全国大会ともなれば、日本各地から多くの学校が参加する。その数、総勢二十四校。二年連続で全国制覇を成し遂げている立海のような有名校がいる一方、不動峰や比嘉のようにダークホースとして突如現れた学校もある。見知った顔がある中で、やはり初見の選手も多い。一年生であるリョーマには当然ながらすべてが新しく、けれど彼の存在は関東大会で「皇帝」と呼ばれる立海の真田を倒したことで広く知られているため、向けられる視線の数は誰より多かった。見られることには慣れているが、やはり少し鬱陶しい。顰められた眉根に気づいたのか、隣を歩く菊丸がにゃはは、と笑った。
「オチビ、すっげー注目されてるじゃん」
「越前は今年の台風の目だからね。仕方ないんじゃないかな」
「ちょっと鬱陶しいっす。見るくらいなら話しかけてくればいいのに。アメリカじゃ気になる選手にはばんばん声をかけるのが普通でしたよ」
「へぇ、そうなんだ?」
これまた反対側の隣を歩く不二が柔らかく頷く。前には大石と手塚と乾が何やら話しながら歩いているし、背後では喧嘩腰の桃城と海堂を間に挟まれた河村が宥めている。四方を囲まれているのは、きっと守られているからだろう。都大会と関東大会で余りに目立ち過ぎてしまったため、変な輩に絡まれないようにという、これは先輩たちの配慮なのかもしれない。別に慣れてるけど、とリョーマが肩を竦めたときだった。
「Hey buddy・・・!」
日本語よりも身体に染みついている、滑らかな本場の英語に思わず振り返る。先輩たちの肩越しに見えたのは、やはり目に慣れているブロンドだった。目を見開くようにして立っている相手に、リョーマだけでなく青学レギュラーの全員が足を止める。そうして彼は、名古屋聖徳のジャージを纏った、リリアデント・クラウザーは口を開いた。
「Are you Ryoma Echizen・・・?」
「Yup」
肯定の返事は、釣られるように英語になった。





Hi, again.





色の濃いジャージに見覚えはない。胸元に綴られているアルファベットはおそらく学校名なのだろうけれども、そちらにもリョーマは覚えがなかった。しかし、この場にいてジャージを身にまとっているということは、おそらく出場選手のひとりなのだろう。見ただけで明らかに日本人ではないと分かるが、もしかしたら帰化しているのかも。人種のるつぼと呼ばれるアメリカで育ったリョーマは、そういった類のことに余り疑問を抱かない。そこにいる、それが事実。過程ではなく結果を重視する姿勢も、生まれ育った環境に由るのかもしれない。
「リリアデント・クラウザーだな。名古屋聖徳の一年」
「乾、知ってるのかい?」
「ああ。名古屋聖徳が多数の留学生を受け入れているという噂を聞いて、少し調べていたんだ」
「留学生ってことは、外国人部隊っすか? ありなんすか、それ!?」
「ルール上は問題ないらしい」
「ふうん。手強そうだね」
「オチビ、知り合い?」
「いや、知らないっす」
データマンを自称する乾が、リョーマの欲しかった情報を教えてくれた。そしてわいわいと会話が始まり、菊丸に尋ねられたけれどもリョーマは首を横に振る。同じ一年生。見上げるしかない身長は少しばかり気に食わないけれども、人種間にある差異はもはやどうしようもないのだとリョーマは理解していた。それに、テニスなら負けるつもりはない。まだ数ヶ月前にアメリカでそうしていたように不敵に笑ってみせれば、クラウザーがひゅっと息を呑んだようだった。その彼の背後から、追ってきたのか数人のチームメイトが姿を現す。六人すべて、クラウザーも合わせて七人全員が外国人であり、圧巻だな、と手塚が呟いた。
「リリアデント、どうした?」
「いきなり走って行くから何があったのかと思ったよ」
会話は当然ながらすべてが英語で、少しばかり崩れた発音やスラングが混ざってもリョーマには聞き取れる。しかし行儀のよい英語しか習っていない日本育ちのレギュラーたちは違うようで、成績の良い手塚や大石でさえすべては理解できないのか困惑している様子が見て取れた。クラウザーの視線は未だリョーマに固定されている。その眼差しに気づき、選手のひとり、ダヴィッドが顔を上げた。セルゲイもルーカスもリョーマを見やり、そして先ほどのクラウザーと同じように目を瞬いたのはマイケルだった。
「リョーマ・エチゼン・・・? まさか、本当に?」
「そのまさかだけど。俺のこと知ってるの?」
「もちろん! ジュニア大会四連続優勝のチャンピオンを知らない方がどうかしてるさ」
「ああ、なるほど。そういうこと」
理由が分かって納得がいった。アメリカでの自分の知名度は理解しているし、同じテニスをしている者なら聞いたことくらいあっても当然だ。何だよ、と桃城が首を傾げているのでそう告げてやれば、レギュラーたちは今更のように「そういえば越前はアメリカ帰りだっけ」と頷いている。日本語が流暢なため忘れてたよ、なんて大石に言われてしまい、リョーマは肩を竦めた。生まれてから今年の春までアメリカにいたので、リョーマとしては自分の根源の八割はアメリカだと思っているのだが、どうやらそうは見えないらしい。マイケルの発言を聞いて、他の面子もリョーマの正体に気が付いたのだろう。瞳に浮かべられたのは尊敬と気概で、会えて嬉しいよ、と握手を求められてリョーマも気軽にそれに応じた。
「最近の大会に出場していないからどうしているのかと思っていたが、日本にいたのか」
「親の仕事の都合で、春からね」
「アメリカには戻らないのか?」
「そのうち戻るんじゃない? まだいつかは決めてないけど」
「俺は西海岸の予選で戦ったんだが・・・覚えていないか?」
「ごめん、さっぱり」
あっさりと言い切れば、握手を交わした選手が項垂れ、他の面子が笑い声をあげる。その中でも唯一クラウザーだけは硬直したように動きを止めて、リョーマをただ見ていた。越前、と手塚が口を開く。そろそろ時間なのだろう。うぃーす、と頷いてリョーマは帽子のつばを押し上げた。
「あんたたちは名古屋聖徳?」
「ああ。次は四回戦だ」
「ふーん。対戦できるのを楽しみにしてるよ」
「俺たちもだ。日本でアメリカジュニアチャンピオンに出会えるとは思ってなかったからな。これで楽しみが出来たよ」
「日本の選手を舐めない方がいいよ。結構変わった奴も多いしね」
一応の忠告にも、マイケルをはじめとした彼らは薄く笑うだけだ。まぁいいけど、とそれ以上提言しないリョーマはまだ知らない。次の四回戦で名古屋聖徳は立海大付属と対戦し、外国人部隊と呼ばれる彼らが完膚なきまでに叩きのめされるということを。「See you soon」とひらりと手を振り、リョーマは背を向けた。先輩たちが歩き始めるのを負って、そういえばあいつ、一回も喋らなかったな、とクラウザーのことを考える。立ち尽くしてこちらをじっと見ていた。あの長いブロンドと鮮やかな瞳。どこかで見たことがある。そう考えて、はたと気が付いた。
「Hey!」
振り返って声を張れば、チームメイトに促されて立ち去ろうとしていたクラウザーがぱっと振り返る。その顔に、やっぱり、とリョーマは唇を吊り上げた。
「USオープンで対戦したよね? あんたのことは覚えてるよ」
Mr. Iceman? とマスコミにつけられた二つ名を呼んでやれば、やはり記憶は正しかったのだろう。クラウザーはようやく表情を緩めて、僅かな笑みを浮かべた。そして挑戦的な視線をぶつけてくる。
「I'll beat you this time.」
「I'm not scared, bring it on!」
今度は勝つ、という宣言にリョーマも受けて返す。手を振れば、今度は片手を挙げて見送られた。先を行く先輩たちの背中を追いながら、リョーマはついつい笑ってしまった。気が付いた不二が顔を向けてきて、柔らかな微笑みで首を傾げる。
「どうかした、越前?」
「何でもないっす」
ふるふると頭を振って、帽子のつばを引き下げる。久し振りに触れたアメリカの空気が少しばかり郷愁を誘う。個人主義で実力世界なあの舞台が恋しくないと言えば嘘になる。けれどリョーマは顔を上げた。眼前にあるのは青と白と赤、SEIGAKUと刻まれたレギュラージャージ。アメリカには戻らないのかという、先ほど聞かれた質問が頭を過ぎるが今のリョーマにその気はない。
「・・・今は、このチームで全国制覇をするだけだよ」
決意のように呟いて、リョーマは先輩たちの中へと飛び込んでいった。驚いたり慌てたりしながらも受け止めてくれる腕が温かくて、日本も悪くないよね、と笑う。





リョマさんはアメリカチャンピオンなので、じゃあこういうこともありえるんじゃないかな、と。
2011年6月23日