U-17代表選抜合宿。本来は高校生のみを対象として行われるその代表選に、今年は五十人の中学生が召集されていた。何故中学生を、しかもそんなに、と思うかもしれない。しかし実際に合宿に参加したのが五十名であるだけで、本当はもう少し多くの中学生に声がかけられていたのである。合宿に参加しなかった彼らは、それぞれの理由で断っていた。例えば、四天宝寺中の財前。彼は山奥での集団生活が面倒くさいという、酷く個人的な理由で合宿の誘いを蹴った。そして六角中の佐伯。彼もまた、己の事情により合宿の参加を見送っていた。





神秘的なロマンティシズム





放課後の、少し賑やかな六角中の職員室の隅で、佐伯はテニス部顧問であるオジイと向かい合っていた。回転椅子に座布団を敷き、その上に正座しているオジイに対し、立っている佐伯は自然と見下ろす形になる。それでも不敬な印象を与えないのは、佐伯の持つ雰囲気が柔らかく、敬愛に満ちているからだろう。六角中のテニス部は、顧問と部員というより、師匠と弟子といった言葉が相応しい。その中でも一際優秀である佐伯に、オジイは再度問いかける。
「本当にいいのぉ〜?」
「うん。決めたんだ。俺は選抜合宿には行かないよ」
佐伯の華やかな顔立ちが、一つ頷き、意志を語る。
「高校生の合宿に呼んでもらえたことは光栄だと思う。でも俺は今年の夏、自分がそれだけの結果を出しているとは思えないんだ。だから合宿には参加しない」
「いろんな子が来るよぉ〜?」
「うん。それでも俺は、自分に納得することが出来ない限り、次には進まない」
そう言って佐伯は膝を折る。物に溢れた職員室の中で片膝を着く姿はどこか滑稽であるはずなのに、佐伯の整った容姿故か、そこだけおとぎ話のワンシーンのようだった。王子のように傅いて、佐伯は姫にではなく、恩師の頬へと手を伸ばす。全国大会の一回戦で、比嘉中の甲斐がボールをぶつけた、その顔面に。年老いてたくさんの皺を刻んでいる目元に触れようとして、佐伯は止まる。オジイを見上げる顔には悔恨だけが浮かんでいた。
「・・・力が足りなくて、ごめん」
絞り出された声は掠れる。今でもフラッシュバックする全国大会の初戦。佐伯は甲斐に敗北し、チームも敗れた。故意にボールをぶつけられたオジイの仇を取ることも出来ず、佐伯は悪意に満ちた野次を背中に浴びながらコートを出るしかなかった。あの悔しさは、遣る瀬無い悲しみは、今も決して忘れていない。けれどそれらの経験が、佐伯に気づかせたのも事実だ。病院に向かう途中、零れた涙を拳で拭い、佐伯は悟った。
楽しいだけじゃ駄目なのだ。正義だろうと悪だろうと主張を認めさせるには勝利が必要で、そのためには強くなくてはならない。好きだけじゃ、何も成すことは出来ない。譲れない何かがあるのなら、断固たる決意を持って挑まなくてはいけないのだ。
オジイが痛ましい表情を浮かべている。そうさせているのは自分だと分かっているからこそ、佐伯は苦笑いを浮かべざるを得ない。好きだからこそ楽しんでテニスをする。その六角のモットーを否定する気はない。むしろ証明したいからこそ、佐伯は勝利を追い求めることを決めた。中途半端に浮いたままだった手を下ろして立ち上がる。
「上に行くことを諦めたわけじゃないよ。むしろ、行きたい気持ちは前よりも強くなった。だからこそ俺は、一歩ずつ足元を固めて、納得して昇っていきたい」
「・・・難しいよぉ〜?」
「分かってる。でも決めたんだ。・・・オジイ。こんな俺だけど、これからも指導してくれる?」
強さと勝利を思い求める姿勢は、テニスを楽しむ六角のモットーから外れてしまう。ならば去れと言われるんじゃないか、それだけが気がかりで、佐伯は愁眉を寄せる。余り表情を変えることのないオジイは、じっとそんな佐伯を見つめ、枯れ枝のように細い腕を伸ばした。皺の分だけ歴史を刻んできたその手で、よしよし、と佐伯の頭を撫でる。いつにない子供扱いに、佐伯はきょとんと目を丸くし、そして笑った。それは泣き出すのを堪えるような、怒られるのを怖がっていた子供のような、そんなあどけないものだった。
「サエなら出来るよぉ〜」
「・・・うん。ありがとう、オジイ」
今度はその手に自身の頬を摺り寄せて、佐伯も応えた。オジイは六角中男子テニス部の全員にとって、恩師であり、実の祖父のような存在だ。偉大な導き手に常に感謝を捧げている。姿勢を正して、佐伯は深く頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
覚悟を載せた挨拶に、オジイも目尻の皺を深くして、うんうん、と頷いた。

職員室を出ると、廊下には各クラス宛の日誌やお知らせなどを入れておく棚がある。それに背を預けて立っているチームメイトに、佐伯はついと視線をやった。身長差が十センチメートルあるから、どうしても見上げる形になってしまう。よう、と片手を挙げて黒羽春風は告げてくる。
「俺は行くぜ、U-17合宿」
「それがいいよ。バネは揉まれて強くなるタイプだから。でも、俺だって負けない」
「本気になったサエか。そりゃあ手強いな!」
からからと黒羽が声を挙げて笑う。つられて少しだけ笑いながら、並んでテニスコートまでの道のりを歩む。
これから先、きっと佐伯は数多くの敗北を経験することになるだろう。けれど己の主張を貫きたいのなら、それらに耐え忍び、自らを研磨して、そして自分自身を納得させられる確かな勝ち星を掴みとっていかなくてはいけない。終わりの見えない、果てしない道程だ。けれどもその道を進む意思を固めたからこそ、佐伯はU-17合宿には参加しない。
彼に今必要なのは、己と見つめ合う時間だ。自身を知り、次に立ち上がるとき、佐伯は今までの彼とは違うだろう。違う自分でいてみせる。誓いに拳を握り締め、佐伯は顔を上げて前を見つめた。その日、彼は楽しいだけのテニスに別れを告げ、勝敗の世界に身を投じた。





少なくともルドルフより結果を残しているサエさんがU-17合宿に参加していないのは、新テニ開始以来の疑問でした。なので考えた結果「自ら行かなかった」んじゃないかな、と。タイトルはサエさんの誕生日の星言葉より。
2012年3月10日