U-17選抜合宿のとある夜。食堂の隅にて、柳蓮二はのんびりと文庫本を開いていた。日中は厳しいトレーニングを課されているけれども、夜にはそれなりの自由時間を与えられている。精神的な余裕を持たせることで更なる練習の効率化を図っているのだろう。さすがだな、と思う柳は今はひとりだ。騒がしいのも良いが、たまにはひとりで静かな時間を過ごしたくなる。ぱらり、ページをめくれば、青学の大石から借りたファンタジー小説は自分から好んで読むことがない類のものだが存外に面白い。これがコミュニケーションの利点だな、と柳が緑茶の湯飲みに手を伸ばしたところで、新たな声が食堂にやってきた。観葉植物のせいで姿は見えないが声だけで分かる。この合宿の最年少参加者、リョーマと金太郎と蔵兎座だ。彼らは夕食も済んだというのに、カウンターで何やら注文している。そうしてそれぞれトレーを手にして、柳からふたつ離れたテーブルへと腰を落ち着けた。やはり観葉植物が邪魔をしているのか、彼らは柳に気づいていないらしい。
「「「いただきます」」」
ぱん、と手を合わせて挨拶する一年生たち。可愛いな、と柳は思わず笑ってしまった。
宇宙人とはないちもんめ
もきゅもきゅもきゅもきゅ。歳がふたつ違うだけでこんなにも食欲に差が出るのだろうか。いやいや彼らはまだ小さいから成長するためにより多くのエネルギーを得ようとしているのかもしれない。身長百八十六センチメートルの蔵兎座には当てはまらないことを考えつつ、柳は観葉植物の合間から一年生トリオの様子を観察する。もきゅ。金太郎がたこ焼きで頬を膨らませ、それでも器用に会話を始めた。
「せやったらワイからやな!」
「Wait. 前提は何デスカ? 勝つことデスカ?」
「それじゃつまんないじゃん。完全に趣味でいいんじゃないの?」
「好きなやつっちゅーことやろ? めちゃめちゃでええやん! ほな、ワイは銀や! 銀のパワーは日本一やでぇ!」
ごくん。大きく喉を鳴らして金太郎がチームメイトの名を挙げた。スプーンをパフェに突き刺して、チョコチップと苺のジェラート、生クリームにぱくんと食いつき、リョーマはぺろりと自身の唇を舐め上げる。
「俺は柳さん。データマンがひとりは欲しいしね」
自身を指名され、ん? と柳は首を傾げる。しゃりしゃりしゃりしゃり、とコーンフレークを咀嚼しているのだろうリョーマに対し、蔵兎座が尋ねる。
「青学にもDatamanがいまセンカ?」
「ああ、乾先輩ね。確かに先輩も凄腕のデータマンだけど、変な汁がついてくるからやだ」
「ワイ知っとるで、乾汁っちゅーやつやろ? 白石は健康に良さそうやっちゅーてたけど」
「あれ飲めたら白石さんも人外だよ。っていうか柳さん、いいじゃん。データマンだしシングルスもダブルスも強いし、お買い得だと思うんだけど」
何やら褒められている。多分。直接的ではない分、リョーマの評価はきっと彼の本心なのだろう。立海の三強として周囲に誉めそやされることが少なからずある柳だが、相手が同じテニスプレイヤーであると話はまた違ってくる。特にリョーマは、あの幸村を倒した実質現在の中学最強プレイヤーだ。余り関わったことがないけれども、そのリョーマが自分をちゃんと見ていてくれている。そのことが何だかこそばゆくて、柳は小さく頬を掻いた。文庫本のページに栞を挟む。
それにしても彼らは何を話しているのだろう。金太郎は銀の名を挙げ、リョーマは自分を指名してきた。善哉をフォークで食べているらしい蔵兎座は、ワタシは、と餅を噛み切って続ける。
「ワタシは切原さんデス」
「ああ、全国で負けたんだっけ?」
「・・・次は勝ちマス」
「その意気やで。同じ相手に負けたらつまらへんしなぁ」
そして蔵兎座は柳の後輩、赤也の名を口にする。んん? 柳は首を傾げ、ジャージのポケットからメモ帳とペンを取り出した。これは彼が常に携帯しているセットだ。基本的に柳は幼馴染である乾と異なり、常にノートにメモを取るという形でデータ収集をしない。その場で記憶し、後で整理しながら記録に残す。それが柳のデータ処理方法なのだが、今は余裕があるので同時に記録することにした。メモ帳にペンを走らせ、一ページを縦に三分割する。一番上に金太郎、リョーマ、蔵兎座の名を書き、その下にそれぞれ彼らの挙げた選手を記す。金太郎と銀は四天宝寺中のチームメイトであり、蔵兎座と赤也は対戦したという因縁がある。けれど自分とリョーマの間にめぼしい関係性はなく、一括した条件を認められず、柳はペンを唇へと押し当てた。その間も一年生たちの話は続いていく。
「じゃあ二人目。遠山は?」
「ワイはコシマエと同じ学校の・・・えーっと、河村! ・・・やったっけ?」
「合ってるよ。河村先輩ね」
「ワタシ、キンタロが何で選んでるのか分かった気がシマス」
「俺も分かった。単純すぎ」
「ええやんかー。コシマエは?」
「幸村さん。俺、あの人のテニス好きなんだよね」
「コシマエおかしい!」
「I agree. リョーマは変デス」
「そう? だって幸村さんって最強じゃん。勝つための覚悟とか、テニスへの執着心とか、女みたいな顔してるのに中身は男らしいし、凄い人だと思うよ」
まぁその幸村さんに勝った俺こそ凄いのかもしれないけど? 観葉植物の葉の合間から、にやりと笑うリョーマが見える。メモ帳に幸村の名を書き込みつつ、柳はその前にぐるぐるの花丸をつけてやった。生意気だ何だと言いつつ自分を下したリョーマを気にしている幸村にこの会話を聞かせてやりたい。きっとむっとした顔をして、それでも僅かに頬を染めて人知れず評価を喜ぶのだろう。もしかしたら軽くスキップくらいするかもしれない。良い傾向だと柳は思う。幸村がリョーマをライバル視しているのは、近くにいる身として十分に理解しているのだ。
「ワタシは柳生さんにシマス」
「英語が喋れるから?」
「それもアリマスが、柳生さんはプレイヤーとしても優れてイマス。ゲームメイクがとても巧みデス」
「あれやろ? やぎゅーって仁王にそっくりのやつやろ? 仁王よりも性格が悪かったらおもろそうやけどなぁ」
金太郎がからからと笑っているが、柳は心中でもその評価にコメントは差し控えた。仁王と柳生を並べたとき、どちらの性格が悪いかと言えばそれはもちろん仁王なのだが、どちらの性格に難があるかと問われた場合は若干柳生に軍配が上がる。もちろんこれは内輪での話だが、あの紳士は伊達に詐欺師のパートナーを務めてきたわけではないのだ。
さてさて、一年生トリオはそれぞれふたりの選手の名を挙げた。ふむ、と柳はメモ帳を眺めて検討をつける。先ほど蔵兎座とリョーマが「金太郎が何を基準に選んでいるのか分かった」と言った。ならばやはりこれは、何らかの前提を持って名を並べられているのだろう。それぞれにコメントを返しているところからも、三人が三人個人で選んでいることは間違いない。
「せやったら、ワイの次は樺地や!」
まぁとにかくとりあえず、善哉を食べている蔵兎座にスプーンを差し出してやったらどうだと柳は思う。流石にフォークであずきを掬うのは難しいだろう。しかしリョーマが溜息を吐き出したことで、柳は彼らが何をしているのかようやく理解することが出来た。
「っていうか遠山、そんなにパワープレイヤーばっかり集めてどうすんの?」
「ええやん。好きな選手を集めてええんやろ? 『自分でチームを作るなら』っちゅーたのはコシマエやんか」
なるほど。柳は納得した。彼らはロールプレイングゲームのパーティーを作成するかのごとく、自分のドリームチームを作り合っているらしい。被った名前がないところを見ると、先に取られた選手を選ぶことは出来ないのだろう。だからこその最初の「前提は何デスカ?」であって、「完全に趣味」で「好きなやつ」ばかりを集めているのか。だとすると金太郎が挙げたのは銀と河村と樺地、確かにリョーマが指摘した通りパワー自慢のプレイヤーばかりである。
「じゃあダブルス要員に、氷帝の宍戸さんと鳳さんをセットで」
「コシマエ、ふたりも指名するんはずるいで!」
「だってダブルスだし仕方ないじゃん。シングルスで強い人同士を組ませても、根っからのダブルス向きには勝てないだろうし」
「Ah, リョーマみたいなtypeのことデスネ」
「遠山みたいなタイプのことだよ」
「蔵兎座みたいなやつのことやな!」
仲が良くてもライバルらしい。微笑ましいな、と柳はほのぼのと唇を緩めてしまった。自分と幸村と真田も確かに三強と呼ばれるトリオだが、その中では一に幸村、二に真田、そして三に自分という確固とした実力の優劣が存在している。参謀としての能力を自負し、その立場を楽しんでいる柳にとって苦ではないが、今目の前で繰り広げられている正三角形のような関係も少し羨ましい。俺と貞治と観月でトライアングルを形成しようか、と柳は考え、そういえば四天宝寺の金色小春もデータマンだったと思い返す。正四角形も悪くはないな、と柳はコミュニケーションの輪を広げることを決めた。
「デハ、ワタシは大石さんと菊丸さんデ」
「青学のダブルスやろ? コシマエええの? 先輩取られてもうたで?」
「いいよ。大石先輩たちが強いのは知ってるけど、あのふたりに対抗できると思ったから宍戸さんと鳳さんを取ったんだし」
「キンタロもふたり選んでクダサイ」
「せやったら比嘉のやつ! 焼肉でめっちゃ食うとった、えーと・・・」
「田仁志さん?」
「多分そいつ! 後は・・・鬼のおっちゃんはあかんの?」
「駄目。高校生は無し」
「んー・・・ほな真田のおっちゃん? ちょお弱いかもしれへんけど、最低限パワーは持っとるみたいやしな」
おっちゃんと呼ばれてしまったことを親友として笑えばいいのか、あれだけの筋力を要していながらも「ちょっと弱い」と言われてしまったことをチームメイトとして憤ればいいのか。柳には分からない。けれど反射的に口を掌で押さえた彼は前者の割合が高かったのだろう。思わず笑い声が漏れてしまいそうで、柳は必死に冷静になるように自身に命じた。気づかれたらこの会話はきっと終わってしまう。これほど彼らの好みを知る話もそうはない。耐えるんだ蓮二。常に冷静なデータマンの根性で、柳は姿勢を持ち直した。
メモ帳を見つめて整理してみる。今のところ、金太郎が獲得したのが銀、河村、樺地、田仁志、真田。リョーマが柳、幸村、宍戸、鳳。蔵兎座が赤也、柳生、大石、菊丸。話している三人の性格を鑑みれば、自分たちがメンバーに入っていないということは有り得ない。それこそ確率は一桁だ。ということはダブルス二組、シングルス三名の合計七人と考えると、残りはそれぞれ金太郎が一人、リョーマと蔵兎座が二人ずつか。誰を選ぶのかと柳はペンをくるりと回して聞き耳を立てる。それにしても越前、おまえはその細い身体のどこにそんな巨大なパフェが入るんだと訝しみながら。同じく遠山、おまえのそのたこ焼きは何皿目だと数えながら。更に同じく蔵兎座、結局フォークで善哉を最後まで食べ切ったのかと感心しながら。この子たちは宇宙人だな。柳は認識を新たにする。
「勝つためのチームなら跡部さんを選ぶけど、でもこれは遊びだし。だったら亜久津にシングルス3。ちなみに俺はシングルス1で、幸村さんがシングルス2ね」
「じゃあ、海堂さんでお願いシマス。柳生さんとダブルスを組んだらいいと思いマス」
「ああ、それ面白そう。っていうか遠山、おまえのチームってダブルス組めるの?」
「あみだくじで決めればええやん。四天宝寺はいつもそうやで?」
「アミダクジ?」
「It's an impromptu lottery. っていうか、誰か手塚部長を選んでよ。俺が対戦できないじゃん」
「キンタロは、白石さんは選ばないのデスカ?」
「えー? せやかて白石、パワー強うないやろ。せやからワイの最後はオモシロ! ワイがシングルス1で、銀がシングルス2やろ? 河村がシングルス3で、樺地と真田がダブルス1、田仁志とオモシロがダブルス2や!」
ある意味、完璧な布陣だな。完成した金太郎ドリームチームに柳は素直に感嘆した。純粋なパワーを打ち破るのは難しい。銀や河村に対抗できる輩が果たして何人いるだろう。幸村が真田の「雷」をラケットの柄で返すような、そういった特殊な技術でも持たない限り打ち破るのは不可能だ。これはこれで有りだな、と柳は金太郎の選択を褒め称えた。いやしかし相当に偏っていることは否めないけれども。
「うーん・・・柳さんとダブルス組む人ね。柳さんなら誰にでも合わせられるだろうけど、あの人それで損してそうだし。でも乾先輩と組ませてもデータ過ぎて面白くないし」
「相手に合わせて何がおもろいんやろうなぁ?」
「柳さんがそれで楽しいならいいけど、でもそれがダブルスの醍醐味なら俺はずっとシングルスでいい」
ふむ、俺はこんな風に思われているのか。新鮮な面持ちで柳はリョーマと金太郎の会話を受け止めた。誰でも合わせられるがために、おまえ自身の個性が見えない。そういった評価は言葉は違えど度々受けてきた。しかし柳自身は「誰にでも合わせられる」ことこそが自分の個性だと考えている。ダブルスは如何にパートナーとの齟齬を失くすかが焦点となる。パートナーを自由にさせつつ、自分がどれだけパートナーを動かし掌で転がすことが出来るか。それこそが柳のダブルスの楽しみ方なので、損をしているつもりはないのだが。他人から聞く自分の評価とは面白いな、と柳は不愉快になることなく逆に笑った。
「じゃあ俺、最後は平古場さんにする」
「ひらこば?」
「比嘉の金髪の人。あの人も好き勝手なテニスするし、平古場さんと柳さんのダブルスとか面白そう。意地の張り合いになりそうだし?」
完成したリョーマセレクトのドリームチームは、リョーマと幸村と亜久津、宍戸と鳳、柳と平古場。なるほど、確かに面白いチームになりそうだと柳は思う。確かな勝利を見込めそうだし、その一方で相手を翻弄するテニスをしそうだ。宍戸と鳳は真面目だが、彼らも熱く勝利に執着する性質だ。美学のチームだな、と柳はリョーマのチームをそう評する。
「蔵兎座のチームはどうなん? シングルス1が蔵兎座やろ?」
「ハイ。切原さんがシングルス2、大石さんと菊丸さんがダブルス1、柳生さんと海堂さんがダブルス2デス」
「残りのシングルス3は?」
「木手さんにシマス。あの人の勝ちに拘るところは、とても良いと思いマス」
蔵兎座のドリームチームは、ここはここで一癖ありそうだ。蓋を開けたら何が出るか分からない、そんな柳生と海堂のダブルスだし、何より赤也だ。木手は搦め手であらゆる手段を用いそうだし、大石と菊丸には伝家の宝刀・シンクロがある。
しかしこうして完成した三チームを見てみると、何より選ばれそうな手塚や跡部、白石が入っていない。ここらへんに金太郎とリョーマと蔵兎座の「好き勝手な趣味」があるのだろう。勝ちたいのなら勝つ面子を揃えるけれども、遊びなら楽しむことが一番だ。これはこれで面白いゲームだな、と柳は感心しながら冷めてしまった緑茶を啜る。ふたつ離れたテーブルでは、いつの間にか話題は各自の好きなスイーツに変わっていた。先程までのドリームチームは何だったのか。きゃいきゃいと話す一年生たちは可愛らしく、まだ幼い。サーティーワンアイスクリームのメニューが空で言える彼らに、何となくジェネレーションギャップを感じながら柳はメモ帳を閉じた。
しかしまぁ何と言うか、お題を与えられたらそこから発展させたくなるのが柳蓮二という男の性である。なので彼は自室に戻り、それぞれのベッドに転がっていた同室者たちに問うてみた。
「さて、おまえたちならこの三チームが対戦したとき、どこが一番多く勝ち星を挙げると予想する?」
ぺらりと見せたメモ帳に視線をやる乾、観月、そして千歳。先を予測することに楽しみを見出している彼らとの討論に、柳のその晩は費やされるのだった。
勝つためのチームじゃないので、三人とも好き勝手。その後柳の部屋の四人はそれぞれデータとか出し合って真面目に勝敗を検討したと思われます。
2011年10月9日