立海がドリライ2011を観に行ったようです。
「おはようございます、仁王君。さて、何分の遅刻ですか?」
「おはようさん、柳生。そうじゃのう、三十分ってとこか?」
「正確には四十一分五十六秒です。十時に改札出口で待ち合わせと言ったでしょう。どうしてこう、あなたという人は時間にルーズなんですか!」
「うるさい男は嫌われるぜよ」
「ルーズな男性も嫌われますがね。・・・もういいです。早く会場に向かいましょう」
「りょーかいナリ」
寒さも本格的な冬に向かい始めた、十二月十二日の第二土曜日。神奈川は地元と言えば地元だが、立海とは路線の違うJR新横浜駅の改札を出たところで、柳生と仁王は合流した。時計の針はすでに十時十五分を指しており、柳生は開いていた文庫本を苛立たしげに閉じて鞄にしまう。鮮やかな赤のストールに顔を埋め、くあ、と仁王は欠伸した。吹き抜けのホールはまだデパートも開いたばかりの時間だというのに、すでに人で賑わっている。その七割、否、八割が若い女性だ。一体何のイベントだと一般人なら思うだろうが、ここは新横浜、横浜アリーナという名の多目的イベントホールが存在する街であり、むしろそのために開発された駅前と言っても過言ではない。店員はイベントがある日の忙しさに慣れているのだろう。ファーストフードのアルバイトと思われる店員ですら客捌きが鮮やかなものだから、やるのう、と歩きながら仁王は感心してしまう。ブラックのPコートを纏った柳生が、ああ、と向かいから歩いてくる数人の女性たちを見て声を挙げる。
「仁王君、あれですよ。今回のドリライ特製バッグ」
「おお。確かにドリライ2011って書いてあるのう。あれならよくよく見ない限りテニプリとは分からんぜよ」
「エコバッグに丁度好さそうですね」
「あれ持って近所のスーパーに行くんか?」
擦れ違った女性たちが肩から下げていたのは、白地にシルバーで「DREAM LIVE2011」という文字がスタイリッシュに印刷されている不織布のバッグだ。ちょこんとはみ出しているのはポスターだろう。横浜アリーナに向かっている柳生と仁王とは逆に、彼女たちはすでに買い物を終えたらしく一息入れるためか駅へ戻っているらしい。まったく、と柳生は溜息を吐き出しながら眼鏡のブリッジを押し上げる。
「柳君が言っていたでしょう? 物販は九時三十分から。十二時の開演を考えるなら発売開始と同時に並んだ方がいいと」
「ペンライトを買うだけのために、何でそんなに早くから並ばなきゃいかんぜよ」
「じゃんけんで負けた自分を恨むんですね」
「・・・あのときパーを出しとけば良かったナリ」
ぶちぶちと文句を言う仁王も、付き合って物販に並ぼうとしている柳生も、ふたりとも横浜アリーナに来るのは初めてだ。駅からの道のりはチームメイトの柳にプリントアウトされた地図を渡されているけれども、もはや周囲の流れに沿っていけばいいのだと空気が教えてくれる。きゃっきゃと楽しそうに話している女性たちはとても可愛らしいが、会場が近くなるにつれて上がっていくテンションはどうだろう。突如互いの肩をばしばしと叩き合ったり、跡部様めちゃくちゃ楽しみ、なんて黄色い声が張り上げられたりして、元気ですね、と柳生は思わず漏らしてしまった。元気じゃのう、と同じく仁王も返してしまう。途中から陸橋に上がると、後はもう道なりに行くだけで横浜アリーナへ到着できてしまうらしい。途中でペンライトを発売している屋台を発見し、あれでいいじゃろ、と言った仁王を、いけません、と柳生が引っ張っていく。そうしてふたりは横浜アリーナに到着した。白というかグレーというか、あまり背の高くない四角い建物である。外から見ていると一万七千人も収容できるとは思えないシンプルな設計だ。
「ああ、物販会場はあちらのようですね」
このまま階段で陸橋を降りれば入り口のようだが、物販会場は外にあるらしい。陸橋はアリーナの周囲をぐるりと回っているらしく、入り口を見送ってふたりはプラカードに従いてくてくと歩み続ける。前後にはちらほらと同じ目的を有していると思われる女性たちの姿があり、壁の側面の切れる場所、つまり突き当りまで行くと、水色のジャンパーを着た別の会場スタッフが「←物販会場はこちらです」と書かれたプラカードを持って立っている。指示に従い左に曲がると階段があり、下ればちょうど入り口の反対側に位置するのだろう。会場の裏側には木々も植わっており、搬入口などの扉がある。この分なら物販会場にもすんなりと辿り着けそうですね。そう思っていた頃が、柳生にもあった。そうして見えてきた行列の最後には、やはりジャンパーを着た会場スタッフが「最後尾です」というプラカードを抱えながら懸命に呼びかけている。
「こちら物販会場への最後尾です! ただいまからお並びいただきましても、十二時の開演には間に合わない恐れがあります!」
思わずふたりは手首を返して時間を確認してしまった。駅からここまで徒歩十五分。現在の時刻は十時半。開場は十一時だが、開演は十二時。一時間半の猶予がある。それなのに今から並んでも開演に間に合わない物販って何だそれ。
「列は少しずつですがきちんと動いていますし、大丈夫そうな気もしますが・・・」
「平気じゃろ。スタッフは大袈裟に言うもんナリ」
眉を顰める柳生に対し、仁王は楽観的だ。そうしてふたりが列に並べば、後ろにはこれまた女性たちが連なってにょろにょろと行列は伸びていく。時折、ちょこっと列は前へと進み、そして止まり、少しするとまた進みを繰り返し、決して止まり続けることはない。少しずつではあるが確実に進んでおり、やはり杞憂でしたか。そう思っていた時が柳生にもあった。しかしそれは、進めど先の見えない列への幕開けでしかなかった。
横浜アリーナは四角形をしている。長方形を想像してほしい。手前の一辺が入り口だとすると、物販会場はどうやら左の辺に位置するようだ。そして仁王と柳生が並び始めたのが入り口と並行な奥の辺。ならば角を曲がればすぐに物販じゃないかと思われがちだが、それが違う。角を曲がる際に階段を上り、列はずーっと進み、それが壁面の端まで行き着いたら今度は階段を降りて戻るのである。一階に降りたら降りたで小刻みな蛇腹が続く。つまり物販会場は、やはり長く長い行列の先、遠くに位置しているらしいのだ。少なくとも柳生と仁王の位置からでは、テントの影も形も見えない。列はちょこっと進む。止まる。ちょこっと進む。止まる。さりとて先は見えない。前後の女性たちはこれから観劇するテニミュの話題で盛り上がっているが、柳生と仁王にはそこまでのテンションはなかった。もはや予想していなかった物販行列の長さに閉口しており、さっさと諦めた柳生は鞄から文庫本を取り出して読み始める。そうなると暇なのが仁王である。
「やーぎゅ、しりとりするぜよ」
「立ったまま寝ていてくださって結構ですよ」
「俺からいくナリ。におうまさはる」
「またあなたは勝手に・・・。Rookie」
「き? い?」
「それでは、きで」
「きりはらあかや」
「やなぎれんじ」
「充電完了」
「ウンディーネ」
「NEXT」
「トークタイム〜仁王の狙いは三強入り?〜」
「リズムに乗るぜ」
「絶頂」
「うちむらきょうすけ」
「ケビン・スミス」
「ステキ愛しのリョーマ様」
「マムシ」
「しんけん中学生だばぁ?」
「あ? ば?」
「ば」
「バックハンド」
「ドンドンドドドン四天宝寺」
「自問自答」
「ウス」
「スピードスター。たでお願いします」
「タンホイザーサーブ」
「ブーメランスネイク」
「苦労をかける」
「実際に今かけられていますよ。ルドルフ」
「福士ミチル」
「ルーキー」
「今度はいじゃな。いってよし」
「死んでこい河村」
「ラッキー千石」
「COOLドライブ」
そんなこんなしている間にも列はちまちまと進んでいく。仁王が手持無沙汰そうだったので、柳生は鞄から取り出したキシリトールのガムをひとつ渡した。もにゅもにゅと仁王が咀嚼し始めると、開場を知らせる放送が流れる。立海の他の面子は今頃ようやく新横浜駅の改札口で待ち合わせをしているのだろう。仁王がこうして物販に並んでいるのはじゃんけんで負けたからに他ならず、柳生はそんなダブルスパートナーに巻き込まれたに過ぎない。それにしても列は進むくせに終わりが見えない。ちょっとばかし道を外れて陸橋から下を見下ろしてみれば、物販会場は駐車場を利用しているようだった。テントがいくつも設置され、そこはあたかもドッグランである。係員の誘導によって一定数の犬、違った客が会場内に放たれ、それぞれお目当てのグッズをめがけて列を形成していく。それが捌けたころに新たな犬、違った客たちが投入されるを繰り返しており、なるほど、と仁王は納得した。それにしたって列はまだまだ続いており、スタッフの「開演には間に合わない可能性があります」が徐々に現実味を帯びてきている。仁王のG-SHOCKは十一時二十分を刻んだ。
「仁王君、チラシがあるようですよ」
陸橋の突き当り、ようやく下りの階段となった手摺りの上に、黒を基調としたA3サイズのチラシが置いてあった。取ってください、と柳生に言われるがままに、仁王は二枚摘まんで手元に引き寄せる。ぴらぴらの紙はやはりドリライのグッズ一覧だった。会場限定オリジナルグッズ。数量限定の文字が「おまえらさっさと買わないとなくなるぜふふふ」と行列を嘲笑っているかのようだ。
駅から歩いてくる際にちらほらと見かけた不織布バッグは、どうやらドリームセットの一部らしい。パンフレットとポスターとペンライト、そしてバッグがついて三千二百円。ばら売りのパンフレットが千八百円、ポスターが五百円、ペンライトことドリームライト2011が九百円であることを踏まえれば、なるほどバッグは完全に無料配布である。マフラータオルは自宅で使う分には問題ないが、シリコンリストバンドはどう使えば良いのだろうか。学校カラーで、青学が青、不動峰が黒、山吹は黄緑、氷帝は水色。ルドルフは写真の色合いが微妙で、緑なんだか茶色なんだかいまいち判断が付きかねる。んー、と仁王は首を傾げた。
「このリストバンド、光るわけでもなさそうに、一体何に使えばいいんじゃ?」
「ジャムの固い蓋を開けるのに便利そうですね」
「おまんのコメントはいつもどっか可笑しいナリ。フォトアルバムもついに出たのう」
「生写真はソロがキャラクターアップショット、ステージショット、休日ショット、稽古場ショットの四枚組で六百円ですか。学校のチームセットで買うとカレンダーがついてくるんですね」
「カレンダーだけ売ればいいのに、あこぎな商売してるぜよ」
「立派な商法ですよ」
「蔵出しアイテムも充実しとるのう」
「私たちが買うのはペンライト八本ですか・・・。数量限定ですし、売り切れないことを祈るのみですね」
階段を下るとようやく物販会場が見えてきた。今度は短い間隔で蛇腹になっており、ごちゃっとした人混みの向こうにテントが見える。この時点で残り時間はすでに三十分を切っていた。すみません、とふたりの後ろに並んでいた女性が近くのスタッフに声をかける。
「あの、もう会場に入りたいんで列を抜けたいんですが」
「分かりました。ではこちらからどうぞ」
紐でぐるぐると結ばれている柵の一部を解いてスタッフが案内すると、近くの列から「私も」と二・三人の女性たちが名乗り出てくる。ここまで並んだのに勿体ないと思わなくもないが、この先の蛇腹に巻き込まれたら抜け出せないと考えたのだろう。今も刻一刻と開演時間は近づいてきている。列は確かに進んでいるが、目に見えなかった頃よりも遅く感じるのはどうしてだろう。目の前に物販会場があるのに、届かない。じりじりと焦燥が仁王と柳生を襲い始めた。ふたりの目的はペンライトである。これはチームメイトの分も含まれており、にこ、と微笑む幸村の姿が目に浮かぶ。買って来てって言ったよね。俺に百均のペンライトを振らせる気? 笑んでお怒りになる幸村の姿が目に浮かび、ぞっとふたりは背筋を震わせた。
「遅刻した仁王君の責任ですからね・・・。私は知りません」
「冷たいこと言うんじゃなか。柳生、俺らは一心同体じゃろ? ラブルスぜよ。俺のダメージ、おまえに委ねるナリ」
「仁王君こそ私のことを守って手足になってくださって結構ですよ」
「どんなピンチのときもふたりで限界を超えていくのがゴールデンペアじゃ」
「詐欺紳士と呼ばれている私たちですけれどね」
列は進んでいるのだが、時計の針も止まらずに進んでいる。これはもはやどっちが早いかという競争になってきた。すでに十一時四十分を回ろうとしている。突然柳生のコートのポケットが震え出し、ふたりは揃ってびくっと肩を震わせてしまった。恐る恐る取り出した携帯電話の液晶画面は、柳蓮二の名を表示している。少しばかり安堵して、柳生は通話ボタンを押した。横から仁王が会話を聞くべく顔を寄せてくる。
「はい、柳生です」
『比呂士か? 柳だが、今どこにいる?』
「すみません、まだ物販に並んでいます。もうすぐ買えるところまでは来ているんですが」
『仁王も一緒か?』
「はい」
『物販会場から座席まで、おまえたちが全力で走れば手荷物検査などを含めても三分あれば十分だろう。よって十一時五十七分になったらペンライトが買えなくても物販会場を出ろ』
「ですが、それでは皆さんに対して申し訳なく」
『気にしなくていいよ。確かにペンライトは記念に欲しいけど、みんなで振れるなら百均のだって構わないんだから』
柳の声が柔らかな幸村のそれに代わり、穏やかに許可が告げられる。テニスコートに立っている姿だけを思い起こせば先の微笑んでお怒りになる幸村が浮かぶのだが、テニスを離れた彼は非常に柔和な性格をしている。せっかくチケットが取れたんだから、最初からみんなで観ようよ。ペンライトなんていいからさ。大きな器を見せてくれる幸村は、やはりさすが立海を纏めている部長だ。
「分かりました。五十七分になったら席に向かいます」
『ああ、待っている。気を付けて来い』
「ありがとうございます。それでは、また後で」
柳に戻った電話口の向こうはざわざわとしており、会場内の熱気がここまで伝わってくるようだ。怒ってなかったのう、と安堵して胸を撫で下ろした仁王に、良かったですね、と柳生は笑って携帯電話をポケットに入れる。そうこうしているうちに、ようやく最前列まで辿り着いた。目の前にはドッグラン、否、物販会場が広がっている。スタッフが柵で区切っているが、並んでいるテントがようやくふたりの目にも明らかになった。テントは左から、蔵出しアイテム、各校別生写真、アルバムとマフラータオルとリストバンド、そしてドリームセットとパンフレットとポスターとペンライトに分かれている。言わずもがな、一番長蛇の列を作成しているのは右端のドリームセット他のテントである。どう考えたってドリームセットとパンフレットとペンライトは人気の商品だから分けるべきだろうに。
そうしてついに、ふたりの前でスタッフが柵を退けた。しかし走って行けないほどにペンライトのテントには行列が出来ている。何だかんだ言いつつ相変わらず列に並び、仁王は腕時計を確認して舌打ちした。ただいまの時刻、十一時四十五分。列を確認する。前に並んでいるのは十五人。ひとり一分かかっていたら間に合わない。ここまで来たら売り子の客捌きが神がかりであることを祈るしかない。チケットをすぐに取り出せるよう鞄のポケットに移し、仁王は財布を準備した。隣では別の列に並んだ柳生がペンライト四本分、つまり三千六百円を釣り銭の無いよう用意している。
「仁王君、買い終わったら物販会場の出口で」
「了解じゃ」
そこからはもはや忍耐との戦いだった。列は進んでいるのに進んでいないと思えるほど遅く感じた。ペンライトの黄色いテープは剥がさないでください会場内に入る前にちゃんと点くか確認してください。そんな注意事項なんていちいち説明しなくてもどこかにでかでかと掲示しておけばいいだろうに。釣り銭もわざわざ数えなくてもいいだろう。もうここまで来たら切羽詰っていて「釣りはいらねぇよ!」と言い出す輩とていても可笑しくはない。代金を手に、仁王と柳生はじりじりと耐えた。ひたすらに耐え忍んだ。もはや時計は恐ろしくて見ることが出来ない。そうして前の客がドリームセットの白いバッグを手にして横に退き、売り子に辿り着いたのはふたり同時だった。
「「ペンライト四本ください!」」
相変わらず黄色いテープが何たらかんたら説明する売り子に適当な相槌を打ち、渡されたペンライトをがしっと掴んで仁王と柳生は列を抜けた。元旦の明治神宮のごとく混雑している列を抜け、空間に出たなら後はもう全力疾走。王者立海の名は伊達ではない。間違いなくこんなところで発揮されるために日々厳しい部活に明け暮れているわけではないが。
「急ぐぜよ、柳生!」
「もちろんです!」
ペンライトとチケットを握り締めてふたりは会場の入り口を目指して走った。それは開演が間近に迫った、十一時五十七分のことだった。
仁王先輩、柳生先輩、こっちこっちー!
2011年11月27日