新テニスの王子様六巻、U-17合宿一軍選手の発言より。
「門くらい開けに来てほしい」
→ 自分で開けろし。





自分で開けろし。





「・・・ちぜん! おいっ、起きろ越前!」
ごんっという音と共に後頭部に痛みを受けて、リョーマは心地良い睡眠から一転現実へと引き戻された。食堂のテーブルに突っ伏すようにして眠っていた身体を嫌々ながらに起こせば、手のひらをグーにしている桃城の姿が目に入る。痛いっす、と文句を言ってやろうとしたが、当の先輩の顔がやけに複雑な表情をしていてリョーマは首を傾げた。
「・・・何すか」
「分担決めてるんだよ。おまえも参加しろって」
「分担って何の」
「・・・一軍が帰ってきたときの門を開ける順番だよ」
「はあ? そんなの自分で開ければいいじゃん」
誰もが思っていても口にしなかった一言を言ってしまったことに、今の今まで寝ていたリョーマは気づかない。だが明確に食堂の空気は重くなったし、温度も下がった。気まずそうに頬を掻く入江がいるのを見て、寝る前までは中学生ばかりだった食堂に高校生たちまで揃っていることにリョーマは気づく。突き刺すように向けられる視線の方向を向けば、そこには革命軍とも二軍以下とも違う、一軍のジャージがあった。人数が二十人いることは知っているが、名前まで覚える気はない。くあ、と欠伸をして、リョーマは目尻に浮かんだ涙を拭う。
「俺、門を開けるためにこの合宿に参加したわけじゃないんで。そういうのはやりたい人がやればいいんじゃないすか」
「ば、馬鹿野郎、越前、おまえそれを言っちゃあ」
「桃先輩だってそうでしょ? 門なんか自分で開ければいいじゃん。それともひとりで開けらんないの? だったら開けに行ってあげてもいいけど」
意地悪く唇を吊り上げるリョーマが見ている先は桃城ではなく、食堂の一角を占める高校生たちだ。一番コートの高校生たちでさえざわりとさざめき、顔色を悪くさせている。寝ていて話の流れは知らないけれど、大体のことをリョーマは察した。海外遠征から帰ってきた一軍選手が、合宿所の門が開いていなくて酷くご立腹だったらしい。馬鹿じゃないの、と話を聞いたリョーマは鼻で笑ったが、どうやらそれを本人たちの目の前で披露しなくてはならないようだ。ねえどうなの、と返事を求めれば、一軍20の秋庭が表情に険を乗せて口を開く。
「一軍選手を出迎えるのは、おまたち二軍以下の義務だろう」
「ふーん、初めて知った。そうなんすか、桃先輩?」
「俺に振るんじゃねーよっ!」
わざとらしく首を傾げてから振り向けば、桃城は巻き込まれたくないといった様子で必死に頭を横に振っている。そのまま視線をスライドさせたが、いつもは威勢の良い中学生たちもどこか苦虫を噛み潰したような顔をしていて、そのくせ反論を口にはしない。上下関係なんて真っ先に覆しそうな跡部でさえ、形の良い眉を顰めて黙っている。幸村や白石もそれは同じで、ふーん、とリョーマは呟いた。つまり高校生たちにそれなりに痛い目を味わった彼らは、門を開ける役目を与えられても仕方が無いと思っているのか。だが、自分は違う。少なくともリョーマはそう考える。
「義務って言うけど、俺とあんたの違いって何? 一軍と二軍ってこと? だったら尚更だよね。俺たち二軍はあんたたち一軍に勝つために必死に練習しなくちゃいけないんだから、わざわざ門を開けに行くなんて余計な時間を使いたくないんだけど」
「・・・生意気な中学生だな」
「それともあんたたち一軍って、俺たちの練習時間を減らさなきゃ上に立っていられないくらいのレベルないの? 一軍なら一軍らしく余裕を見せてほしいよね。俺たちの練習の邪魔なんかしないで―――・・・」
「越前!」
後ろから覆い被さるように掌で口を塞がれる。もごもご、と台詞を途中で遮られながらリョーマが見上げれば、自分を抱き込むように羽交い絞めにしている大石の姿があった。その顔色は下から見ても分かるほどに土気色だ。こめかみには冷や汗を流しており、すみません、と謝る声は焦りにか申し訳なさにか震えている。
「すみません! 越前はアメリカ帰りで、日本のこともよく知らなくて・・・!」
「にゃににゅってりゅんれすかおーひしせんぱひ。おれはべちゅに」
「はーい、オチビは黙ってて!」
「ひたっ」
掌の下から反論すれば、今度は横から菊丸に頭を抑え込まれる。理不尽だと目で訴えれば、いいから今は黙ってるの、とひそひそ声で言われた。これが日本のお家芸のひとつ「空気を読む」ということなのかとリョーマが考えていると、意外なところからストップがかかる。
「いや、いい。そいつを放してやれ」
低い声はいっそ父親の南次郎のように骨太で、もはや学生ではなく一端の大人のそれに聞こえる。リョーマが大きな瞳動かして見やれば、固まっている一軍選手の中心にいる男と目が合った。無精髭にライオンの鬣のような髪の毛。平等院という名だったかと記憶曖昧だけれど、その威圧を見れば相手がトップなのは簡単に分かる。その平等院に言われ、大石が困惑しながらも拘束の手を離す。ぷは、と空気を吸い込んでリョーマはまっすぐに見返した。
「おまえ、名前は?」
「越前リョーマ」
「越前・・・?」
平等院の僅かに顰められた眉が、今ここにはいない一軍4の選手を思い返してのことにリョーマは気づかない。代わりに、ふむ、と納得するように頷かれて首を傾げる。この男は話が通じそうだとリョーマは思う。けれども逆に隙のなさも感じさせるから、おそらく単純ではないのだろうとも。
「それで何だ? 越前、おまえは門を開けるのが嫌だって?」
「まあね。あんたたち高校生でしょ? 門くらい開けられるんだろうし、自分で開けて入ってくればいいじゃん」
「年上を敬おうって気はねぇのか」
「これでも敬ってるんだけど。俺だって手塚部長が閉まってる門の向こう側で両手に荷物持って立ち尽くしてたら、門くらい開けてあげるし」
手塚という名前が出たことで一部の高校生が首を傾げる。すでにドイツに発つため合宿を去った選手だが、やはりその実力は高校生の間でも知られているのだろう。青学か、と納得の声も挙げられた。今年の全国制覇校の噂は高校生の耳にも届いており、なるほど、あれが問題児のルーキーか、と見る目を変える者もいる。
「それに跡部さんが自分の学校に帰ったら、氷帝の生徒は門を開けて出迎えたりするんじゃない? つまりそういうことでしょ。その人との関係とか好意とかの問題であって、この合宿にそれはない」
「・・・・・・」
「俺たちは選抜されるために集められた。あんたたちは義務って言ったけど、それこそ俺たちの義務はテニスで強くなることじゃん。それは一軍でも二軍でも関係ない。強くなるのが第一で、そのために練習するのが俺たちの義務」
首を傾げて、リョーマは笑ってやる。何か文句ある、とその言葉尻に滲ませて。
「競い合わなくちゃいけないのに、何であんたたちの出迎えなんかしなきゃいけないわけ? それこそ本末転倒だし」
っていうか、と続けられた内容に、今度こそ食堂中が言葉を失う。

「入り口の門って自動じゃん。何でわざわざ手で開けてんの? 門の横にあるインターホンを押せば中から警備の人がボタンひとつで開けてくれるのに、そんなことで何でこんなに騒いでんのか理解できない」

まだまだだね、と二度目の欠伸をして、今度は両手で目を擦るリョーマは残念ながら見ることが出来なかった。食堂の端から端まで、それこそ中学生から高校生たち、一軍二軍に関わらず全員が目を瞠って驚愕していたのを。え、ちょっと奥様今の聞きました、みたいな展開が広がっていたのだが、それも眠いと表情を蕩けさせるリョーマには届かない。新事実発覚の衝撃の中から、不二が恐る恐るといった様子で小さく挙手をする。
「越前・・・」
「何すか、不二先輩」
「今の、本当かい? その、門が自動だっていう・・・」
「本当っすよ。だって俺と遠山、外に買い出しに行って戻ってくる度に中から開けて貰ってるし。っていうかみんなそうしてんじゃないの?」
きゅるんと向けられた視線に顔を背ける者多数。謙也に起きろ起きろとどつかれていた金太郎は未だ夢の中で、ずるい、と思いリョーマは唇を尖らせる。次の瞬間、食堂に響いたのは平等院の豪快な笑い声だった。
「はーはっはっ! これは一本取られたな! 仕方ねぇ、今回は俺たちの負けだ!」
「はあ? 門で勝ち負けとか意味分かんないし」
「おい、リョーマっていったか? こっちに来いよ、もっと話をしようや」
大きな手にジェスチャーで呼ばれ、断るのは簡単だけれども、やはり一軍のトップ選手ともなればそれなりの興味はある。うぃーっす、とやる気のない返事をして立ち上がり、リョーマは平等院へと近づいた。その間も大石は「高校生相手に」とおろおろしているし、言葉にはせずとも海堂もどこか心配そうな顔をしている。けれどそれもどこ吹く風、開けられた隣の席に軽々と腰を下ろし、リョーマは平等院を見上げてにやりと笑った。
「それじゃ先輩? 海外遠征の面白い話でも聞かせてよ」
何かもうリョーマ様って呼ぶべきなんじゃね? そんなことを考えさせる、U-17合宿のある夜だった。





あのハイテク機器ばかりですべての設備が整った合宿所で、入り口の門だけ手動とかあるわけがない。
2011年9月10日