淡いブロンドに青い瞳の美人な外国人女性が、困り切った顔で話しかけてきました。
「Excusez-moi. Où est le ドンキ?」
どうやら彼女はドンキに行きたいようです。





氷帝がフランス人に道を尋ねられたようです。





1.跡部様と樺地の場合

「あーん?」
渋谷の駅まで話しかけられ、跡部は鷹揚に振り返った。基本的に彼は渋谷や池袋には用がない限り足を踏み入れない。若者の多い街は跡部の容姿に惹かれるようにして、ナンパを仕掛けてきたり、そうでなくとも数多の熱い視線を送ってくる輩が多いのだ。分別のついている大人ならまだしも、十代の子供を相手にしている時間などない。自身が中学生であることを棚に上げ、跡部はそう考えている。だからこそ今日も父親の用事を代わりに済ませるため、気が進まないながらも樺地を連れて渋谷を訪れ、終わり次第さっさと帰ろうと考えていた。そんなときに声をかけられたのだ。返答が少しぶっきらぼうになっても仕方ないかもしれない。だが、それでもきちんと対応するところは流石は跡部景吾である。樺地を背後に従わせ、彼は前髪を面倒くさそうにかき上げて口を開いた。
「S'il vous plaît de le dire à nouveau.」(もう一度言ってくれますか)
このヨーロッパから遠く離れた日本のど真ん中の繁華街で、よもやまさか英語ならともかくフランス語が通じるとは思っていなかったのだろう。女性は驚いて目を丸くした後に、本当に安堵したように微笑んだ。どうやら言葉が通じず途方に暮れていたらしい。Merci beaucoup.と礼を告げて、女性は繰り返す。
「Où est le ドンキ?」
氷帝学園中等部では、二年生以上は第二外国語を選択科目で履修することが決められている。跡部は二年生のときにドイツ語を、三年生ではギリシャ語を学んでいるが、彼にとって言語の壁などないに等しい。特にフランス語は比較的メジャーな言語であり、イギリス生活をしていた跡部にとって決して縁遠い言葉ではなかった。ヒアリングも会話も何ら問題はない。しかし、それ以前の問題があった。
「ドンキ? 何だ、それは。樺地、知ってるか?」
「・・・いいえ」
天下の跡部財閥のご子息様は、全国展開されている基本的に二十四時間営業年中無休の総合ディスカウントストアをご存知なかったのである。だが責めてやるなかれ。彼は先日、同じ部活の仲間たちに連れられて、ようやく赤と黄色のファーストフード店に足を踏み入れたばかりなのだ。これが価格破壊か、としみじみ感想を述べた跡部は一般庶民の生活について学んでいる真っ最中であり、それは彼のギリシア語習得よりも緩やかなペースで行われている。
とにかく跡部はドンキ自体を知らないので、道を教えることが出来ない。故に彼は肩を竦めて、心配そうな顔をしている女性に営業的に微笑みかけた。
「Pardon, Je ne le sais pas. Entendons un cours dans la police.」(すみません、私も知りません。警察で道を聞きましょう。)
通訳しますよ、と跡部が言えば、女性は嬉しそうに頷いて何度も礼を言う。用事までまだ時間に余裕があることを確認し、跡部は樺地と共に駅前の交番へと向かい始めた。背後からは女性が小走りでついてくる。
そうして辿り着いた交番で跡部が「ドンキはどこにありますか? というか、ドンキとは何ですか?」と尋ね、警察官に不思議そうな顔をされるのは僅か二分後のことである。

(跡部:会話能力に問題はないが、それ以前の問題である。樺地:ジェスチャーを読み取り、ジェスチャーで教えるタイプ)





2.東の忍足の場合

声をかけられて振り向き、忍足侑士は僅かに顔を歪めた。おそらく二十代と思われる女性は美人で割合と忍足の好みだったのだが、如何せん言語という最初のコミュニケーションですでに躓く気配を感じている。しかし縋るように見上げられ、ここで無視できるほど彼は冷たい人間ではなかった。周囲の目というものもある。浅く溜息を吐き出し、ラケットバッグを背負い直して向かい合う。
「えーと、すんません。もういっぺん言うてもらえます?」
余談だが、彼の現在の第二外国語はドイツ語であり、昨年履修していたのは韓流ドラマを生で見たかったがために韓国語である。フランス語は未知の分野であり、仏文学に興味はあれど高校で学べばええやろ程度にしか考えていなかった。当然ながら日本語、ましてや関西弁は通じず、女性は首を傾げる。あー、と頭を掻き、忍足は人差し指を立てた。
「もう一回」
「?」
「Once more please.」
英語は通じないかと思ったが、この程度の簡単なものなら世界共通語だけあってどうやら大丈夫だったようだ。女性は再度繰り返す。
「Où est le ドンキ?」
「ドン・・・?」
「ドンキ」
「ドンキ? ああ、ドンキな」
ここで知識のないフランス語の中から既知の単語を聞き取ることが出来た忍足は、やはり耳が良いのだろう。頷いた彼に対し、女性はほっと肩を撫で下ろしている。忍足は医者の息子であり比較的裕福な家庭で育ってきているが、跡部のようにドンキを知らないということはなかった。格安ディスカウントストアである。むしろ御用達かもしれない。
「っちゅーても、フランス語で説明できへんしなぁ・・・」
道は分かるが教えられる自信がない。うーん、と頭を悩ませ、忍足はラケッドバッグをおろし、その中からルーズリーフとペンケースを取り出した。ボールペンで小さな四角を書き、その中に背後の駅名である「SHIBUYA」と記入する。
「渋谷。分かるか?」
駅を指さして聞けば、女性はこくこくと頷いた。忍足が話しているのは相変わらず日本語だが、それでも地図を描いてくれると分かったのだろう。真剣な表情で女性はルーズリーフを覗き込む。
「今いるのが三番出口やろ? まず、そこの横断歩道を渡る」
信号を指さし、ペンでルーズリーフにもラインを書き込む。
「109の前を通って、LABIも素通りや。その先の二手に分かれる道の左側にあるのがドンキや」
外国人でも分かるように数字やアルファベットの看板を書き込み、ドンキのある場所には星マークをつけてやる。さして難しい道筋ではないから大丈夫かと思うが、女性は一度頷き、ルーズリーフに描かれた地図を受け取る。
「Merci beaucoup!」
「おん。気ぃつけるんやで」
笑顔で礼を言う女性に、ひらひらと手を振って応え、その背を見送る。彼女が横断歩道の向こう側へと消えていった頃に、忍足は大きく溜息を吐き出した。
「あー・・・ほんまびびった。あかんわ。日本に来たら日本語喋ってくれへんかな・・・」
そうして彼は本日の目的だった本屋へと向かうのだった。

(忍足:耳がいいので知ってる単語は拾える。地図を描いて教える派)





3.鳳と日吉の場合

「えっ?」
声をかけられ、明らかに狼狽えたのは鳳で、そんな友人を見やることで逆に冷静を保ったのが日吉だ。あわあわと両手を無駄に上下させ、鳳は日吉を窺う。
「ひ、日吉、今この人何て言ったのか分かる?」
「・・・英語ではなかったな」
「何語だろう? 日吉、第二外語は何取ってたっけ?」
「ドイツ語だ。おまえは?」
「フランス語だよ。あれ? でも今の、フランス語だったような・・・? あれ?」
突然日本語以外で話しかけられたことで、軽くパニックに陥ったのだろう。いつもは基本的にのほほんと独自のペースを保っている鳳だが、時として妙なところでバランスを崩すことがある。落ち着け、と溜息交じりに宥め、日吉は背負っているラケットバッグを指し示す。
「辞書とか持ってないのか?」
「あ、持ってる! 良かった、今日フランス語の授業があって」
律儀に教科書だけでなく辞書まで持ち帰る鳳は、二年生になった今年から第二外国語でフランス語を履修している。対する日吉はドイツ語であり、来年はギリシャ語を選ぶつもりだ。その道のりが下剋上対象である跡部と同じであることを日吉は知らない。余談だが、その跡部が第二外国語のテストはすべて満点で通過していることも、彼はまだ知らない。取り出した辞書の表紙がフランス語で書かれていることに気づき、女性が笑顔になる。えっと、と呟き、鳳は自信なさそうに発音した。
「Pourriez-vous répéter s'il vous plaît? Pourriez-vous parler un peu moins vite?」(もう一度言ってくれますか? ゆっくり話してくれますか?)
ところどころ頼りない発音ではあったけれども、きちんと相手に伝わり、女性は頷いて殊更ゆっくり丁寧に繰り返す。
「Où est le ドンキ?」
「ドンキ?」
「何だって?」
「いや、ドンキはどこかって」
「ドンキ? それなら信号を渡って道なりに行けばあるだろ」
「日吉、ドンキを知ってるの?」
「・・・まさかおまえ、知らないのか?」
頷きを返されて、日吉の目は思わず呆れを通り越して憐みさえ浮かべた。え、何、みんな知ってるものなの? 鳳が再び慌て始めるけれども、日吉としては「これだから金持ちは・・・」といった心境である。親が弁護士をしている鳳の家は、跡部には劣るものの間違いなく富裕層に属している。日吉とて平均より上の家庭ではあるが、それでもドンキの存在は知っていた。行ったことだってある。というか普通、知らずに過ごすのも結構難しい全国規模のディスカウントストアである。
「とりあえず翻訳してやれ。待ってるだろ」
「あ、うん。信号を渡って右? 左?」
「右だ。そのまま道なりに進んだ左手にある」
「分かった。えっと・・・S'il vous plaît traverser le passage pour piétons. Puis prennez à droite. Allez tout droit. Est-gauche.」(横断歩道を渡ってください。右に曲がってください。まっすぐ行ってください。左です)
横断歩道という単語が分からなくて辞書を引きつつ、つっかえながらも鳳が説明すれば、女性はどこか優しく微笑みながら聞いてくれた。傍から観ていた日吉には、それが「一生懸命説明しようとしてくれている子供」を見ている目だと分かったが何も言わない。Je comprends. と女性が理解したことを告げると、ほっと鳳が肩を撫で下ろす。Merci. と今度は日吉でも知っているフランス語で礼を告げ、女性は横断歩道へと向かって行った。鳳が手を振ってそれを見送る。
「ああ、緊張した。でもやっぱり本場の人は発音が綺麗だね。俺も見習わなくちゃ」
「そうだな」
相手がドイツ人じゃなくて良かった。そう思った日吉だった。

(鳳:つたない発音でも何でもとにかく会話を試みる。教科書通りの文章会話。日吉:相手の持っているだろう地図とかメモとかを見せてもらい読み取り、示すタイプ)





4.幼馴染トリオの場合

きょとん。それが相応しい顔で幼さを前面に押し出したのは、宍戸と向日とジローだった。否、ジローは今も八割方夢の中にいるので、話しかけられた声も聞いているようで聞いていないだろう。え、何。向日が呟く。
「亮、今の分かった?」
「いや、全然。おまえは?」
「分かるわけねーじゃん。ジローは、って聞くまでもねーし」
「あー・・・America? France? Germany? Spain? Italy? China? Other?」
「チャイナはねーだろ」
「うるせ! 岳人は黙ってろ!」
口にしたのは英語ではあるが、とりあえず相手が何語を話しているのか理解しようと試みたのだろう。宍戸が片っ端から国を挙げると、女性は「France!」と拳を握って頷いた。途端に「うげ」とふたりの表情が固まる。宍戸も向日も第二外国語でフランス語は選択していないからだ。宍戸は去年はイタリア語、そして今年はドイツ語を取っている。向日は連続して中国語を選択しており、二年目の今年は上級者向けのクラスに所属していた。ちなみにジローは去年はスペイン語、そして今年はギリシャ語だ。どちらも忍足と跡部という強力な保護者が在籍しており、だからこそ授業中も寝てばかりのジローが単位を落とすことなく取得出来た、奇跡の第二外国語である。
「・・・跡部に電話するか?」
宍戸がいろんな意味で頼れるけれどもある意味最終手段であるチームメイトの名を挙げるが、逆に向日は制服のポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでタッチする。
「んー。別に大丈夫じゃね?」
そうして彼は、女性に向かってスマートフォンを差し出した。女性は不思議そうに画面を覗き込むが、何が映っているのかを理解した後に受け取り、おぼつかない指先で入力を始める。宍戸は首を傾げながら見守った。
「何だ?」
「外国語翻訳のアプリ。自動翻訳だから変になるかもだけど、道案内くらいなら平気じゃね?」
「あー、なるほど」
向日の機転に宍戸は感心した。氷帝において、真っ先に携帯電話をスマートフォンに移行させたのは、意外にも跡部ではなく向日だ。実家が電気屋を営んでいる彼はありとあらゆる機械に精通しており、ぶっちゃけた話、こういった分野においてはあの跡部をも凌ぐ才能を持っている。だからこその受け答えに、宍戸は納得して頷いた。女性が返してきたスマートフォンを今度はふたりして覗き込む。ジローがぐらついて倒れそうだったので、宍戸がその襟首を捕まえた。
「ドンキに行きたいのか」
「ドンキってそこ渡って左だっけ?」
「右だろ。二百メートルくらい先にあるはずだぜ」
「オッケー」
今度は向日が入力を始める。相変わらずその手つきは淀みなく素早い。さくさくっと翻訳された画面を女性に見せれば、嬉しそうな笑顔が返される。Merci.とお礼を言い、女性はふたりに手を振って横断歩道へと向かって行った。触発されたのか、ぼんじゅー、とジローが明らかなカタカナ発音で寝言を呟く。
「そんじゃ行くか」
「おう! 今日はクレープな気分!」
「はいはい」
ジローを引き摺って歩き始める。和気藹々とした三人の姿は違和感なく渋谷の街に溶け込んでいった。

(宍戸:努力はするが、どうしようもなくなったら跡部に電話。向日:自動翻訳があんじゃん。ジロー:そもそも聞かれない。聞かれても日本語で説明する)





5.真打ち

「Excusez-moi. Où est le ドンキ?」
声がして、滝萩之介は振り向いた。そこには不安そうな顔の外国人女性がおり、軽く目を瞠った後に、滝は柔らかに微笑む。そうして開かれた彼の唇から紡がれたのは、完璧なフランス語だった。
『どうされました?』
『あの、ドンキへの道を教えてもらえませんか?』
『ああ、ドンキですね』
ふむ、と少し考え込む滝に、フランス語が通じると分かって女性が心底安堵したように肩を撫で下ろしている。今まで多くの人に話しかけては、フランス語が通じず困り果てていたのだろう。ようやく見つけた相手に彼女は藁にもすがる思いだった。しかし、それは大当たりだった。滝は第二外国語でフランス語こそ選択していないものの、仏文学を愛読し、文化活動委員として氷帝の図書館で開催された仏文学フェアに協力もした人物なのである。原書ですら難なく読みこなせるレベルであり、また発音も滑らかで美しい。
『横断歩道を渡って少し行ったところにあるんですが・・・。もしよろしければ、ご案内しましょうか?』
『えっ! いいんですか? ご迷惑じゃありませんか?』
『今日は特に用事もないので大丈夫です。日本へは観光で?』
『はい。友人に買って来て欲しいと頼まれたものがあるんですが、ドンキの場所が分からなくて・・・』
連れだって歩き出したふたりに向けられる視線は多い。ただでさえ滝は清廉な容姿をしており、そんな彼が突然外国人に話しかけられ、あまつさえ平然と受け答えを始めたのなら、それはもはや「惚れてまうやろー!」の域である。周囲の女子高生などは瞳をハートに変え、頬を染めて滝を見つめていた。そんな中でも和やかに会話をしながらエスコートする滝は麗しい。
余談だが彼はその後、ドンキで女性の買い物にも付き合い、いろんな商品の説明もしてあげたという完璧なるプリンスだった。

(滝:滝さんに不可能はない)





跡部様がギリシャ語を取ってるのも、向日が電気屋の息子なのも、滝さんが仏文学を嗜むのも全部公式(ファンブックやペアプリ)です。公式パネェよ・・・。
2012年1月23日