(注意)
あくまで個人的見解ですので、イメージと異なりましてもどうか寛大にご容赦ください。






ドッペルゲンガー相違論





「確かに仁王と柳生は良く似ているが、当然ながら違う点も存在する」
部室でデータを纏めながら弁当を食べていた柳のところに、英語の宿題が分からないと泣き喚きながら赤也が転がり込んできた昼休み。どうにかこうにか宿題の範囲を攻略し、ようやく赤也が昼食にありつけた頃だった。話の切っ掛けが何だったのかはすでに朧だが、確か部室に来る前に仁王と柳生を見たと赤也が言ったことだった気がする。あのふたり、いつでも一緒なんすね、と当のふたりからしてみれば若干「そういうわけじゃない」と眉を顰められることを赤也はのほほんと言っていた。そうして、ふむ、と顎を撫でた柳により、立海が誇る無敗ダブルス講座が始まったのである。
「例えば赤也。おまえは仁王が柳生に、柳生が仁王に化けたとき、どちらがより正確に入れ替われると思う?」
ちなみに仁王はイリュージョンを使わないという前提でだ。問われて、赤也はたこさんウィンナーをもぐもぐと飲み込んでから答える。
「そりゃあ仁王先輩じゃないっすか? 他人に成り変わるのは仁王先輩の得意技なわけだし」
「おまえがそう答える確率は九十四パーセント。だが、残念なことに正解は柳生だ。仁王が柳生に化けるよりも、柳生が仁王を演じる方が、より本物の仁王に近くなる」
「そうなんすか?」
「ああ。これは仁王と柳生の本質的な差異によるものだ」
水筒からほうじ茶を注ぐ柳は相変わらず格好いいと赤也は思う。同じことを真田がやった場合、渋いというか相変わらずおっさんぽいと思ってしまうのだが、今は仁王と柳生の話だ。
「ふたりの差を分かりやすく表現しているもののひとつが、勝負と勝敗に対する姿勢だな。赤也、おまえは何だったら仁王に『絶対に勝つ』自信がある?」
「へ? 俺が仁王先輩に勝てるものっすか?」
「そうだ」
「えーと・・・勉強、は、無理だし。運動! ・・・ならいいとこ行くだろうけど、絶対とは言い切れねぇし。身長も負けてっし、あー・・・」
「仁王はあれでいてオールマイティな男だから無理もない」
「いやいや待ってくださいよ! 俺だってひとつくらい・・・あっ! ゲームなら勝てるっす! 格ゲーなら絶対!」
「確かに、仁王はゲーム機を持っていないから赤也の勝利は固いな」
「でしょ!?」
にっと嬉しそうに笑う後輩に、柳はおまえはもうちょっと色々と頑張りなさい、などと考えつつも口には出さない。
「もしも今ここにゲーム機があったとする」
「部室にっすか?」
あの真田がいる限りそれはないだろうと考えたのが伝わったのだろう。話は最後まで聞きなさいと窘めて、柳は続ける。
「もしも今ここにゲーム機とテレビと配線コードとゲームソフトがあったとする」
「はぁ」
「昼休みは残り時間がたくさんある。おまえは対戦ゲームがしたい。しかし部室には赤也と仁王しかいない。ならばおまえはこう言うだろう。『仁王先輩、俺と対戦しましょうよ!』と」
「そりゃ言うと思いますけど」
「さて、ここで先ほどの前提に戻る。赤也と仁王では、ゲームで対戦した際に仁王の負けが九十六パーセントの確率で確定している。おまえは仁王が、おまえの提案を受けてゲームに乗ってくれると思うか?」
少しばかり赤也は相槌を打つことを忘れ、その場面を想像してみた。部室に置かれる日は決して来ないだろうゲーム機を前に、仁王をゲームに誘う自分。コントローラーを差し出して、やりましょーよ、と訴える自分の姿は簡単に思い浮かべられる。では、そのときの仁王はというと。
「仁王は九十九パーセントの確率で、おまえとの対戦を受けない。何故か? これが仁王と柳生の差だ。仁王は、負ける勝負は絶対にしない」
水筒の蓋を湯飲み代わりにして、柳はのんびりとほうじ茶を飲む。赤也の脳裏にも、面倒じゃけぇお断りじゃ、と交わす仁王の姿がぽんと浮かんだ。
「仁王は、自分が負けると分かっている勝負は決して受けない。丸井やジャッカルを呼び出すなり何なりして矛先を交わし、最終的に自分は勝負の舞台に立たない形を作り出す。負けると分かっている場合、仁王は限りなく百パーセントに近い確率でそうする。『自分が負けるから勝負を受けない』ということを相手に悟られないよう力を注ぎ、その場から姿を消す。それが仁王のやり方だ」
「・・・そうかも」
思わず赤也は納得の呟きを漏らしてしまった。柳の言っていることは、よくよく思い返せば普段の仁王の行動を実に分かりやすく理由付けしている。赤也は仁王が苦手なもの、所謂弱みを晒す場面を見たことがない。それは苦手なものがないのではなく、苦手なものをそうとは悟らせないように上手く避けているからなのか。なるほど、と赤也は深く頷いた。柳の言葉は、とても見事に仁王を表現している。
「一方柳生はどうかというと、まず奴はおまえの宿題や昼食がちゃんと済んでいるかを確認し、そして自分にも特別用事がなければ、おまえの申し出に付き合ってくれるだろう。さて赤也、おまえは柳生にゲームで勝てるか?」
「もちろんっす!」
「だろうな。柳生もゲーム機を所持していないしゲームセンターに好き好んで行くタイプでもない。だが、それでも柳生はおまえの暇潰しに付き合ってくれるだろう。自分が負けると分かっていてもだ。ここに仁王と柳生の大きな違いがある」
「柳生先輩は、負けても構わないってことっすか?」
「若干違うな。仁王はどんな些細な事柄でも自分が負けることを失態だと感じるが、柳生は自分が重きを置いていない事柄での敗北をさして重要視しない。つまり乱暴な言い方をすれば『どうてもいいことの勝敗なんてどうでもいい』、あるいは『興味がない』んだ」
赤也の脳裏に、柳生の姿がぽんっと浮かぶ。仁王と同じく、赤也は柳生が困っている様子を見た記憶がほとんどない。しかし彼は他人に譲ることも案外多い。例えば仁王が何か我儘を言った場合だとか、幸村が笑顔で押し通そうとしているときとか。眼鏡を押し上げて浅く溜息を吐く姿は見慣れたものであり、あれも柳生からしてみれば大したことではないのかもしれない。えええ、と赤也は頬を引き攣らせてしまった。
「だが、柳生の恐ろしさはこの後だ。休み時間が終わり、勝つゲームばかりで楽しかったおまえは柳生に『放課後もまた対戦しましょうね!』と言う」
「いや、放課後はちゃんと部活しますって」
「雨だと仮定しよう。そうして約三時間後、再び赤也と柳生が対戦したとすると、その勝率は激変している可能性が限りなく高い。柳生は少なくとも二回に一度の確率で、おまえから勝利をもぎ取るだろう。これが柳生比呂士という男の恐ろしい点だ」
「え! な、何でっすか!?」
得意のゲームで負けるなんて有り得ないと訴える赤也に、弁当を食べながら聞け、と柳は止まっていた箸を進めるように促す。今更その存在を思い出し、赤也は慌ててコロッケへと箸を突き刺した。行儀が悪い、とお小言が降ってくるのには慣れたものである。
「柳生は例えどうでもいいことであろうと、敗北をそのままにしておくほど甘い男ではない。午後の三時間の間に、奴はクラスメイトに聞き込みを入れ、どうすれば勝てるのか教えを乞うだろう。優等生である柳生がゲームの話をすれば、意外だと思いつつも親切に教えてくれるクラスメイトは後を絶たないに違いない。そして柳生は教えを乞うことに抵抗を覚える性質ではないし、それに奴にはあの観察眼がある」
クラスで同級生たちに囲まれ、コマンドを教わっている柳生の姿がぽんっとまたしても赤也の想像に浮かぶ。授業中にイメージトレーニングを繰り返すのだろうか。その一方で板書を取る手は決して休めないのだろうなぁと赤也は思う。
「昼休みの負けっぱなしのゲームの最中も、柳生はおまえの手の動きをつぶさに観察しているはずだ。そしてコマンドを覚え、ゲームの組み立てを知った柳生が負けるわけがない。極短時間で勝利への道を組み立てる、それが柳生だ。一度目は敗北してもいい、だがそこから学び、再びの勝負で勝ちを掴んでこそ物事は終結する。この考え方が柳生が仁王と大きく違うところだな。柳生は敗北を恥じない。敗北し続けることこそ恥だと考える人間だ」
もにょ、もにょ、もにょ。かまぼこを噛み砕きながら、赤也は思わずへにゃりと眉を下げてしまった。またしても柳の言っていることが、まさに柳生そのものを表現しているようだったからだ。あの清廉潔白を絵に描いたよう先輩が、それだけの人ではないのだと知っている。優等生なのに決してぶれない芯を有しており、そこに第三者の介入できる余地はない。優しくも厳しく、そして努力の人なのだ。間違いなく赤也の尊敬する先輩のひとりである。
「さて、ここで話は仁王に戻る。仁王は負ける勝負はしない。もしもおまえに『じゃあ放課後に対戦しましょうね! 絶対っすよ!』と言われた場合、仁王はどうすると思う?」
「えー・・・逃げるんじゃないすか?」
「だが、逃げたとしてもそれがその場しのぎでしかない。赤也のしつこさは仁王も分かっているだろうし、そうすると奴は一回だけ勝負をしてさっさと終わらせようと考えるに違いない。そうして放課後までの約三時間、仁王はどう過ごすと思う?」
先程の、柳生ならクラスメイトに教えを乞うた時間だ。仁王ならどうするだろうか。赤也には真っ白なノートと教科書を申し訳程度に開き、教師の授業を右から左に流している仁王の図しか想像できない。素直にそう答えれば、あながち間違いではないな、と柳も肯定してくれる。
「約三時間の間に、仁王は『どうやって赤也を負かすか』を考えるだろう。ここでポイントなのは、先程の柳生が『勝つための知識』を集めたのに対し、仁王は『負かすための方法』を考えるということだ。仁王は自分が勝てないことを理解している。ならば赤也、おまえに負けさせればいいと思考を変える」
「俺に負けさせる? どうやってっすか?」
「簡単だ。対戦中に精神的な揺さぶりをかけて、おまえの自滅を誘えばいい」
実にあっさりと柳は言ってのけたが、コントローラーを握っている自分が隣に並ぶ仁王に容易く翻弄されている様が、赤也には本当に本当に本当に簡単に想像できた。それこそテニスの試合よりも簡単に、仁王は赤也にミスさせることが出来るだろう。しかも赤也が勝利まであと僅かと喜んでいるところで酷い自滅を促しそうだ。ひでぇ、仁王先輩。想像だというのに余りにリアルすぎて赤也の顔が情けなく歪む。
「そうして負けたおまえは『今のはずるいっすよ! 仁王先輩、もう一回!』と言う」
「そりゃ言うっすよ!」
「仁王はこう答える。『そうじゃのう、赤也が幸村に勝てるようになったら再戦してやるぜよ』と」
「・・・幸村部長っすか。何か、あの、勝てる気がしないんですけど」
「精市もゲームは所持していないぞ? まぁ、例えどんな分野でも負けないのが幸村精市という男だが」
「う・・・。いや、もうそればいいっす。話の続きを」
「とにかくこうして有耶無耶にされ、おまえの中にはこういったイメージだけが残る。手段はともかく自分に勝利したのだから、『仁王先輩はゲームが出来る』と。結構強い、と。それこそが仁王の狙った成果であることは一目瞭然だ。仁王は負ける勝負をしない。負ける勝負をしなくてはいけない場合でも、如何に相手に負けさせ、真剣な結果にならないよう煙に巻くかを考える。つまり仁王は勝てる勝負しかしない。これが仁王と柳生の大きな差だ」
ごくん、と最後の白米の一口を呑み込み、赤也はそのままに頷いた。弁当箱を閉じてペットボトルの蓋を捻る。コーラで潤した喉は何だか少しだけひりひりしたけれども、柳の話は十分すぎるほどの説得力に満ちていた。似ている似ていると思っていた仁王と柳生の性格だが、実はこんなところに違いがあったらしい。すげぇ、と赤也は思わず感嘆してしまった。柳も水筒の蓋をくるくると閉める。
「話は最初に戻るが、以上の考えの違いにより、敗北を認めない仁王と、敗北を良しとする柳生では、柳生の方が広義的なものの考え方をすることが出来る。つまり柳生の見解は仁王の『敗北を認めない』という考えをカバーすることが出来るが、仁王が柳生の振りをして一時でも敗北を認めることは、例え振りであろうとそれなりの苦痛を仁王に与える。故に、仁王が柳生に化けるよりも、柳生が仁王を演じる方が無理がないという結論になる」
「へー・・・。何かすごいっすね」
「そうだな。そしてこの差異は、柳生よりも仁王の方が痛感しているだろう。だからこそ仁王は柳生が好きで、嫌いで、憎んでいて、羨ましくて、愛しているからこそ、苦痛を感じても柳生に成りたがる。柳生は柳生で型破りなパフォーマンスを見せる仁王を好んでいるから、あれはどっこいどっこいのダブルスペアだな。難儀なことだ」
弁当箱と何冊かのファイルが入ったエコバッグに水筒を収める柳を見て、赤也は慌てて時計を見上げる。気づけば昼休みは残り五分近くになっており、もうすぐに予鈴が鳴るだろう。立ち上がる柳に置いていかれないよう、赤也も慌てて弁当と英語の宿題を鞄に詰め込んだ。
「柳先輩、今の話面白かったっす! 今度は丸井先輩とジャッカル先輩のも聞かせてください!」
「聞いてどうする?」
「だって何か楽しいじゃないすか。先輩たちのことを知れるのって」
部室の鍵をかけながら寄越された問いに赤也が素直に答えれば、よしよしと頭を撫でられる。また今度だな、とは了承の答えだろう。約束っすよ、と赤也は笑顔で強請った。そして頭の隅っこで少しばかり画策する。今度プレステは無理でもDSを持ち込んでみよう、と。今の柳の話が本当かどうか是非とも試してみたい。そのためには副部長である真田に見つからないようにしなくては。「学校に遊び道具を持ち込むなどたるんどる!」と怒鳴る真田の様子が簡単に予想出来、赤也は思わず身を竦めながら前を行く柳の背を追った。





結論:D1はお互い様なダブルスペアである。
2011年10月23日