人揃うとこれ以上ないほどピースが嵌る。
2012年4月15日