白石と謙也、銀と小春、そして千歳と金太郎。四天宝寺中から六名がU-17合宿へと旅立った翌日。部活は相も変わらずにぎやかに行われているけれども、騒ぎの中心になりやすい金太郎や謙也がいないだけで、随分と静かに感じる。いつもこうやったら平和なんやけどなぁ、とはすでに中学生のパワーに置いて行かれ気味になっている顧問、オサムの言だ。しかしベンチに身体を預けている彼の横では、体育座りをして膝を抱え込み、じめじめと陰鬱な空気を放っている存在がある。こうなることは予測済みだったとはいえ、余りにも酷い。金色、早く帰ってこんかなぁ。オサムが初日にしてすでに放り投げだしたとき。
「・・・もう我慢できへん。小春のおらん一日なんて我慢できへん! U-17合宿に殴り込みや!」
「そうかそうか、交通費は自分で支払うんやでー」
「やったるわ! 小春のためなら世界の果てまで行ったるで!」
がばっと立ち上がり、拳を握って愛を叫ぶユウジに、オサムはひらひらと手を振ってやった。ああ、後でU-17合宿所に連絡を入れなあかんなぁ。まぁ全国ベスト4のレギュラーやし、門前払いを食うこともないやろ。隅っこに加えといてもらえればいいんで、と言い訳までオサムは考え始める。っちゅーかむしろ金色の隣に置いといてくれたら、それでええんで。あそこのコーチ、怖いから嫌なんやけどなぁ。学生時代に少なからず関わりのあった身として、オサムは脳裏に描くU-17コーチ陣に溜息を吐き出した。気づけば、再びベンチの横に座り込んでいるユウジがじっと見上げてきている。
「オサムちゃん」
「何や。カンパならせんで」
「ちゃうわ。財前、連れて行ってもええやろ?」
お供としてか、とオサムが呆れて横を向けば、低い位置から存外に鋭い視線で見上げられる。しばし沈黙して、うーん、とオサムは頬を掻いた。コートでは、財前が副部長の小石川を相手にラリーを繰り広げている。





大阪より愛を込めて





四天宝寺からU-17合宿に参加したのは、六人だった。部長の白石をはじめ、全国大会でも活躍したメンバーだ。残念ながら副部長の小石川は漏れてしまったけれども、本人は「余り目立てなかったからなぁ、しゃあないやろ」と苦笑していた。ユウジもメンバーから外れてしまったけれども、彼に重要なのは小春と一緒か一緒ではないかであり、その点で悲鳴を挙げていた。何で俺が選ばれんかったんや、ではなく、何で小春と離れなあかんのや、という絶叫である。そしてレギュラーの中で、もうひとり選ばれなかった選手がいる。
「俺、知っとるで。あいつ自分で辞退したんやろ。何考えとんのや。ほんまに阿呆ちゃうか」
「盗み聞きは良くないで」
「盗み聞きちゃうわ。職員室なんやプライバシーあってないようなもんやろ」
「せやなぁ。引き出しに鍵もかからんしなぁ。机の上も雪崩やし、あれほんまどうにかしてほしいもんや」
「それはオサムちゃんの片づけが下手なんちゃう? って、ちゃうわ! 話逸らすなボケ!」
「はいはい、財前を連れてくっちゅー話やろ。あ、謙也が移ってもうた」
「お供やないで。選手としてやで。オサムちゃんなら出来るやろ、合宿にあいつひとりくらい押し込むこと」
出来なくなくもないが、したくはないのが本音だ。しかし可愛い教え子のためなので、まあなぁ、と曖昧に頷いて肯定してやる。財前がU-17合宿を辞退したのは、部内で知っているのはオサムと白石、それと張本人の財前くらいのはずだった。召集のプリントにざっと目を通し、めんどいからいいっすわ、と呆気なく言い放った財前に、白石が目を瞬いていたのを覚えている。ほんまにええんか? せっかくの機会やで。ええ経験にもなるし、行って無駄にはならんで。後輩の未来を思って白石が勧めても、財前はふるふると首を横に振るだけで、ほなショップに寄ってくんで、と浅く頭を下げて帰ってしまった。困惑する白石に、本人が行きたくないっちゅーとるんやからええやろ、とオサムは笑って財前の不参加にチェックを入れた。オサムには分かっていたのだ。おそらく財前は、この合宿に参加しないだろうと。
「何でユウジは財前をU-17に押し込みたいんや?」
胸元のポケットから煙草を取り出そうとして、コートだということに気づいて押し戻す。煙草なんて百害あって一利なしやで、無駄や無駄。どこからかそんな白石の声が聞こえてきた気がして、少々うんざりしてしまう。ユウジは睨み付けるような眼差しでコートの中の財前を見ている。
「おまえら会えば喧嘩しとるくせに。仲悪いってオサムちゃんは思うとったで」
「喧嘩してても仲悪いわけとちゃうわ。仲良しかっちゅーと話は別やけどな。あの阿呆、生意気やねん。俺のこと先輩と思うてへんやろ。何かあればキモイっちゅーて」
せやけど、とユウジは言い切った。
「せやけど、同じチームでやっとれば嫌でも分かる。財前は天才や。パワーでは金太郎に勝てへんし、正確さでは白石の方が上やけど、それでもあいつは天才や。底も、天井も、壁も、あいつにはない」
ぱこん、ぱこん、とラリーは交わされている。相手の小石川は副部長だけあって、決して弱くはない。千歳という異例の存在がやってきたことで控えへと回ったが、全国クラスの四天宝寺でレギュラーを務めるだけの実力は十分にあるのだ。財前はそんな小石川を相手に、危なげなくボールを返している。全力ではないのは見ていて分かる。財前は無意識の内に、相手のレベルに合わせる癖があった。完全に同じではない。ほんの少し上のプレーをし、相手の限界を引きずり上げる。練習ではそれが特に顕著で、だからこそオサムは見込みがあると思った選手を財前にあてがうことが多かった。それ故に一年生などは、自身を上達させてくれる財前に意外なほど懐いていたりもする。
底も天井も壁もないというユウジの表現は、言い得て妙だとオサムは感心した。財前は相手に合わせて己を変える。変えることを厭わない。それは個性のなさと紙一重でもあったが、財前に限ってそれは違った。彼には別に大切なものがあるのだ。
「俺はああいう、上に行けるのに行かん奴見てると腹立つんや。あいつほんま阿呆やろ! 行けるんやったら行けっちゅーねん!」
「おいおい、落ち着かんかい」
「せやかてオサムちゃん! あいつ、せっかくの小春といる機会を潰したんやで!」
「何や、結局そこか。あのなぁ、ユウジ。おまえ財前が四天宝寺に入学した理由、知っとるか?」
いきなりの話題の変更に、まだ言い足りないのかユウジが大袈裟に顔を歪める。知らん、知っとるかボケ、という言葉に、うちの部員はほんまに可愛げが足らんなぁ、とオサムは苦笑した。
「面白そうやったから、なんやと」
「・・・はぁ? 面白そう? よりによって、あの財前がか?」
「せや。あのツンデレのデレの部分が欠落しとるような財前が、や。面白そうやったからうちに入学したらしいで。しかもテニス部に入ったのも同じ動機や」
入部届の欄に書いてあった、少し右肩上がりの文字を思い出す。財前の提出した書類には経験者の項目に丸が付いており、それで「テニスが面白そう」というのも不思議だと思い、入部して少し経った頃に聞いてみたのだ。そうしたら財前は、ああ、と軽く頷いて言った。
「『新歓の部活動紹介でやっとった漫才が面白かったからっすわ。テニス部員っておもしろそうやなぁ思うて』」
つまり財前にとって興味があったのはテニスというスポーツではなく、テニス部員という集団だったのだ。もちろんそれは悪い事ではない。けれども、部活を始める動機にしてはいささか単純すぎる気もする。やはり部活はやりたいものを選ぶべきだ。人間関係はそれに付随してくる一部でしかないのに、財前はそれを真っ先に選んだ。くく、とオサムは笑う。
「財前、ああ見えて寂しがり屋やで。ちゃうな。うるさいのが好きなんやろ。せやからあいつ、自分から謙也に寄ってくやん。寄れば寄ったで『うるさいっすわ、謙也さん』とか言うくせに、絶対謙也の傍を離れたりせぇへんやろ。謙也もそこらへん分かっとるんやろうなぁ。あいつも何やかんや言うて、財前のこと甘やかしとるし」
まぁ、両親だけやなくて兄貴家族とも同居しとるらしいし、金太郎と幼馴染やってきたんやから、財前がやかましいの好きなんも考えてみれば当然のことやな。オサムが声に出して笑えば、驚いていたらしいユウジが我に返って拳を握る。
「っちゅーことは、俺と小春をキモイっちゅーのもデレか! デレなんか!? そないなデレなんかいらんわボケ!」
「あいつ、おまえらにも自分から寄ってくしなぁ。小春も気づいてて財前を可愛がっとるんちゃうか?」
「小春は俺のや!」
「はいはい、青春はおっさんのおらんとこでやってやー。っちゅーことで、財前にとって大事なんは勝つことやなくて」
「・・・誰とテニスをするかっちゅーこと」
「正解」
にっと笑ってバンダナの頭を撫でてやれば、ユウジは不貞腐れた顔で甘んじている。人間観察を生業としている彼にとって、財前の性格が見抜けなかったことは些か不本意でもあるのだろう。しかし財前はユウジに悪態をついて言い返されてはわいわいと楽しそうにしているので、結果オーライやろ、とオサムは思う。
「・・・だからあいつ、全国でもあないに簡単に千歳のオンステージを許したんか。阿呆やろ。何で白石に言い返さへんかったんか、ずっと不思議やったんや」
「ぶっちゃけ勝っても負けても勝敗はどうでも良かったんやろうなぁ。財前は謙也の代わりにおまえが降りろ言われても、たぶんお決まりの台詞であっさりと引っ込んだで」
「ま、しゃーないっすわ。って、それただの阿呆やろ! あああ、あいつずっとツンデレかと思うとったけど、実は不器用ちゃんやったんか! 何やそれ、ギャップ萌え狙いか!」
「ユウジ、財前に萌えたんか? 新境地の開拓やなー」
「俺は小春一筋に決まっとるやろ! オサムちゃん、合宿に財前連れてくで! ええな、一氏ユウジ命令や!」
「どんな命令やねん! ・・・まぁええやろ。先輩やしなぁ、好きにせぇ。交通費は出さんけどな」
「ケチ顧問!」
明日の朝一で小春に会いに行ったる! ついでにあの阿呆も放り込んできたる! 今行くで、U-17合宿!
叫んではいるけれども、器用なことに見事な小声だ。大声で喋るものならコートの中の財前に聞かれ、逃亡されるとユウジ自身分かっているのだろう。その甲斐あってか財前は今も小石川相手にラリーを続けていて、ぽーんぽーんとのんきなインパクト音を響かせている。財前は天才だ。底も天井も壁もない財前はきっと、何もない空間にぽつんと一人でいるようなものなのだろう。その世界に色を添えるのが仲間たちなのだ。だから財前は勝利でも上達でもなく、仲間に拘る。誰に勝つかではなく、誰と勝つかなのだ。
「せやけどそろそろ、自分の『天才』っぷりを知ってもええ頃やろ」
おまえがどこまで上に行ったとしても、仲間は仲間、変わらんもんや。小さく呟いて、オサムはコートの中の財前を笑った。きっとユウジが上手く事を運び、明日の昼にはU-17合宿に合流しているに違いない。向こうでは謙也や白石がフォローしてくれるだろうし、他校の誰かは財前の才能に気づき、ライバル視してくれるかもしれない。仲間は時に、ネットを挟んだ向こう側にも存在するものだ。帰ってくる場所さえあれば、どこにだって行ける。その強さを信じている。だから。
「いってきいや、財前」
心からのエールを、オサムは送った。

翌日の昼休み、職員室にかかってきた外線電話は、やはり十年近く前に世話になった恩師からだった。今も尚変わらない、どこか貴公子然とした口調でU-17合宿のコーチを務める黒部は挨拶し、財前とユウジはこちらで預かると言ってくれた。おおきに、ほんま助かりますわぁ。オサムはからからと笑って応じた。これも十年前、オサム自身が選手だった頃なら考えられなかったことだ。
『ああ、それと渡邊君』
「何ですか、黒部コーチ」
『財前君を送り込んでくれて感謝します。彼は来年のジュニア選抜の一角を担う選手になるでしょうから、今年から鍛えておきたかったので』
「・・・俺の大事な教え子なんで。よろしゅう頼んますわ」
『確かに預かりましたよ』
それでは、と涼しい声で電話は切れた。この空の下、山奥の最新施設できっと汗を流しているだろう財前を思う。いや、きっと裏合宿からのスタートだろう。制服で崖登りをさせられて、ぶつぶつとユウジに文句を言っている姿が容易に思い浮かび、思わずオサムは肩を震わせて笑った。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ、っちゅーことや」
頑張れ、と大阪から我が子たちの成長を願う。





オサムちゃんは元選手希望。ユウジは小春以外の他者に対するところがドライで、基本ドライな財前とよく似ているから理解し合えると思います。本人たちは別に理解し合えたからってどうでもいいけど、と思っていそうですが。
2011年5月22日