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「王者立海」を選んで入部した意地がある。化け物だろうと同じ年を相手に逃げ出すわけにはいかなかった。プライドがあった。





希望と絶望の背中を見ていた





「丸井先輩、丸井せんぱーい」
全国大会の会場で、赤也は同校の先輩を探して右へ左へ彷徨っていた。集合時刻までは自由行動が許されており、部員たちはそれぞれ気になる試合の観戦に行ったり、休憩を取ったりしている。そんな中、赤也が丸井を探しているのは偏に柳の指示だった。何で俺がこんなパシリみてーなこと。ぶつぶつと文句を舌の上で転がす赤也の視界に、ちらりと赤いものが入ってくる。反射的にそちらを向けば、いた。小さな備品倉庫の影に、特徴的な真っ赤な髪と立海の芥子色のユニフォームがある。段差に腰かけている背中は倉庫に隠れて半分くらいしか見えないけれども、間違いない。あんな派手な色彩が丸井以外にあるのも問題だ。見つけた、と赤也は背中に向かって一歩踏み出す。
「丸井せんぱ・・・ぐえっ!」
呼びかけは後ろから襟を引っ張られたことで潰れた呻きに変わってしまった。ユニフォームが思い切り首に食い込んでいる。すぐにぱっと放されたが、強い力は赤也を咳き込ませるには十分だった。
「すまん。大丈夫か?」
涙目になって振り向けば、そこにいたのはジャッカルだった。眉を下げて苦笑している先輩に、赤也は思わず訴える。
「何すんですか! 超痛かったんすけど!」
「悪い。ブン太に何か用か?」
「本当に悪いと思ってるんすか? ・・・柳先輩が呼んでるんすよ。氷帝の芥川さんが来てて、丸井先輩の名前を連呼しててうるさいから連れて来いって」
「あー・・・」
探していた理由を告げれば、ジャッカルが思案顔になる。赤也は首を傾げながらも再度丸井を呼ぼうとしたが、またしても首根っこを掴まれて阻止されてしまった。しかも今度はくるりと丸井とは逆の方向を向かされる。仰ぎ見れば、やはりジャッカルが苦笑していた。
「柳に謝っといてくれないか? ブン太は今、集中してる最中だから邪魔しないでやってくれって」
「集中? 丸井先輩が?」
暗に「あの人そんなことするんすか?」と赤也が問えば、「おまえはブン太を何だと思ってるんだ」と呆れた溜息が降ってくる。
「次の決勝の相手は青学だからな。気合を入れてるんだろ。そう言えば芥川も分かってくれるだろうから、頼む」
「・・・仕方ないっすね。丸井先輩に貸し一つって伝えといてください」
「分かった分かった」
関東大会の決勝で涙を飲むことになった相手だ。自身も思うところがあるのか赤也も大人しく頷いて、絶対ですからね、と念を押して来た道を駆け戻っていく。それを見送り、ジャッカルはちらりと背後を垣間見た。倉庫の影にいる丸井は少しも動いた様子がなくて、そのことにほっと息を吐き出す。いつもの部活や大したことがない対戦相手のときはしないけれども、ここぞというときは必ず、丸井はこの行為を行っている。誰もいないところで両耳を手のひらで塞ぎ、無音の中でただ地面だけを見下ろして、自分自身に暗示をかけるのだ。あと一歩でも近づけば丸井の呟きが聞こえてくるだろう。呪いにも似た、強力な催眠が。
「俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は天才俺は」
何も知らない輩が聞いたのなら、ぎょっとして丸井の正気を疑うだろう。それだけ彼の自己暗示は切実な響きを帯びており、繰り返す顔は怖いくらいに無表情だ。常の明るく騒がしい姿からは想像できない。けれど、こうでもしなければやってこられなかった。あの三人と同じチームで、対等になんてやってこられなかったのだ。
「桑原君」
「柳生、仁王」
「丸井の儀式は順調か? お守り役も楽じゃないのう」
今度やってきたのは柳生と仁王だった。どこかで打ち合っていたのか、二人はうっすらと額に汗を浮かべている。決勝で、柳生はすでに控えに回されることを宣告されていたが、勝利のためなら仕方ありませんね、と彼は受諾していた。対する仁王はシングルス2を任されており、時折走るぴりっとした緊張感が秘められた気合を物語っている。
二人は丸井の自己暗示を知っている。赤也が知らないそれを知っているのは、彼らが丸井と、ひいてはジャッカルと同じ側の選手だからだ。すなわち幸村と真田と柳とは違う。二番手の、選手だからだ。

「王者」と「常勝」を掲げる男子テニス部に入部したくて、丸井は立海を受験した。小学校からやっていたテニスには少なからず自信があった。だが、それも、立海で幸村、真田、柳という三人の化け物と出会うまでの話だ。次元の違う彼らを前にして、自分を誇れる輩がいるわけがない。二十人いた一年生の内、半分が二ヶ月で辞めた。後にレギュラーを掴む七人以外の三人は、今も籍だけはテニス部に残っているけれども姿は見ない。圧倒的な才能は、十三歳でしかない少年たちにとって余りに眩しく強すぎたのだ。化け物が年上なら憧れられた。化け物が年下なら諦められた。けれど同じ年じゃどうしようもない。テニスを除けば三人とも至って普通の中学生だから、尚更だった。
意地とプライドが歯を食い縛って縋りつかせた。見せつけられる己の無力に、違う道を模索せざるを得なかった。その結果が丸井の妙技であり、ジャッカルのスタミナであり、柳生と仁王の詐欺師のテニスだ。我武者羅になってそれらを確立し、ようやく三人と肩を並べることが出来ている。・・・それでも、未だに思う。

「――っしゃあ! 俺ってば天才的ぃ!」
「終わったようじゃのう」
倉庫の影で縮こまっていた丸井が叫び声とともに立ち上がる。こちらを向く顔に先程までの悲壮感はない。ずかずかと大股でやってきたかと思うとジャッカルの腕を握り、引き摺って歩き出す。うわ、というジャッカルの慌てふためいた動揺は、丸井の声にかき消された。
「行くぜ、ジャッカル! 俺らの手で立海三連覇を決めるぞ!」
「丸井君、桑原君、頑張ってください」
「任せとけって! 楽勝だろぃ!」
「まぁ、その前に俺がシングルス2で優勝を決めちゃるがのう」
柳生が応援の声をかけ、仁王が唇の端を吊り上げる。言ってろぃ、と強気に返して丸井はコートへと向かっていく。二人に手を振ってから、ジャッカルも姿勢を立て直して丸井の隣を歩いた。
「――勝つぞ」
「ああ。当たり前だろ」
こつんと、拳を突き付けあう。・・・それでも、未だに思う。

あの三人にとって、自分たちは必要ないのかもしれない。三勝すれば勝ち上がれるのだから、幸村と真田と柳がシングルスで勝ってしまえば、それで良いんじゃないかって。彼らにはそれだけの実力があるのだから、自分たちはただの数合わせなんじゃないかって。必要ないんじゃないかって、最後の夏になってもそう思う。
それでも口にしないのは、自分たちの三年間の努力をなかったものにしたくないからだ。苦しみ抜いて、それでも無様に笑ってきた日々を、せめて誇って終わりたい。そして、それ以上に。

化け物である前に、彼らは自分たちのチームメイトだから。仲間だから。友達だから。だから、言わない。

コートが近づくにつれて芥子色のジャージが増えてくる。ベンチに腰かけている幸村が顔を上げ、真田が視線だけで振り向き、柳が表情を和らげ、赤也が手を振ってくる。眩しさに丸井は目を眇めて、ジャッカルの腕を握る手に力を込めた。
まもなく夏が終わる。次元の違いに苦しみ続けた三年間の結果が出る。笑って終われればいいなと、心の底から、思っている。





丸井の自己暗示は恋愛ゲーム「学園祭の王子様」より。この設定を知ってますます丸井が好きになった。
2012年3月6日