この話はオチを踏まえた上で読むと、跡部様がより一層気の毒になります。オチを先にご覧になりたい方は、スクロールバーを下げて当ページの最下部にある英語訳をお読みください。出オチですが、やっておきたかった話です・・・。





跡部景吾は、派手なように見えて案外堅実な男である。でなければ二百人以上が在籍する氷帝テニス部を三年間も纏めてくることなど出来やしない。そんな彼はU-17合宿に参加しながらも、オンラインで記録される氷帝の部誌を確認し、アドバイスやら練習メニューやらをコメントとして書き込むことを日々のカリキュラムに組み込んでいた。はっきり言ってこの合宿に参加している誰よりも部長の仕事をこなしている。まさに部長の中の部長である。
その日も跡部は手の中でシャープペンシルを転がして、部活のサーキットメニューを組んでいた。僅かに考え込むようにしてペンを手放し、何かを探すようにシンプルなブランドのペンケースを漁る。しかし目当てのものが見つからなかったのか、彼は眉根を顰めて口を開いた。問題はそのとき、彼が消しゴムという単語を度忘れしてしまったことである。あー、と逡巡し、口を突いて出たのは英国で過してきた幼少期を彷彿とさせる滑らかなクイーンズイングリッシュだった。
「Does anyone have a rubber?」
その一言が食堂を混乱に陥れようとは、流石の跡部も思っていなかったのである。





米国少年VS英国貴族





まず特筆すべきは、これほどかというくらいに顔を歪めたリョーマ、蔵兎座、柳生の三人である。彼らについては置いておくとして、ラバーと言われて食堂にいたU-17合宿参加の中学生組が思い浮かべたのは、概ね二通りに分けられた。ラバー、すなわち卓球で用いられるラケットの裏面に貼り付けられているゴム。あるいはlover、すなわち恋人である。前者を思いついた者たちは「持ってないっす」と首を横に振り、後者を考えた者は「いないっす」と答える者が大半だった。どうして答え方が違うんだろうとお互いに顔を見合わせたりするけれども、返されたのはとりあえず否の返事で、跡部は不機嫌に表情を変える。仕方ねぇ、と呟いた彼を戒めるように眼鏡を押し上げたのは柳生だった。ごほん、と咳をしてから言い出し辛そうに口を開く。
「・・・跡部君。あなたはこの合宿を何だと思っているのですか」
「アーン? 何言ってやがる」
「テニスの日本代表合宿で、よもやまさかそんな・・・」
腕を組み、それでもやはり咎めるように言い返す柳生に、跡部は片眉を上げた。卓球のラケットと恋人と、それ以外にラバーにどんな意味があっただろうか。学校での成績が優秀な、例えば手塚や柳などは少しばかり考え込むように表情を変える。しかし彼らは所謂「学校英語」を学んできているのであって、教師はそんな単語まで教えてくれない。生活に密着していて、ある意味シチュエーションによっては知らないと困ってしまうのだが、学校のテストにはまかり間違っても出題されることはないだろう。柳生が理解したのは彼が少しばかり日常英会話に造詣が深かったからで、リョーマと蔵兎座は母国がアメリカだからだ。はい、とリョーマは小さく手を挙げる。
「俺も柳生さんに賛成。跡部さん、いきなり何言ってんすか?」
「ワタシも、リョーマに賛成デス。どうしても必要なら、差し上げマスが・・・」
「マナーとして持ってるのが当然だし? まぁ跡部さんがどうしてもって言うならあげてもいいけど、一体何に使うわけ?」
この男だらけの合宿で、とリョーマがにやにやと性質の悪い笑みを浮かべる。跡部サンがそういう趣味だとは知りませんデシタ、と蔵兎座も呆れた顔を隠さない。ふたりとも、と柳生がこれまた叱責を飛ばす。再び跡部が怪訝そうに顔を歪めた。そうして周囲の面子は連想する。
ラバー。跡部が欲しいもの。卓球の道具ではなく、どうやら恋人でもないらしい。柳生が咎めるようなもので、合宿には普通持ち込まない。マナーとして持っているのが当たり前で、蔵兎座もリョーマも所有していて、跡部がどうしてもと望むなら譲ってあげられる。しかし男だらけの合宿では使い道がないらしい。いや、蔵兎座の発言からして使うことは出来るけれども、それは趣味のよくない用途のようだ。一体何だろう。誰もが首を傾げ、一部は携帯電話のインターネット機能を使って検索までし始めた。
「っていうか跡部さん、使い方知ってんの? 教えてあげようか?」
非常に、それはそれは意地の悪い笑みを浮かべて、リョーマが明らかになからかいを跡部に向かって投げかけた。そのときだった。
学校からの宿題をこなしていた謙也の隣で、どうやらブログの更新をしていたらしい財前がいつの間にか携帯電話を閉じて立ち上がっていた。そのまま彼はすたすたとテーブルの合間を縫って、今や食堂中の注目を浴びている跡部へと近づく。そうして財前は、緩く握っていた拳をぽんっとテーブルの上に置いた。
「どーぞ」
白いテーブルに置かれたのは、カラフルなハンバーグランチだった。否、ハンバーグランチを模して造られた玩具のようなそれに、何だか気が付いた謙也が声を上げて立ち上がる。
「それ、俺の消しゴムやないか!」
「ええやないすか、消しゴムくらい貸したっても。まぁハンバーグは半分に減るかもしれへんけど」
「阿呆、それは問題や! 大問題やで!」
「文字を消す以外に何に使えばええんすか、消しゴムって」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ謙也を余所に、財前は相変わらずやる気のなさそうな態度で跡部を見下ろす。ようやく目当てのものを手に入れられた跡部は、「Thanks」とこれまた綺麗な発音で礼を言った。ようやく解かれた眉間の皺に、周囲もラバーとは消しゴムのことだったのかと理解する。しかし財前の発言はまだ続いた。
「跡部さんも、消しゴムやったらeraserっちゅーた方がええと思いますよ」
「アーン?」
首を傾げる跡部に対して、財前は不遜にも顎だけで一方を示す。そちらでは柳生が安堵したように肩をおろして「そういえば跡部君はイギリス出身でしたね」と言っており、リョーマがつまらなそうに唇を尖らせ、蔵兎座が取り出していた財布をしまうところだった。その黒いコインケースの合間に挟まれているものを一瞬だけれども確認できたのは、跡部の眼力に他ならない。小さな正方形で、薄い、一瞥した限りお菓子の包装にも見えてしまうそれは。
イギリスとアメリカ。rubberとeraser。ゴムはゴムでもゴム違い。そこまで来てようやく跡部の思考回路も理解した。反射的にテーブルを思い切り叩きつけて立ち上がった彼は、青少年として間違いではない。
「てめぇら! 俺様が何を欲しがってると思いやがった!」
「だって跡部さんだし?」
リョーマの生意気すぎる返答に、顔を羞恥に染めた跡部が掴みかかるまであと三秒。再び謙也の隣に戻ってきた財前は、後は勝手にやってろと言わんばかりにイヤホンを耳に着け、UKロックの世界へと戻っていったのだった。





rubber / 消しゴム(イギリス英語)、コンドーム(アメリカ英語)
2011年7月16日